ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

自己啓発本が好きである。
特に目的もなく本屋さんに入ったときは、ついフラフラと「自己啓発」コーナーに足が向かう。
ハードカバーのベストセラーも良いが、気になってすぐ手にとってしまうのは文庫本サイズの自己啓発本だ。PHP文庫とか三笠書房が出しているようなやつ。とくに三笠書房の「知的生き方文庫」、キャッチコピーがすごい。
『週一回、本屋さんに行く人は、必ず何かやりとげる人です』!
まさに、ふだんはパッとしないが、心ひそかに自分には何かすごい才能があるのだという、根拠のない妄想を持っている人に、うってつけのキャッチフレーズではないか。
 
これらの本は駅の売店やコンビニなんかでも売ってあるので、出張に出たときや仕事で変にハイになった時、衝動的に買っては後悔している。同じ作者がタイトルだけ変えて似たような本をいっぱい出しているのもこの分野の特徴だ。
 
ところで、中谷彰宏さん、書店の自己啓発コーナーには必ず名前が出てくるが、この人一体何なんだろう。たしかバブルの頃「面接の達人」を出したのと、電通出身というのをなんとなく覚えているが、あとは謎だ。いつもコンスタントに著書を出しているのは、やはりニーズがあるからだろう。どんな人が買うのか、やはり根拠のない(以下略)
 
今は亡きナンシー関嬢は、この中谷さんを異常ににきらっていた。何もそこまで言わなくても・・・と、性格の悪い私でさえ同情するほど、ご自身の著書の中でぼろくそにけなしている。何がナンシー嬢をああまで憎しみに駆り立てたのか。あの無駄にハンサムな顔立ちがまずかったのか?
私はといえば、中谷さんの本は一行も読んだことがないので、何のコメントもない。せいぜい、ネタかぶらないでね。
 
代理猫

2年ほど前からお茶の稽古に通っている。だが、なかなか日暮れて道遠しという感じだ。先生は手取り足取り親切に教えてくれるような方ではない。いい加減な動きをすると容赦ない叱責が飛んでくる。正直楽しみよりも辛さの方が多いが、これも修行と思いややマゾ的な気分で稽古にのぞんでいる。お茶の真髄が何なのか、知識ではなく体で会得したいのだ。今わの際までに分るだろうか。

お茶に興味を持ったのは、好きな歴史物語を読むうち、なぜ戦国時代の武将がお茶に傾倒していったのか知りたかったからである。明日の命もしれない武将たちがなんで、たかが抹茶ごときに夢中になるのか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、その他多くの戦国大名たち、そして彼らの茶の師は千利休だった。そして利休はしばしば政治にも口を出したらしい。たかが町人の分際で。

海外で名をあげた武将たちが、日本の茶道にあたるような何かに夢中になったという話は知らない。英雄色を好むで、女遊びもしくは男色にふけるのはよくある話だが(それは日本でも勿論あるが)

さて有名な岡倉天心の「茶の本」だが、意外とページ数も少なくて読みやすい。お茶の本となるとまずこれが基本だろう。そして下世話な話になるが、あとがきで天心のスキャンダラスな話を知って驚いた。勝手に清廉潔白なイメージを持っていたわけだ。でも本来お茶は男の道楽、それもいつ寝首を取られるかもしれないという緊張の中で育み育てられた道楽だ。清廉潔白なんて悠長なことは言ってはいられない。

「茶の本」は、日本文と英文併せて載せてある本もあるので、日本文化に興味のある外国人に喜ばれると思う。私もカナダ人の英会話講師のクリスマスプレゼントにしよう。

 

着物

ああ、年金が蜃気楼のように、手を伸ばすとすっと遠ざかって行く・・・。
受給時期が、60歳、65歳、70歳と・・・。
 
昭和50年代、高校を卒業し、ある会社に就職した私はそこで社会保険関係の事務を担当することになった。そしてそこの上司からこんなことを言われた。
「今老齢年金を受け取っている人は少ないし、いてもそんなに長生きする訳じゃないから年金財源はとても余っている。だから年金会館や娯楽施設を今たくさん作っているんだよ」
私は思った。確かにこの時期、60歳代の人は少ない(戦死した人が多いから)しかも団塊の世代はちょうど30歳の働き盛りだ。黒字になるのは当り前だろう、だがしかし・・・
「今子供の出生率は減っているというし平均寿命も延びている。今30代の人が老人になったら大変なことになるのでは・・・」
「あ、でもこんな高卒の18歳の女の子でさえ思いつくようなこと、役人のお偉いさんはちゃんと考えているに違いない・・・」
 
全然考えてないぢゃん!
 
当時は脱退手当金というのもあった。女の子が退職したとき、今まで支払った厚生年金保険料を返してもらえるシステムだ。お気楽なOLさんたちはそのお金で、海外旅行に行ったりしていた。
 
なんでせっかく天引きした保険料をわざわざ返すねん!
 
腐った組織って化け物のようだ。ごく当り前の真っ当な意見が、このお化けにぺろりと飲み込まれてしまう。社会保険庁の中にも優秀な人はたくさんいたはずだが、この組織の中で消されてしまったのだろう。
 
沼上 幹さんの「組織戦略の考え方」を読むと、組織を維持するのはむづかしいなとつくづく思う。だがたとえば官僚組織にも良い点は多くあり、基礎である組織がしっかりすればこそ、創造性や戦略性が生まれるという意見には大賛成である。日本的経営が注目された時期もあったのだから。
 
別の意見だが、私は日本人の働き好きも組織を歪ませる一因ではないかと思う。
例えば先の年金だって、どこか安定した所で確実に運用させるだけなのが一番良いのに、日本人にはそれができない。やたらと何たらホールやらグリーンピアを計画し、地方を見て周り、着工を決め、竣工式にぞろぞろ出席し、たまに業者の人の接待を受け、笑い、汗を流し・・・。
とにかく働きたがるのだ日本人は。でも結局は変なハコモノを作るよりも、確実なところに運用をまかせて、あとは鼻毛でも抜いていてくれた方がよっぽど良かった。大石内蔵助のようなトップはいないのか。
 
税金ドロボーだ昼行灯だとののしられようと、国益のためならあえて動かない、動かさない、そんなトップに憧れる。
 
空
組織戦略の考え方―企業経営の健全性のために

今年の日本は自然災害が多かったが、特に被害が甚大なのは、新潟中越地震であろう。
余震は収まったが、これから雪の季節、被災者の気苦労はいかばかりであろうか。
 
新潟中越は米どころ、また酒造りが有名だが、織物の産地としても名が知れている。
塩沢紬、十日町紬、小千谷ちぢみ、また重要文化財の越後上布など。着物に興味のない方にとっては名にそれ?って感じだが、私にとっては憧れの着物ばかり。
特に越後上布なんて値段が私の年収より遥かに高く、また夏以外は着られず、さらに織りの着物だから結婚式のような正式の場にも着られないのだ。まさに究極の普段着。
こんな非合理的な商売だから、作り手は年々減っていき、高齢化が進んでいる。それにこのたびの地震が追い討ちをかけた。
 
着物って割に合わないなぁと思う。今の時代真冬にノースリーブを着ても何も言われないのに、こと着物だといちいち細かい季節の決まり事がある。そしてやっと着付け終わって外出すると、たちまちお直しおばさんたちの手が伸びて帯や襟元を直しまくる。(お直しおばさん=命名中野翠)ちょっとぉ、そりゃ私は着付けは下手ですよ。でも親切めかして人の体、勝手に触らないでよ。
・・・こんなにシンドイ思いをするのに、それでも着物に惹かれるのはなぜだろう。
 
さて清貧のため高価な着物が着られないので、その代償行為として着物に関するエッセイを貪り読んでいる。どれも楽しいが特に好きなのは宮尾登美子さんの「きものがたり」だ。まず写真が良い。四季折々の着物を着た宮尾さんがとてもチャーミングだ。そして一枚一枚の着物の想い出を綴っている。歌会始の加賀友禅や美智子皇后に褒められた宝づくしの訪問着から、何度も質屋を往復させた大島まで。宮尾さんの少女時代、着物は今のように不自由ではなく、よそ行きは洋服で、家では着物でくつろいでいたという。
 
近い将来リタイヤしたら着物の生活をしたい。こざっぱりした普段着の着物で買い物に行ったり魚を焼いたりするのが夢だ。
そのためにも少しずつ着物を増やさなくては。
 
新潟中越のみなさん、織物復興を心より祈っております。
 
 
 冬景色

社長日記のほりえもんさん、グルメですねぇ。あまたの有名料店で召し上がり、自らもまめに食材を吟味しては手料理をなさっている。たまには"今日はお茶漬けだけ"の日はないのか。まぁ食い物は万人向けの話題だし悪いことではないのだが、グルメではない人間にはちとつまらない。
 
そう私はグルメではないのだ。温かいご飯と漬物、お茶があればいい(人によってはそれもグルメと言うが)。美味しいものを食べるのはもちろん好きだが、そのために膨大な時間と手間を費やしたいとは思わない。だが今の時代、そんな人は少数派ではないだろうか。
特に20歳をすぎたいい年の女性が「私料理が出来ない」と宣言するのは大変な勇気がいる。どれくらい勇気がいるかと言うと、「私はセックス大好き!」と宣言するくらい・・・は大袈裟だが、まぁそれくらいだ。バリバリのキャリアウーマン(死語)でさえ趣味は「料理」というのは多い。というか出来る女ほど自分は料理好きっているのをアピールしたがっているように思う。料理が下手な女は軽蔑の対象になりえるのを、彼女たちは熟知しているのだ。
 
林望著「イギリスはおいしい」
実はリンボウさんのあまりのイギリスまんせーな姿勢に辟易して最近はほぼ斜め読みしかしないのだが、この本はいい。
まずイギリス人たちの料理に対する雑駁な姿勢が好きだ。
今食べている物の味やなんかを、ちまちま吟味するのではなく、料理なんてそれこそ刺身のつまで、それを囲んでのコミュニケーションこそ大事なのだ。いいなぁ。
それにつけても思い出すのは子供の頃。家に客が来ると、母は殆ど会話には参加せず、ひたすら料理を作っては台所と茶の間を往復していた。「せっかく来たのに、なぜ一緒にお話をしないのだろう」お客が帰った後、大量に残ったご馳走を見ながらいつも思ったものだ。
 
ところでもうすぐお正月だが、私はおせち料理が大好きだ。決して料理上手ではないが、あのちまちまとした作業、そしてひとつのお重が出来上がったときの達成感がたまらない。プラモデルが完成したときの感動に似ている。
 
料理は清潔でバランスの取れたものをシンプルに、もしくは遊び感覚で。それで充分だ。
 
 
 
見返りねこ
イギリスはおいしい

観覧車ずっと対人恐怖症だった(と言うか今も)

他の人と同じことをしても、なぜか私だけ嘲笑の対象になる。

小学生の頃、休み時間一人ぽつねんと、笑いさざめきながらボール遊びに興じる少女たちを見ている。どうしてみんな上手にボールを扱えるのだろうか。すると親切な子が○○ちゃんもいっしょにあそぼ、と声をかけてくれる。嬉しさよりも恐怖が先に立つ。わかるのだ、ボールを上手く扱えず、無様な姿を晒して皆に笑われる事が。でも誘いを断ると、親切な子から意地悪を言われる。

ああみんなと同じように屈託なく遊びたい。切なる願いだった。

トオマス・マンの「トニオ・クレエゲル」を読んだのは大人になってからだが、もし思春期のとき巡り合っていたら少しは楽になっていただろうか、それともより深い底へ落ち込んでいっただろうか。

金髪碧眼のインゲボルクとハンスの凡庸なる美しさを、憧れをもって愛し続ける芸術家肌のトニオ・クレエゲル。

私の周りにも多くのインゲボルグやハンスがいた。明るくて屈託がなくて恋をし、部活で汗を流し、先生からは親しい名で呼ばれ、試験に頭を悩まし・・・。なんの疑問も持たずに生活を謳歌できるなんて、幸せな人たちだ。

だが大人になった私は気がついた。人の心というのは他人には計り知れないのだ。どんなに明るく見える人であろうと。インゲボルグやハンスに心の闇がなかったとは断言出来ない。

一見なんの不満もなさそうな人が突然自殺を図ったりするのは珍しいことではない。

そして私はこうも断言できる。

芸術的才能のないトニオ・クレエゲルだっているのだ(トホホ)

   


トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す

子供の頃から、着物に憧れていた。テレビの時代劇でもつい着物に見入ってしまう。特に好きなのは、高貴な方がお召しになる打ち掛け姿だ。
金糸銀糸に縫い取られた艶やかなそれを、重たげに身に纏う臈たけた女たち。それは高い身分であると共に、不自由さの象徴でもあった。
 
そんな訳で、今テレビで放映されている「大奥」とても興味があるのだが、時間の関係で見られないのが残念。ところで、私が小学生の頃、やはりフジテレビで「大奥」というドラマがあった。元祖大奥は、土曜の10時から、岸田今日子さんのナレーションで、出演者もそうそうたる人たちだった。
確かお万のかたを佐久間良子さん、将軍吉宗を松方弘樹さん、皇女和宮を美空ひばりさんが演じていた。内容も、忠臣蔵や洋画「レベッカ」のパロディみたいなのがあったり、とても良く出来たドラマだったと思う。
 
着物姿の美しい佳人が出てくる小説はあまたあるが、印象深いのは、三島由紀夫著「午後の曳航」に出てくる房子だ。
彼女の13歳になる息子登は、ある日の母をこう描いている。
 
きのう船の中を登のためにあんなに親切に案内してくれた二等航海士の塚崎を、お礼の夕食に招んであるのだと母は言った。出かけるときの母は臙脂の下着に黒絹のレエスの着物を着て、白の絽つづれの帯を〆めて、たとえようもないほど美しかった。
 
あのぉ、たかが見学のお礼くらいで、そんな今にもしどけなく溶けてしまいそうな着物を着ていく?奥さん。
 
房子は後家の腕まくりで、有名老舗洋品店を切り盛りしている女主人だ。
普段はハイヒールの音も高らかに仕事をこなしているのだろう。
高級な洋服も多く持っているのに違いないのに、塚崎との逢瀬であえて頼りなさげな着物を選んだ審美観には感心する。
そしてこの逢瀬がきっかけで、物語は破滅へと進んでいく。
 
 

山茶花美しい未亡人、謎めいた二等航海士、頑なな少年と、一見ベタすぎる登場人物たち。

だから結末の逆転劇が(悲劇だけれど)際だつのだ。そして着物姿の美しさだけが心に残る。

 

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