あまり絵画のことは詳しくないが、フェルメールの絵はいいなと思う。本物はまだ見たことはないが、素人でも威圧感なしに見られる静謐な暖かさと、色彩、特にブルーや黄色の美しさに惹かれる。
 
フェルメールの数少ない作品のうち「青いターバンの少女」は中でも異彩を放っている。まず他の作品が、いかにもふっくらした17世紀の女なのに対し、「青いターバンの少女」は顔立ちが今風というか、現代の女の子の顔立ちだ。そして絵に描かれていることを意識した表情、変な例えだがアラーキーとモデルの女の子みたいな、人間的な関わりを感じるのだ
 
映画「真珠の耳飾りの少女」は、この「青いターバンの少女」をモチーフにした映画である。私は映像が素晴らしければ、どんなつまらない内容でも満足する得な性格だが、この映画はまさしく映像も内容も素晴らしい、大満足の作品だ。
 
フェルメールはここでは、絵を描くことと子供を作る(!)ことしか出来ない甲斐性なし男として描かれている。その妻は、ひたすら子供を産み、妻であること以外は何のとりえもない凡庸な女。ただそんな女特有の鋭いカンで、奉公に来た少女グリートを憎むようになる。
 
フェルメールとグリートが、画材の調合をするシーンは微笑ましい。当時は市販の絵の具なんてないわけだから鉱石や顔料などで調合するのだが、芸術家にとって自分だけの色を創り出すのは大きな悦びだろう。その喜悦を共有するうちに少女は主人を「男」として意識するようになる。
 
2回グリートが主人に「タメぐち」するシーンがある。泥棒の疑いをかけられた時の「help me」と耳にピアスを入れる時の「do it」。このときの少女は完全にフェルメールを「男」として見ている。そしてまたピアスをあけるシーンの、まあエロティックなこと。あの痛みと切なさを味わってしまったら、もうこの屋敷にいることは生き地獄だろう。追い出されて良かったのだ。
 
「青いターバンの少女」は、はからずも「少女」を「女」へと開眼させた象徴として描かれているが、あの絵を見たら、色々と想像力をかき立てられるのが当然だろう。そんな作品を残してくれて、ほんとにありがとう!
 
  
   
 

真珠の耳飾りの少女 通常版