観覧車ずっと対人恐怖症だった(と言うか今も)

他の人と同じことをしても、なぜか私だけ嘲笑の対象になる。

小学生の頃、休み時間一人ぽつねんと、笑いさざめきながらボール遊びに興じる少女たちを見ている。どうしてみんな上手にボールを扱えるのだろうか。すると親切な子が○○ちゃんもいっしょにあそぼ、と声をかけてくれる。嬉しさよりも恐怖が先に立つ。わかるのだ、ボールを上手く扱えず、無様な姿を晒して皆に笑われる事が。でも誘いを断ると、親切な子から意地悪を言われる。

ああみんなと同じように屈託なく遊びたい。切なる願いだった。

トオマス・マンの「トニオ・クレエゲル」を読んだのは大人になってからだが、もし思春期のとき巡り合っていたら少しは楽になっていただろうか、それともより深い底へ落ち込んでいっただろうか。

金髪碧眼のインゲボルクとハンスの凡庸なる美しさを、憧れをもって愛し続ける芸術家肌のトニオ・クレエゲル。

私の周りにも多くのインゲボルグやハンスがいた。明るくて屈託がなくて恋をし、部活で汗を流し、先生からは親しい名で呼ばれ、試験に頭を悩まし・・・。なんの疑問も持たずに生活を謳歌できるなんて、幸せな人たちだ。

だが大人になった私は気がついた。人の心というのは他人には計り知れないのだ。どんなに明るく見える人であろうと。インゲボルグやハンスに心の闇がなかったとは断言出来ない。

一見なんの不満もなさそうな人が突然自殺を図ったりするのは珍しいことではない。

そして私はこうも断言できる。

芸術的才能のないトニオ・クレエゲルだっているのだ(トホホ)

   


トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す