マテリアルガール谷崎潤一郎の「痴人の愛」を初めて読んだのは高校生の時だった。当時は、ロリコン、フェチ、マゾなんて言葉を知らなかったから、この小説で繰り広げられる耽美な世界に「何じゃこりゃ?」と思いつつも夢中になったものだ。

それにしても大正時代は、普通の勤め人が、15歳の少女を住み込みの女中として堂々と雇うことができ、それに対して世間から白い目で見られることもなかったのだ。まさにロリ垂涎の世界である。平凡な28歳の電気技師である河合はナオミと出合って人生が変わる。

15歳の少女を相手に活動写真の真似をしたり、お風呂に入れてあげたり、勉強を見てあげたり、さぞ楽しかったことだろう。彼女の方も、勉強でおこられると「河合チェンチェイ、堪忍して頂戴な」と甘えたりして、ツボは心得ている。

思うに、これだけ肉体だけ、外見だけ愛する男も珍しい。人間性なんていっさい考えていないのだ。変な言い方だが、彼女を“物質”としてみている。最初のうち、一生懸命勉強をさせるのも、人前で見せびらかしたいため。俺はこんな美人で教養のある女を連れているということを。

子供は親の言うことはきかないが親の真似はする。ナオミは恐ろしいモンスターとなったが、それはすべて親である河合の姿を反映しているのだ。

だれかナオミを真顔で叱ってくれる人はいないのか。男を自由にもてあそぶ彼女は、実はとても不幸な女だと思う。

    

 
痴人の愛