薔薇はてしなき議論の後の

冷めたるココアのひと匙を啜りて、

そのうすきにがき舌触りに

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。(石川啄木「ココアのひと匙」より)

今、チョコレート職人を「ショコラティエ」と呼ぶそうな。フランスのカリスマショコラティエが来日して、某デパートにファンで殺到したという話も聞く。ちなみに洋菓子職人はパティシエだと。プププ。

何か不味そうじゃないか外来語にしたら。菓子職人チョコ職人でいいじゃん。

辻静雄さんが著作「フランス料理の手帖」の中で敬愛している、フランスの菓子職人トローニャ爺さん。彼はどんなに有名になりエリザベス女王やヴァチカンの法王が注文するようになっても、相変わらず狭い店の中で、チョコでべったりよごれた前掛けをしてコツコツ仕事をしている。

彼のことを日本人が“ショコラティエ”などと呼んではいけない。「チョコレート職人」である。何でもかんでも外来語にすればいいもんじゃない。

とまあ、年寄りの繰言はここまでにしておこう。言葉は世の流れによって変化していくものだ。外来語が求められ昔の日本語が淘汰されるのも、ごく自然の流れなのだ。確か金田一晴彦先生もそのような事を言っておられた。

ただ思うことだが、コンピュータ用語でさまざまな英語が使われる中、websiteのwebmasterだけはいまだに「管理人」と呼ばれている。「私がこのHPのウェブマスターです」とか「マネージャーです」と述べているHPを見たことがない。みんな「管理人」だ。HPの来訪者も親しみを込めて「管理人さん」と呼ぶ。

「管理人」という言葉は、例えば農業を営んでいる人が「私は百姓で」とか作家が「私は物書きで」と言うような、謙遜と誇りが入り混じった、とても良い呼び名だと思う。これから先コンピュータがどんなに進歩しようとも「管理人さん」という呼称は消えてほしくない。

「管理人さん」という言葉が愛される理由としては、もう1つ高橋留美子さんの「めぞん一刻」の影響もあるのではないか。

この漫画で思春期、青春期をおくった世代が、今時代の中枢にいる。将来は分からないが、この世代がいる限り「管理人さん」という呼び名は消えないだろう。そう願っている。

    


めぞん一刻 (1)