ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

初めて“ホモ”なる言葉を知ったのはいつだったか・・・。
たしか小学生の頃、TV「日曜洋画劇場」で、アランドロンの「太陽がいっぱい」が放映されたとき、解説の淀川さんが、
「実は、彼はホモだったんですねぇ〜」とのたまい、思わず「ほも?ホモ牛乳?」と頭の中を疑問符がかけめぐり、だが本能的に「これは親には聞けないことだな」とさとったものだ。
 
数年後、伊丹十三著「女たちよ!」の中にこんなくだりをみつけた。ピーター・オトゥールに関することで。
 
〜しかも予想に反してホモ・セクシャルではなかった(ピーターが)
 一体に外国、ことに英国の俳優にはホモ・セクシャルが多い。ホモ・セクシャルのことを俗語でクイアというが、クイアの名を挙げ始めるときりがない。一大スター名鑑ができあがってしまう。
 
1960年代、まだ一ドル360円で、海外が憧れだった時代、“ホモ”って、なんと甘味な、異国の香り漂うものなのか。
その後、三島由紀夫の小説を読み始め、「仮面の告白」そして「禁色」で決定的になり(なにが?)私の読書のカテゴリーの中に「ホモ・セクシャル」は定着し、今では重要なポジションを占めている。
だが、決してヤオイ系に流れることはなかった。女にはわからない男の世界を、たとえ冗談でも、笑いのネタにするのはいやだからだ。一歩下がって、謙虚な気持ちで見ていたいと思う。
 
それにしても、この「女たちよ!」は面白かった。選ばれた人だけが持つ、センス、プライドが隅ずみまで行き渡っている。
 
だから伊丹十三初監督「お葬式」を観たとき、心底失望した。
あんなヨーロッパ的美意識を持った人がなぜ、こんな映画を。
まさしく伊丹さんが軽蔑していた“日本の薄汚さ”満載だ。
予算とかの関係もあるのかな。でも低予算でもセンスの良い映画は作れる筈だ。なんだかなぁ。
 
ところで、私が英会話を習っているカナダ人の先生は「たんぽぽ」の大ファンで、「アレハ、スグレタ、ニホンノこめでぃネ」と絶賛している。
確かにあれは、日本語わからなくても、意味わかるよね〜。とへんに納得。
 
ps 相撲の技(?)、猫だましも、「女たちよ!」の中に紹介されている。
舞の海は、これを読んだ事があるのだろうか。
 
 
 
 
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師走なのに暖かい。温いのが好きな私としては、このまま暖冬がつづけばと願うばかり。でもさすがに風は冷たいので、外出の際は薄手のトレンチコートを羽織る。
このトレンチコートというのは、元々第一次世界大戦時の塹壕戦にそなえて、英国陸軍が作ったと聞く。当時の塹壕戦は、筆舌に尽くしがたい、悲惨なものだったらしい。 以前、NHKの「映像の世紀」でシェルショック(塹壕戦の後遺症、今で言うPTSDか)の元兵士たちの映像をみたが、かなりショッキングなものだった。
そんな重い歴史を持つトレンチコートを、今じゃ極東のノーテンキ女が着ているんだから・・・。
 
J・L・カー著『ひと月の夏』は、シェルショックを持った英国青年が主人公だ。彼は奥さんにも逃げられたばかり。泣きっ面に蜂というか、踏んだり蹴ったりと言うか。
そんな彼が、教会の壁画修復の仕事のため、ひと月ある田舎の村へやってくる。
登場するのは風変わりな相棒、純朴な村の人々、魅力的な牧師の奥さん・・。そして彼の人生を変える出来事が!
 
それが何も起きないんですよね。
もちろん小さい事件はたくさんあるし、実際ドキドキしたシーンもあったけど、ひと月、誠実に仕事をこなし、そして帰っていくだけ。
正直、胸が締め付けられそうでした。どうして、って。
どうして彼は幸せを求めないのだろう。彼の無常観というか諦念はどこから来ているのだろう。
傷つき、打ちのめされた人間は、諦めることに安らぎを見出すのだろうか
ある意味、日本的な、ほんとうに日本的な物語。
読後感は、カズオ・イシグロの「日の名残り」に通じるものがあった。
あるいは小津監督作品のような。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一輪咲き続きを読む

よそ様のブログを拝見すると、とても写真が美しい。私も、と思うのだが、写真を挿入するやり方がわからない。というか、そもそもデジカメからPCに取り込むことさえ出来ない・・・。
 
こんなPC音痴というか、PC障害者でさえ、ネットに参加する事ができるのだ。良い時代になったもんだ。
 
初めて、ダイヤルアップでインターネットに接続出来た時の感動は、今も忘れられない。さしずめその時の気持ちは、映画「奇跡の人」で、ヘレン・ケラー役のパティ・デュークが叫んだ『ウォー』そのものだ。
 
有名なシーンだが、ヘレン・ケラー著「わたしの生涯」の中では、その部分は重要ではあるが、サラリと描かれていたように思う。
 
この本で印象深いのは、「美しい」という言葉が、多く出てくることだ。
庭の草花の美しさ、四季の移り変わりの美しさ、人の美しさ。
ヘレンは感性をどのように磨いていったのだろうか。
 
また思いがけない事実も多く知らされる。
 
電話を発明したベル博士が、実は盲聾唖の人たちの深い理解者で、そもそもヘレンとサリバン先生の出会いにもベル博士が深く関与している事。
 
ヘレンは少女時代、盗作疑惑を起こしている(彼女の創作した小説等がないのはその事件の後遺症か?)
 
一時期、お金に困って、寄席芸人として舞台に立ったことがある等々。
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ニック ホーンビーの「よい人になる方法」買おうかどうか思案している。「迷うことないじゃん。文庫本だしぃ」と思われるむきもあろうが、ちょっと待った。思案しているのは清貧だから・・・だけではない。当方老い先短い身ゆえ、つまらぬ本に時間を費やして人生無駄にしたくないのだ。ネット上の書評だと評判はいまいちのようだが、どうなんだろう、確か初の女性主人公の一人称だよね、う〜ん。結局こんなにうじうじ考え込むのが一番無駄な気がするが。

年を取ると懐古的になるのは自明の理というものだ。ホーンビーの「ハイ フィデリティ」はそんな初老の気持ちを上手にくすぐってくれる。映画の方を先にみたのだが、本はとにかくあの注解大爆発に感動してしまった。訳者の森田さんはきっと本文より注解の方にエネルギーを注いだに違いない。ニックや森田さんと同じ世代なので出てくる音楽や文化、風俗など(英国のTV番組などはちとわからなかったが)うなずく事ばかり。久しぶりに専門家の悦びを味わうことが出来た。ただし私は部屋にピーター・フランプトンのポスターを貼っていたが。アイム イン ユー いいじゃん。


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薄給でした。薄給です。薄給なのです。

低賃金、且つ不安定なパートタイマーという業種のため、「節約」というキーワードには、機敏に反応する。ネットの節約サイトを渡り歩き、多くの知恵を拝借するのもしばしばだ。そして思う。          

「どうして皆さん、そんなに立派なんですか!」

詳細な家計簿、安くて美味しいレシピ、底値意識、しかもその生活を楽しもうとしている。私らバブル時代ボーと過ごしてきた、ユルイ世代は、ひたすら見習わなくてはならない。

だが、一つだけ、どうしても賛同できないものがあるのだ。

           

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読書って役にたつのだろうか。 今も昔も年寄りは、青少年の読書離れを憂いている。私は40代だが、今から30年以上前、私が小学生の頃も「最近の子供はテレビっ子で全然本を読まない」と大いに嘆かれたものだ。何の事はない。5千年前、楔形文字に書かれた頃と同じだ。 さて、読書って本当に役に立つのだろうか。 私は思うのである。続きを読む

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