ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

掛け軸朝6時起床。窓の外を見ると、ゴミのような雪が舞っている。お気に入りの小紋の着物を着て、羽織、ショールをまとい外に出る。今日は初釜だ。

水屋の準備やお運びの後、ゆっくり先生のお手前を拝見しながらお茶を頂く。

やっぱりお茶は良い。時々おっくうになったり、やめようかな、と思ったこともあったが、ピーンと身の引き締まる雰囲気はたまらない

たとえば、炭火が真赤に熾り、釜の中ではお湯がたぎりしゅんしゅんと松風の音を響かせている。お手前も終わりに近づき、先生が柄杓で釜に水をいれた瞬間、松風は消え、静寂だけが茶室にこだまする。このゾクゾクッとする感覚はお茶ならではだろう。

初釜だと着物姿の人ををたくさん見られる楽しみもある。年配の方のいぶし銀の着こなし、着慣れた女性のりゅうとした小粋な姿、そして若い女性の振袖、着慣れてなくて動きがぎくしゃくしてロボットみたいなのがまた可愛い。そして男性の袴姿の凛々しさ。着物が大好きな私は「眼福、眼福」とほくそ笑みながら拝見している。

さて、お茶が絡んでくる小説に川端康成の「千羽鶴」と言うのがある。かなりいやらしい物語で、いかにも触れなば落ちんといった風情の女性が登場する。お話として読むにはとても面白いが、川端康成さんはお茶に対して過剰な思い入れがあるのではないか。

お茶の世界は基本的にはあまり色気のない、どちらかと言えば竹の割った気性の人に向く世界だと思う。もしこの「千羽鶴」を読んだ人が、「お茶の世界ってそんなに耽美なものなのか」と思い込んだらどうするんだろう。

もちろん真実はわからない。私の知らない所でロマンスの華が咲いているのかも。う〜ん、奥が深い。

     

文子さん今日、久しぶりに友人とレストランに行った。その時不思議な塩を発見。 岩塩なのだがパンに振りかけると、あら不思議、ゆで卵の味がする。

これはいい。ゆで卵フリークにはたまらないだろうし、肉や魚にかけると、なぜか今度はその味を旨く引き出してくれる。お店の人にたずねると硫黄成分が入っているパキスタン製の岩塩との事。

卵と言えば私は、生まれて初めて卵かけご飯を食べた日を覚えている。父がご飯の上で、今や生卵を割ろうとした時「ああ、ひよこが出てきたらどうしよう!」と心配したものだ。まだ3、4歳だった。

また我が家は当時ニワトリを飼っていた。情緒的なものより食欲が勝っていた幼い私は、「今日はニワトリを締めるよ」と母から言われると小躍りして喜んだものだ。

初めて自分で作った料理も覚えている。家の裏に小さな山があり、野草や野苺などたくさん生っていた。お腹が空いた4歳の私は、食パンを2枚持ってひとり山に入っていった。そして野苺を摘んでパンに挟んで食べる。おいしかった。

やがて小学校。駄菓子屋で赤や紫色の毒々しい菓子を食べ、チクロ入りのジュースを数え切れないほど飲んだ。

今自分が健康でいられるのは、ただただ運が良かったからだと思う。食の冒険はしないのに限る。

でも4歳の時食べた、あのサンドイッチの味・・・。

もし地球最後の日が来たら、その時は食パンと卵の味のする岩塩を持って、あの裏山へ行こう。そしてイチゴと卵のサンドイッチで最後の晩餐をするのだ。まだあの山があればの話しだが。岩塩

 

 

たまご味岩塩

 

 

 

 

 

 

 

                    

 

昨日から、新人シリアン・ホフマンの「報復」を読み始めたが、残酷な描写に途中でリタイアする。作風はP・コーンウェルの検屍官シリーズに似ているが、最初にレイプされるのが主人公の検事補(当時はまだ学生)と言う設定で、そのレイプがまた鬼畜というか猟奇的で、被害者側の心情がダイレクトに伝わり気持ちがどんよりと落ち込んだ。
 
どうも残酷なシーンは弱い。以前ビデオで「プライベート・ライアン」を借りた時も、最初のオハマ・ビーチのシーンでもう怖くなり、結局最後まで見ないまま返却したというへたれだ。
 
気分直しに「ブリジッド・ジョーンズ2」を少し読んだ後、美容院に出かけ、ゆるいパーマをかけることにした。
私は、美容院でのトークが弾まない(byヒロシ)タイプの客なので、手渡された雑誌をだまってぱらぱらと眺めてみる。するとチェルノブイリ理事、鎌田實医師のエッセイが目に入った。
 
彼の病院に、あるベテランの助産婦がいる。彼女は以前から東ティモールに深い関心を持っており、1999年の独立後も紛争の絶えないかの地に半年ほど住んでみる事にした。
 
ある日、突然の大雨に、よその家の軒先で雨宿りをしていた彼女は、その家の人から「中に入れ」と招かれ、あまつさえ豆までもらった。貧困で食うや食わずの生活をしている彼らが見ず知らずの外国人をこんなにもてなしてくれる。見て見ぬふりをしない。彼女は感動した。
 
そして偶然が重なり、左足を負傷した青年に出会う。独立時の内紛のさい銃で足を撃たれたのだ。満足な病院も無く、ろくに治療も受けていない青年の足をなんとか直したい。見て見ぬふりだけはしたくない。
青年が日本で治療が出来るよう、彼女の東奔西走が始まった・・・。
 
ダメだ、目がだんだん潤んでくる。チラっと上を見ると、担当の美容師さんがせっせとロットを巻いている。涙目を見られまいと必死に心を引き締める。しっかりしろ、でも続きも読みたい・・・。
 
青年は彼女の努力のお陰で日本で治療を受け順調に回復し、感謝の言葉を残して祖国に帰った。さて話は変わり、鎌田医師はドイツの平和村へ出かけた・・・・。平和村?ドイツの平和村!
 
突然頭にウルルン滞在記の音楽が流れ、下条アトムのアナウンスが聞こえる。ドイツの平和村。手足をなくした子、顔をなくした子。東ちづるの
「日本人はお金でしか援助をしない・・・」という言葉に、「何言っているんだ、お金が一番必要なんだ」と答えた平和村のスタッフ。
 
読み進むと、この平和村に寄付してくれるのは国外では日本人だけだそうだ。一時は経営困難に陥ったが日本からの寄付金のお陰で持ち直したと言う。
 
ああこれ以上涙腺が緩みませんようにと願いながらも続きを読む。その平和村に11歳の男の子がいる。彼はキラキラする美しいものを拾おうとして地雷の爆発に遭い両手を失った。彼の父親は将来のためにも義手をつける治療を希望したが、彼は拒否した。義手だと成長期の彼は何度も手術を受けねばならずその度に多額の費用が要る。11歳なりに少年は家族のことをおもんばかっているのだ・・・・・。
 
ダメだもう我慢できない。上を見るといつの間にかロットを巻いている人が3人に増えている。やばい、泣き顔を見せられない・・・・。
 
担当の美容師さんは腕が確かで、且つ細かい気配りをする親切な女性だ。
そしてヘアスタイルはとても上手に仕上がっていた。
だが、潤んだ目でうつむきがちにそそくさと帰って行った私は、彼女の目にどう映っただろうか・・・。悪いことをしてしまった。
 
帰り道、心の中でつぶやく。
お前はいつからそんな沸点の低い人間になったんだ。
もっとしっかりしろ!
 
もっと器の大きい人間にならなければ、そう決心した睦月の宵だった。
 
 
   
  
 

報復

あか携帯電話の普及によって、小説が様変わりしている。                              もはや「君の名は」や「母をたずねて三千里」のようなスチュエーションはありえない。電波が届かなかったので、会えなかったと言うのも何かマヌケだ。

いっそミノフスキー粒子みたいなものを発明して、通信機能が使えない世界を創りそこで恋愛をするとか・・・・・・・・・それはもっとバカだ。      

ああ、だから最近の恋愛小説って、懐古的なものが多いのね。

でも恋愛小説で、携帯電話の似合うのをひとつ知っている。それは、                    中里恒子著「時雨の記」 

物語の舞台は古都鎌倉。 登場人物は50代の実業家の壬生と、40代と思われる着物の似合う女性で、たえ。

これのどこがケータイの似合う・・・とお思いでしょうが、この壬生には奥さんと息子がおり、たえの方は未亡人である。そう書くと「不倫小説」みたいだが、違う。これは純愛である。 

この2人は一緒に街を歩いたり列車に乗っていて知人に出会っても、堂々と挨拶をする。不倫をしている意識は全然ない。好きだから一緒にいるんだ、それがなぜ悪い?と、まるで子どものように純心である。

2人の性格も良い。壬生は豪快磊落で、且つ細かい気配りが出来、たえも、さっぱりした性格で、この手の小説に有りがちな女々しいところなどいっさいない、どちらかと言えば男っぽい女性である。

責任の重い地位にある多忙な壬生は、たえの家にホットラインをしき、毎日電話をしてお互いの近況を話し合う。その話がとても楽しい。ポンポンと会話が弾み、たまには毒舌も飛び出す。

壬生が仕事で世界旅行に出た時、まめに送ったたえ宛ての手紙も愛情深くて微笑ましい。今の時代なら、まめにメールを送っていただろう。

この恋愛は一方の死によって成就することなく終わる。でも読後感は非常に爽やかなのだ。仕事と家庭の責任を全うしながらひたむきに、たえを愛し続けた姿には、感動すら覚える。

携帯電話を知ったら、この2人はきっと大喜びで使いこなすだろう。

古都鎌倉、熟年の着物が似合う佳人でもケータイは似合う。繋がりたい人がいるなら。

                              

 

 
時雨の記

昔、日航機のよど号ハイジャック事件があった時、私の姉の通う中学の理科の先生が偶然この事件に巻き込まれた。
先生は父上が危篤ということで、実家に帰るためこの飛行機に乗り、人質にされてしまったのだ。そのため、とうとう父上の死に目に会えなかった。
 
'70年代当時、今ほど大学進学率は高くなく、特に地方では中卒で就職する人も珍しくはなかった。東京の大学に進学できるのは経済的に豊かな家庭の子に限られる。そんな恵まれた立場にありながら、破壊活動を続ける連合赤軍を始めとするテロリストというものに、子供の頃からうさん臭さと不信感を抱いていた。
(大体、「テロリスト」なんて言葉の響きがかっこよすぎる。珍走団みたいなカコ悪いネーミングはないものか)
 
そんなわけで、藤原伊織著「テロリストのパラソル」は私にとってうさん臭さ大爆発な小説であったのだが、読んでみるとこれがおもしろいおもしろい。
夢中で読み上げてしまった。
 
元東大の全共闘メンバーだった中年のバーテンを中心に、同じメンバーだった2人の男女の友人を絡めてのミステリー。いかにも70年代全共闘世代が好きそうなテーマではないか。
 
まずこの中年のバーテンの認識が甘い。他の2人にしてもそうだが頭は良いのだろうが、人生や人間に対する認識や考え方が甘すぎる。どうしてこんな頭でっかちな人たちが生まれたのだ。
 
また女の友人とその娘らが、しきりにこのバーテンに対してバカだグズだと ののしり、本人も自嘲的に私はバカだ頭が悪いだの言っているのが気にさわる。彼は東大出身というのを抜きにしても、頭の切れる男だ。
本当に頭の悪い人に失礼だ!
 
そしてこの小説は1995年に発表されたため、携帯電話やパソコン、茶髪といったディティールの扱い方が今読んでみるとなんかビミョーでおかしく感じる。
 
しかし、気に障るところも多々あるが、この小説は良い。
何故かと言うと文体が良いのである。まるで極上ウィスキーの香りのようだ。そして会話のテンポ、雰囲気も魅力的である。
 
キャラクターや細かいところでは気に入らない所があるのに、文体が魅惑的なために、いつの間にか読ませてしまう不思議な一冊だ。
 
ところで物語の中で、南米に逃げた友人が、看守から拷問された電気箱というくだりがある。その場面、イラク人質に対する米軍の拷問を思い起こしてしまう。
 
人は結局進歩していないのね。
 
 
 
 
 
 
雪だるま
テロリストのパラソル

何年振りかで神社に出かけ、おみくじを引いたらいきなり凶が出て動揺している。
私は占い等あまり信じない人間であるが、それでもこんなにへこむのだから、信心深い人だったらその心境はいかばかりであろう。
 
以前、九州玄界灘に浮かぶ沖ノ島周辺へ、ボートダイビングに行ったことがある。そこはとても良いダイビングスポットで、玄界灘特有の魚たち、ゆうゆうと泳ぐ大きなアラなど見ることが出来た。
 
沖ノ島は別名「海の正倉院」と呼ばれる神秘の島で女人禁制である。だから女たちはその島に上陸する事が出来ず、ただボートから見るだけだった。
(正式には男性もキチンと禊をしないと上陸は出来ないらしい)
 
女性が上がれない島を、私は屈辱的とは全く思わず、何か珍しい異国の宝石のような気持ちで見つめていた。
 
さて、今「女性天皇」がクローズアップされている。
天皇制については、はなはだ勉強不足のため言及することは避けるが、ただ素朴な思いとして、天皇は神道ということがある。
 
神道というと大仰な感じだが、我々日本人の伝統行事、お正月やお盆等ほとんどが神道と深く関わっている。そして神道では女性の生理や出産を穢れとして避けている。
 
今ネットで検索しただけのうすい情報だが、生理の間は7日間、お産は1ヶ月間、身を慎んでいなければならないらしい。そういえば赤ちゃんが生まれた時のお宮参りで、抱っこしているのはお姑さんだ。お嫁さんはまだ穢れているということか。
 
宮本常一氏「忘れられた日本人」は、日本中の山村を津々浦々フィールドワークしてきた著者が、そこで漏れ聞いた話や伝承を赤裸々に述べたものである。その中にこんなくだりがある。愛知県内のある村の話だ。
 
〜そうしてさわりがはじまるとそこへ(ヒマヤ)はいって寝起もし、かまども別にして煮炊きしたものであります。いっしょにたべたのではいえの火がけがれるといって。
〜月のさわりのときは、仏様へお茶湯をあげることもならず、地神の藪へは12日間もはいってはいけぬことになっておりました。
 
ヒマヤというのは生理中の女性が住む小屋で、一坪程のものだという。
 
上記で述べたことは、明治時代の出来事で現在と比較するのはナンセンスかもしれない。ただ、名もない貧しい村のお百姓でさえ、生理を穢れとして充分認識しているのであれば、神道の総本山ともいえる天皇家はどうであろうか。いくら平成の世になっても、根本的なところは変わらないのではないか。
 
過去、女性天皇は存在しているが、どれも跡継ぎに窮した上での、リリーフ的なものだ。
 
巷では、「男子に限る」というのは法の下の男女平等に反すると言われるが、元々天皇制なんで不平等の最たるものだし、民主主義からもっとも遠いものだ。
 
天皇制とはある意味曖昧で精神的な存在である。それに合理的な法律を合わせるのは無理かもしれない。だがその一方、国家予算として多大の税金が宮内庁に入っているのも事実である。
そして、天皇制の中で苦悩しているのはまぎれもない生身の人間だ。
 
あるカナダ人が言っていた「日本の天皇制が羨ましい」と。
カナダは歴史が浅く、天皇のような畏敬すべきものがないので、自分が根無し草のように感じるのだという。
 
さて、女性天皇が誕生するか、それとも天皇制解散となるか、それこそ神しか分らないのかもしれない。
 
  
    

忘れられた日本人

韓流ブームから、全く乗り遅れている。
 
ヨンさまは知っていても、もう一人の日本のお笑い芸人に似ている人(すいません、お笑い系も疎いんです。今日初めてテレビで波田陽区を見、感激したくらいですから、残念!)は名前も分らない。
 
職場の女性たちとおしゃべりをしていて、韓国ドラマが話題になった時、ただニコニコしてみんなの話にあいづちを打つだけなのは正直つらい。
私の住む地域では、午前中ほぼ同じ時間に2本の韓国ドラマを放映している。仕事がお昼からの私は、皆に「いいわねぇ、ドラマが見られて」と羨ましがられ、その度に、
「いえその時間は犬の散歩に行くので見られなくて〜」
と、わけの分らない言い訳をしている。
 
「冬ソナ」は見たことがないので何ともいえないが、私はNHKはおおむね良い仕事をしていると思う。実は今日一日、姪っ子たちに付き合って、久しぶりに民放テレビをずっと見ていたが・・・・・・・、一年の初めの大事な時期に、こんな番組ばかり流して良いのだろうか。
 
もしや地球絶滅を計る悪い宇宙人が、まず日本人を骨抜きにするために、わざとそんな番組を垂れ流しているのでは・・・・。
などと、星新一的妄想が頭をかすめたりする。
 
ところで私が、欠かさず見ている番組に、NHK教育の「ストレッチマン」と言うのがある。午前に放映される15分番組だ。
このストレッチマン役の男性のハイテンションにはいつも励まされている。そして養護学校教諭と思われる方の、悪い宇宙人役もうまい。
こんな番組、民放だとスポンサーがなかなか付かないだろう。NHKだからこそ出来る名番組だ。
 
やはりNHK番組は良い。こんにち色々な批判に晒されているが、ここで崩壊すれば、悪い宇宙人の思うつぼだ。がんばれNHK!
 
 
 姪とパソコン
姪
ストレッチマンあそびえほん

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