ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

日の名残り (ハヤカワepi文庫)4月17日の日曜、NHK教育で『ETV特集 カズオ・イシグロをさがして』が放映された。

とても楽しみにしていた番組だったが、実は私、カズオ・イシグロの作品が好き過ぎて、作家に対して過大な想像をしていたのだ。

メディアの露出が少ないせいか、謎めいた作家、日本人でありながら、英国ブッカー賞も受賞した現代イギリス文学の大家。

5歳まで日本の長崎で育ったが、今ではほとんど日本語が分らないという。
しかし作品の、静謐な筆致、抑制された文章、そして常に哀しみをたたえながらも凛とした雰囲気は、まさに日本的なものだ。

神秘的で孤高な作家、近寄りがたいというイメージを持っていたのだが、TVで観るイシグロ氏は、穏やかで気さくな紳士だった。

日本語が話せないことについては、彼が渡英した当時、他に日本人は殆どおらず、肌の色の違いもあり、生活していくには、イギリス人になり切るしかないというわけで、彼の両親もあえて日本語を教えなかったのだという。

その後、イシグロ氏は青春時代を迎える。
1954年生まれの彼は70年代のヒッピームーブメントの恩恵をもろに受け、シンガーソングライターを夢み、ロングヘアーと髭を伸ばし、ギターを抱え、アメリカ大陸をヒッチハイックの旅に出たりするのだ。

実際、長髪と髭を伸ばした若き日のイシグロの写真が出て、おもわず腰が抜けそうになったのだが、あまりに通俗的、典型的な70年代の若者が、なぜ作家を志したのか。

それについて氏は、自分の中の「日本」の記憶が要因の一つであったと語っている。

髪をなびかせギターを掻き鳴らしながらも、心の中では、これは本当の自分じゃないと思っていたのだろうか?

そんな訳で、孤高で謎めいた作家、というのは半減されたが、それでもその小説の素晴らしさは変わらない。

これまでいい感じで前作品を裏切ってきたイシグロ氏。
寡作の彼だが、次はどんな小説なのか、大変楽しみだ。

そして、出来れば今まで通りマスコミにはあまり出ないでほしい。
私のような妄想癖のファンのためにも。

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この数日間、伊坂幸太郎氏の著書を読み返している。
いや正確には、物語の中に出てくる仙台市の風景をながめているというべきか。(小説なのに眺めるというのも変な表現だが)

伊坂幸太郎氏の小説の舞台は、ほとんどが、彼の住んでいる仙台市である。

そんな訳で、彼の作品を読むにつれ、知らず知らずに、行ったことのない仙台市に対して、親しみを持つようになった。

ほどよい大きさの地方都市、派手さはないがセンスある街並み、木々が美しい緑あふれる街。

さわやかな北の都市に対する憧れは、いや増すばかり。

いつか当地を訪れて、伊坂ワールドを思い切り味わいたいと思いつつ叶わないままでいた。

それにしても、伊坂氏とご家族は、ご無事だろうか。

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羊最近、村上春樹氏の短編をよく読むようになった。

以前は私、氏の小説は苦手で、まるで翻訳小説を読んでいるようなスカスカ感、地に足が着かない雰囲気にどうしてもなじめなかったのだ。

ただ、最近知り合った職場の人が村上ファンで、楽しそうに『海辺のカフカ』や『1Q84』を語っているのに触発され、この機会に再チャレンジしてみようと思ったのだ。

まずは短編から読み始めたのだが、これが、実に・・・・・面白かったのですね〜!

長編を読んでいた時に陥った空疎感もなく、その凝縮された世界、選び抜かれた日本語、これ以上ないと思われる比喩、ああもっとこの世界に浸りたい、と思った時には終わっている物語・・・・。

先週は『東京奇憚集』を読んだ。そして今、彼が自分自身のことについて語った『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み終えたばかり。

この調子で村上作品を好きになれば、今まで知らなかった世界が味わえるかもしれない、楽しみだ。

さて、『走ることについて〜』だが、村上氏における「走ること」への比重の大きさに驚いた。

まるで彼の生活の中心は「走ること」で、小説を書くことは、ほんの余技のような気さえしてくる。

彼は「走ること」について、好きだとか情熱を持ってとかは一切言わず、日々の練習風景や、我が肉体のコンディションや、大会の様子や、走りながら移り変わる風景や心を、ただ淡々と描いている。

それは、専業主婦が、日々の家事日記や育児日記を書いているようだ。

どちらも継続が大事で、一度サボると修復するのに大変な労力がいるなど、共通点もある。

特に、初めて42キロ走った真夏のアテネの体験記など、その苦しさ、生々しさは、初めてのお産体験記のようだ。

ただこれだけ、終始、走ることやマラソンについてリアルに描きながらも、不思議と汗臭さを感じないのが、村上春樹の世界なんだよな。

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シングルマン1先日観た『英国王のスピーチ』が、物足りなかったなぁ、と思いながらビデオショップでふと見つけたDVDが、やはりコリン・ファース主演の『シングルマン』

この作品は去年、コリンが初アカデミー賞主演男優賞にノミネートされていたもので(あいにく受賞できなかったけど)、ぜひ劇場で観たかったが、私の住む地方では上映されなかったのだ。

地味なキャラのせいなのか、彼の映画は上映に恵まれない。

シングルマン2さて、肝心の内容だが、始まって1秒ですっかりとりこになった。まあその映像のスタイリッシュで美しいこと。

聞けば監督のトム・フォード氏は、著名なファッション・デザイナーで、グッチやサンローランなどのファッション・ブランド再生化の立役者でもあるという。

ストーリーは、1962年、キューバ危機の時代、最愛の恋人を事故で失ったゲイの大学教授が、死を決心した、その最後の1日を描いたものだ。

スペインか南米の映画と見紛うほどの、大胆で斬新な映像に負けないのが、コリンの静謐な演技だ。

シングルマン3愛する人を亡くした喪失感、哀しみ、怒り。
それだけではない。痛いほど感じている隣人らの蔑みの視線(当時ゲイは、まだ偏見が強かったと思われ)

穏やかな大学教授の風を装いながらも、その内心は察するに余りある。

正直、『英国王のスピーチ』よりもこの作品の方が何倍も好きだ。なぜアカデミー賞をとれなかったのだろう。

ところで、『シングルマン』には美青年が何人も出てくるのだが、その一人、ケニーという大学生。
どこかで見た顔だな、と思ってたら、なんと『アバウト・ア・ボーイ』で、いじめられっ子役を好演していたニコラス・ホルトではないか。

あのぱっとしないガキがこんな美しい青年に成長したなんて。

という訳で、内面的にも外面的にも、たいへん美しい映画でした。

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eikokuou私はふだん右利きだが、ハサミやカッター、歯ブラシなどは左手で使っている。

幼いころ左利きだったのを、親や先生から右に矯正されたのだが、図工や朝晩の歯磨きなどは、見過ごされたらしい。

今日観た映画『英国王のスピーチ』の中で、言語聴覚士が言っていた。吃音症の中には、幼児期にムリやり右利きに矯正された人が多いと。

私の場合、吃音症にはならなかったが、それ以来性格が暗くひねくれてしまった気がする。

戦争前夜どちらにしても人をムリに矯めるのは良くないと思う。

さて、『英国王のスピーチ』だが、アカデミー賞4部門受賞という快挙をなした。

私が特に嬉しかったのが、コリン・ファースの主演男優賞受賞だ。

思えば27年前、映画『アナザー・カントリー』で初めてコリンを見て以来ずっとファンだったのだが、地味なキャラのせいか、日本での上映作品が少なかったせいか、いまひとつぱっとしなかった。

そんな中、確実にキャリアを重ねて、このたびの快挙。まことに感慨深い。

スピーチところで、肝心の映画の内容だが、たいへん重厚で感動的だったが、あまりに王道すぎてどこか物足りなかった。

主人公のキャラが内向的で吃音に悩む国王なども、コリンにぴったりすぎる。
(ちなみに彼は昔『ひと月の夏』という映画で、戦争神経症でやはり吃音症の若者を好演している)

重厚で感動的、でも凡庸な作品というのが正直な印象だ

そんな訳で、以前見た『ソーシャル・ネットワーク』の方がアカデミー作品賞や監督賞にふさわしいのではと、いまだにfacebookも分からない私が言っている。

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このたび芥川賞を受賞した西村賢太著『苦役列車』を読んだ。

著者に関しては、中卒で逮捕歴アリとか、長年日雇労働をしていたなどが話題になっているが、ページをめくるや、たちまち夢中になってしまった。

とにかく面白いのだ。

大体「私小説」というのは、これまで辛気臭いものが多かったのだが(車谷長吉氏などは別として)、この人の筆致にはぐいぐい引き込まれる吸引力というか魅力がある。

悲惨でダメダメな日常を描きながらも、どこかユーモアがあり、カラッとしている所なぞは、町田康をリアルにした感じか。

陰鬱で猥雑な描写も、文章の湿度が低いせいか、ドロドロしておらず、清潔感さえ感じられるのだ。

著者はインタビューで、自分は恋人はおろか友人も一人もいないと語っていたが、変に人交りをしていないせいだろう、とても格調高い日本語を使っていると思う。

また選評で山田詠美嬢が述べていたように、やさぐれた描写をしながらも、「おれ」ではなく「ぼく」、「刺身」ではなく「お刺身」と表わすなど、あまりにも可愛すぎる。

この愛すべきろくでなしには、結婚とか小市民的な幸福など望まず、ぜひダメ人生をまっとうしてもらいたいものだ。

苦役列車苦役列車
著者:西村 賢太
新潮社(2011-01-26)
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フェイスブック今の世の中、好むと好まざるにかかわらず、インターネットが情報の主流になっている。
よって、それを拒むのは、火を怖がる北京原人か文字を知らない縄文人のようなもので、ガラバゴス諸島の絶滅危惧種になりたくなければ、ネットを使いこなさねばならない。

だが、もの心がついた頃からPCがあった世代と違い、脳が出来上がった中年以降から始めた私には、アナログとデジタルの切り替えがうまくいかず、いまだに孤軍奮闘しているのだ。

さて、『ソーシャル・ネットワーク』という映画を観た。

あらすじは、gooより、

マーク・ザッカーバーグは、友人のエドゥアルドにサーバ費用などを提供してもらい、ハーバードの学生だけが使える“ザ・フェイスブック”を作る。ザ・フェイスブックはすぐに多くの会員を獲得し、ハーバード大生以外にも人気を広げていた。しかしマークは、「アイデアを盗用された」と訴えられる。そして、サイトが大きくなり、マークが“ナップスター”の創始者に心酔するようになると、親友のエドゥアルドもマークから離れて行く…。

会話大変刺激的な作品だった。
まず主人公のマークだが異常にしゃべるのが早く、ついて行くのに必死だった。それだけ彼の脳が超高速で回転しているのだろう。

そして彼は、空気を読むとか、曖昧にするということが出来ない。

ガールフレンドとの会話でも、矛盾や疑問点があれば問い詰めずにはいられない。聞き流すということができないのだ。

当然彼女にはうざがられ、振られてしまい、その腹いせに、女子大生を比較するサイトを立ち上げたりとか。

なんとも未熟な男なのだが、でも不思議と憎めないのだ。

それは彼が頭脳明晰でありながら、恋心とか嫉妬(友人が有名な「クラブ」に入会したとか)とか情緒的なものに弱く、いかにも不器用だからだ。

そしてマーク以外に気になったのが、彼の親友のエドゥアルド。

変わり者マークの親友というだけでも奇特な人なのに、思いやりのある常識人である。

だがその常識人であることがネックになって、マークの間に亀裂を生じ、やがて親友を訴訟しなければならない事態に発展するのがなんとも皮肉だ。

若き才能物語は、facebookで大成功するまでの過程と、裁判で訴えられるシーンがを交互に描いているが、裁判の結果は別に重要ではない。

とにかく、この賢い若者たちの会話や行動を観て、妙に気持ちが高揚し、早くマダガスカル諸島から脱出しようと決心したのだったが、ところで、フェイスブックって結局なんでしょう。ソーシャル・ネットワーク (デビッド・フィンチャー 監督) [DVD]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 


 

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