今、司馬遼太郎の「街道を行く 愛蘭土紀行」を読んでいるが、とてもおもしろい。文学的なことが多すぎるきらいはあるが、(著書の中でも言われていた)こんなにキャラの立った国民性もめずらしい。特に興味を引いたのは「アラン島」だ。

一枚岩のような島で、土壌がほとんどなく、生活の手段は、木の葉のような船に乗って魚を捕るしかない彼ら。著者の友人のこんな言葉があった。

「人間もタンポポもおなじなんですね。種子が落ちたところが極楽だとおもって住んでるんですね。たとえ極楽だとおもわなくても、勇敢に住みつづけるんですね。そこが人間の偉大なところですね」

まさに哲学的な生き方ではないか。

さて、毛糸編みにとって、アラン島は憬れの地である。かのアランセーター、島の女が夫や息子たちのために編むそれは、家々によって網目模様に違いがある。海で遭難した時、セーターの模様で、どこの家の者かすぐ分かるように。死は日常生活の一部だったのだ。

普通のメリヤス編みのセーターでさえ、網目を間違えるへっぽこニッターにとってアランセーターを編み上げるのは夢の又夢だが、がんばっていつの日か完成させたい。

ただ不思議に思うのは、苦しい生活の中で、アラン島の女たちは毛糸をどうやって手に入れたのだろうか。お隣のアイルランド本島から買ったと思うが、当時はアクリルやナイロンなどなかったし、純毛の毛糸って高いのでは。それとも祖父の着ていたものをほどいては編み、ほどいては編みを繰り返していたのかな。

 

ところで、著者がかの地を訪問したのは1987年頃で、当時は大変な不況で失業者が溢れていたが、今アイルランドは好景気だ。そしてアラン島も最近、観光客が世界中から訪れているそうな。

観光客のおかげで、島民が潤うのは良いが何だかなぁ〜。あのざっけない国民性の彼らにホスピタリティは期待できるのか?

やはりアラン島は遠くにありて想うものだ。

 

冬木


アラン島ほか