水屋の準備やお運びの後、ゆっくり先生のお手前を拝見しながらお茶を頂く。
やっぱりお茶は良い。時々おっくうになったり、やめようかな、と思ったこともあったが、ピーンと身の引き締まる雰囲気はたまらない
たとえば、炭火が真赤に熾り、釜の中ではお湯がたぎりしゅんしゅんと松風の音を響かせている。お手前も終わりに近づき、先生が柄杓で釜に水をいれた瞬間、松風は消え、静寂だけが茶室にこだまする。このゾクゾクッとする感覚はお茶ならではだろう。
初釜だと着物姿の人ををたくさん見られる楽しみもある。年配の方のいぶし銀の着こなし、着慣れた女性のりゅうとした小粋な姿、そして若い女性の振袖、着慣れてなくて動きがぎくしゃくしてロボットみたいなのがまた可愛い。そして男性の袴姿の凛々しさ。着物が大好きな私は「眼福、眼福」とほくそ笑みながら拝見している。
さて、お茶が絡んでくる小説に川端康成の「千羽鶴」と言うのがある。かなりいやらしい物語で、いかにも触れなば落ちんといった風情の女性が登場する。お話として読むにはとても面白いが、川端康成さんはお茶に対して過剰な思い入れがあるのではないか。
お茶の世界は基本的にはあまり色気のない、どちらかと言えば竹の割った気性の人に向く世界だと思う。もしこの「千羽鶴」を読んだ人が、「お茶の世界ってそんなに耽美なものなのか」と思い込んだらどうするんだろう。
もちろん真実はわからない。私の知らない所でロマンスの華が咲いているのかも。う〜ん、奥が深い。