ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年02月

料理自慢の人間って、どうも苦手だ。

その1人が私の姉。突然家にやって来ては、食事の準備が済んでいるにもかかわらず、「特産の○○を持ってきたから」と勝手に山のように料理を作り、自分はとっとと帰っていく。少人数の、それも食の細いわが家族は途方にくれるばかり・・・・。

また、以前招かれた家では、「あ、○○の手作りパンがないから買ってくるわ」とか「もうすぐ友人がドイツ製のなんたらワインを持ってくるので待ってて」とか、やたらもったいぶる。

招かれておいて申し訳ないが、お客よりも料理が主役のパーティーには興味がない。宅配ピザを頼んでくれた方が、よっぽどうれしい。

さて、小説の中の料理上手な女性と聞いてまず思い浮かべるのは、P・コーンウェル著、検視官シリーズのケイ、逆に下手なのは、スー・グラフトン著、私立探偵キンジーだ。

ケイは特にイタリア料理が得意。というかこの人何でも出来るので、完璧すぎてつまらない。

一方、キンジーは、せいぜい作るのがチーズを挟んだサンドウィッチぐらい。おなかが空くと、近所の愛想の悪いハンガリー人のお店に食べに行く。

キンジーは、べたべたした人間関係を嫌い(でも決して人間嫌いではない)、独立心が強く、身の回りを飾り立てない。無駄のないシンプルライフをおくっていながらギスギスしていないのは、彼女の住むカリフォルニアの空のような、明るい性格のせいだろう。

食べることはもちろん人生の楽しみの一つだが、やたら時間を使い気を使って珍味を食すより、キンジーと一緒に明るい空のもと、わいわい楽しく、安物のワインやピザを食べてみたいものだ。

    


証拠のE

先日バスに乗っていたら、前の席の女性が、1人で、しきりに憤慨してしゃべっている。借金を返せ、これ以上人に迷惑をかけるな、とか。「もう〜、バスの中でのケータイはやめてよねぇ」と思ってよく見ると、何も持っていない。

どうやらその借金踏み倒し男は、彼女だけしか見ることが出来ない人のようだ。

服装などごく普通のその女性は、さんざん借金男に説教し社会への更生をすすめながらも、目的地に着くと、キチンと小銭を払ってバスを降りていった。

「病気だから」と分かっていても、まわりが引いてしまうのは仕方ない。どうか早く借金男が消えて、彼女が楽になりますように。

さて、映画「ビューティフル・マインド」のDVDを今更ながら見た。いかんせん、ラッセル・クロウに知性のきらめきが感じられなくて残念だったが、見ごたえのある作品だ。

実際のジョン・F・ナッシュ氏は、上品な美しい顔立ちで、若い頃はラッセル・クロウよりはるかに美青年だったのではと推察する。

統合失調症に苦しみながらも数学の世界を切り開いた氏、そして支え続けた妻には心から感動した。

著名な作家や画家で、この病気に苦しんだ人は数知れない。もちろん一般の人も多い。ごくありふれた病気なのだから。

 

先の女性も、街中をケータイでしゃべる人たちも、きっと神様の目から見たら同じだろう。

    桜


ビューティフル・マインド ― アワード・エディション

老父の白内障がひどくなったので、「泥棒を捕らえて縄をなう」と、笑われそうだが、目に良いといわれるブルーベリーを買いに出かけた。

あいにく本物のブルーベリーは見つからなかったが、ドライフルーツになった分とジャム、そして薬局でサプリメントを買って来る。

何しろ父の唯一の趣味は、憤慨する口実を与えてくれるテレビのニュースや討論番組を見て、一緒に文句をたれる事。そのテレビが見られなくなるのは忍びない。

さて、そんな昭和一桁世代の父は、ほりえもんのファンである。この世代はなぜか団塊の世代をはげしくきらい、若いもんを応援したがる。上と下に挟まれ、ベビーブーマーも大変だ。

ニッポン放送の亀淵社長は、団塊の世代に入るのかな。最近のテレビニュースで、この人のニュース映像を見るたびに感慨にふける40代後半〜50代の方は多いのではないか。

’70年代、ニッポン放送「オールナイトニッポン」の創生期、カメカメ&アンコーは、一世を風靡した。今でいえばカリスマDJか。そのカメちゃんが今の亀淵社長、アンコーさんこと斉藤さんは、「オールナイトニッポン エバグリーン」で司会をしておられる。

進取の気風あふれる亀淵さんだが、現在は責任ある社長の立場。フジテレビとの長い信頼関係もある。既得権益に固執する老害と、若いIT世代に挟まれて苦しそうだ。カメ&アンコーのラジオを聞きながら受験勉強をした、40〜50代のサイレント・マジョリティーはみな、亀淵社長に同情的だと思う。ほりえもん、ちょっと苦しいかも。

 

このせめぎ合い、最終的にはどうなるのか「泰山鳴動して鼠一匹」そして誰かが漁夫の利を得るような悪寒が・・・・・。

 

サッカー


ザ・フォーク・ソング・アンソロジー〜オールナイト・ニッポン篇〜

今、司馬遼太郎の「街道を行く 愛蘭土紀行」を読んでいるが、とてもおもしろい。文学的なことが多すぎるきらいはあるが、(著書の中でも言われていた)こんなにキャラの立った国民性もめずらしい。特に興味を引いたのは「アラン島」だ。

一枚岩のような島で、土壌がほとんどなく、生活の手段は、木の葉のような船に乗って魚を捕るしかない彼ら。著者の友人のこんな言葉があった。

「人間もタンポポもおなじなんですね。種子が落ちたところが極楽だとおもって住んでるんですね。たとえ極楽だとおもわなくても、勇敢に住みつづけるんですね。そこが人間の偉大なところですね」

まさに哲学的な生き方ではないか。

さて、毛糸編みにとって、アラン島は憬れの地である。かのアランセーター、島の女が夫や息子たちのために編むそれは、家々によって網目模様に違いがある。海で遭難した時、セーターの模様で、どこの家の者かすぐ分かるように。死は日常生活の一部だったのだ。

普通のメリヤス編みのセーターでさえ、網目を間違えるへっぽこニッターにとってアランセーターを編み上げるのは夢の又夢だが、がんばっていつの日か完成させたい。

ただ不思議に思うのは、苦しい生活の中で、アラン島の女たちは毛糸をどうやって手に入れたのだろうか。お隣のアイルランド本島から買ったと思うが、当時はアクリルやナイロンなどなかったし、純毛の毛糸って高いのでは。それとも祖父の着ていたものをほどいては編み、ほどいては編みを繰り返していたのかな。

 

ところで、著者がかの地を訪問したのは1987年頃で、当時は大変な不況で失業者が溢れていたが、今アイルランドは好景気だ。そしてアラン島も最近、観光客が世界中から訪れているそうな。

観光客のおかげで、島民が潤うのは良いが何だかなぁ〜。あのざっけない国民性の彼らにホスピタリティは期待できるのか?

やはりアラン島は遠くにありて想うものだ。

 

冬木


アラン島ほか

通勤バスの車窓から、封鎖された工場の水槽タンクを眺めるのが好きだ。ぽつねんと立っているそれは、朝、夕と雰囲気が変わり見飽きない。まるで映画「バグダッドカフェ」のワンシーンのよう。思わず工場内に入って、モップで掃除がしたくなる。

廃墟を見ると心が安らぐ。ガランとした工場、けむりの消えた煙突が、真赤な夕陽を背景にそそり立つさまは、心底しびれる。無機質なのに、不思議と大自然と溶け合っている。

私の住んでいるK市は工業都市だから工場跡地や古いコンビナートはたくさんあるが、いかんせん、なかなか同好の士が見つからず欲求不満の日々を過ごしている。一人でうろうろするのは危険が多いし、不審者と思われても困る。思い切って「廃墟の市ツァー」を募集しようか。

廃墟が良いのは、激しく人の想像力を掻き立ててくれる点だ。昔はさぞ賑わったであろう、その多くの人たちの残像まだ漂っているような錯覚を覚える。

東京ディズニーランドと軍艦島ツァー、どっちに行きたいと言われたら激しく軍艦島だろう(だが最近ここは、廃墟フリークにかなり荒らされているらしい)

長生きすれば、六本木ヒルズが廃墟になった絵を見ることができるだろうか。見たいような見たくないような。

 




軍艦島 棄てられた島の風景―雑賀雄二写真集
軍艦島―眠りのなかの覚醒

テレビ、「はぐれ刑事純情派」が今年4〜6月で最終回を迎えるという。18年間もやってたんだ。私はあまり見ないが、老父が楽しみにしていたのでがっかりするだろうな。

だがこの物語の中核である、妻に先立たれ、生さぬ仲の娘を2人いつくしみ育てながら、市井の事件に立ち向かう安浦刑事のイメージは最近、薄れつつある。今、安浦さんは71歳、娘は38歳と32歳。これじゃただのパラサイトシングルである。最終回やむなしというべきか。

ところで娘役の1人小川範子ちゃん。13歳の時、あの伝説のお昼の帯ドラマ「愛の嵐」に主人公の少女時代の役で出演し、注目をあびた。彼女の才能とかわいらしさは、当時の宮沢りえや後藤久美子となんら遜色はなく、うまくトレンディドラマや良い番組にあたれば充分大スターになれる資質を持っていた。

なのに彼女は「はぐれ刑事純情派」を選んだ。まるで、美人で頭のいい女の子が、地味な地元の信用金庫に就職したようなものだ。

この番組に出ると、なぜか地味オーラが身につく。加藤茶も、マチャミもケイン・コスギもトキオの城島も、番組の中では妙に地味だった。そして地味オーラがたっぷり身についた範子ちゃんは、とうとうブレークすることはなかった。

その代わり、居心地は良かったのだろう。範子ちゃんは、18年前、番組開始時の14歳のままの雰囲気と笑顔を持っている。まるで真空パックされているかのように。

真空パックから出た範子ちゃんは、これからどうなるのか。「愛の嵐」ファンだった私は、妙に気になって仕方がないのだ。

 

のりちゃん

私事になるが、先日、会社側から呼び出され、来月3月末でのパート契約の打ち切りを告げられた。ようするにクビ、英語でfire。

大ショックだった!・・・・・というのはウソで、実はうすうす予感がしていたので、今月の初め、某所である採用試験を受けていたのだ。

いやぁ、びっくりした。そこは一般事務採用だったが、給料は安く、条件もたいして良くないのに(受験しておいて何と失礼な言い草、落ちるのも当り前だ)、受験者は大学の教室一杯にあふれている。ついつい人間ウォッチングをする私。若い女性が多いが、男性も結構いる。

私は独り身だから良いが、男性たちは奥さんや子供いるのかなぁとか、たとえ受かってもこんな安い給料だと暮らしていくの大変だろうな、などと自分を差し置いて、いらぬ詮索をするうちに試験は始まりそして終わった。

内容は、作文と一般教養問題だったが、非常に難しく、案の定落ちてしまった。でも受験して良かった。自分の実力のなさが客観的に分かったし、また多くの同胞がいることを知ることも出来た。

これからの就職活動を考えると、ちと気が重いが、マイペースでやってみよう。仕事の引継ぎ等が終わって時間が出来たら、石垣島に嫁に行ったいとこに会いに行こうかな。もうすぐ出産予定だし。

 メリーゴーランド

犬昨年惜しくもエドガー賞は逃したが、桐野夏生著「OUT」は海外で高く評価されたようだ。よかったよかった。

この作品では、日本のいわゆる主婦パートの実態が浮き彫りにされている。

主人公は毎晩深夜12時から5時半まで、コンビニ弁当工場で働いている。真夏でも冷え切った工場、不恰好な作業着と男女の区別もない更衣室、5時間半立ちっぱなしの重労働、若い管理職の男からバカ呼ばわりされ、トイレに行く自由もない。

そんな過酷な仕事をして、一日の報酬は4,675円ぐらいか(時給850円として)。月20日働いても93,500円。主婦だったら社会保険料は払わなくていいが、独身の場合それから国民健康保険と国民年金を払うと、残りは70,000万以下だ。もちろんボーナスも退職金も有給休暇もない。これがパートタイム労働の実態なのだ。

パートタイム労働の辛さは低賃金や保障のなさだけではない。人間の尊厳を傷つけることだ。例えば販売の仕事の場合、パートタイマーには更衣室が与えられないことが多い。大抵は、ダンボールやビニールハンガーにかけた商品が置いてあるストックルームでこそこそと着替えてバックを置く。自分の座る椅子さえない。昼食以外は座ることは許されないのだ。

もちろんデパートや老舗のお店など、キチンと社員用の設備が整っているところもあるだろうが、零細な店舗は大体こんな感じだ。

月100時間のサービス残業をする月収30万の正社員と、上記の弁当工場パートタイムの仕事とどちらを選ぶかと聞かれたら、絶対正社員を選ぶだろう。仕事は大変かもしれないが、正社員には少なくとも自分の机と椅子があり、人間としての尊厳が保たれている。

「OUT」の主人公雅子は、同僚の殺人の死体処理を二つ返事で引き受ける。割に合う仕事ではないのに。そこには、同じ仕事場で傷つけられたもの同士の、部外者には分からない連帯感があったのだろう。

そう、彼女たちは社会構造のひずみの下であえぐ、戦友同士なのだ。

 


柔らかな頬 (下)
アウト 英文版〈OUT〉

水芭蕉ほりえもんとニッポン放送の動向が気になる今日この頃だが、私にはニッポン放送=オールナイトニッポン=ラジオ局というイメージがある。さらに連想して、ラジオ局の買収というと、バブル時代に見た「ワーキング・ガール」という映画を思い出す。

証券会社勤務の、ちょっと色っぽいお姐さんが主人公の、コメディタッチ・サクセスストーリーだ。演ずるメラニー・グリフィスは、キャラ的には、「向上心のあるブリジッド・ジョーンズ」という役柄で、姑息な女性上司や理解のない周囲の人と戦いながらも自分のキャリアを築いていく。かなりご都合主義な部分もあったが、楽しい映画だった。

ラジオ局の買収(合併?)というのが、この作品の大きなヤマで、その局の目玉番組というのが、合併劇に大きく関わってくる。

 

さて、話は変わって、最近「オールナイトニッポン」は、とんと聞かなくなったが、深夜たまにNHKの「ラジオ深夜便」を聞くことがある。

「ラジオ深夜便」、これを考え付いた人はエライ!。年寄りは眠りが浅い。だが目が覚めたといって、家の中をうろうろしたり雨戸をガタガタ開けたりしたら、家人や同居している息子の嫁にうざがられる。視力が弱っているので、枕元で新聞や本を読んで時間を潰すのもおっくうだ。そんな時、このラジオ番組は最高の友になる。

しかも番組が終始、静かなのが良い。「いつでも寝て良いですよ〜」というメッセージが伝わるようだ。まさに、スポンサーに左右されないNHKの利点を大いに利用している。だから聴取者は安らかな気持ちでラジオを聞くことができるのだ。

テレビの「ストレッチマン」と「ラジオ深夜便」がある限り、NHKの受信料は払おうと思っている。

このたびのほりえもんの、最終目的はわからないが、ラジオ局というのは、聞く人を感動させてナンボの世界だろう。それさえ自覚していれば乗っ取ろうが何しようが彼の自由だと思う。

    


眠れぬ夜のラジオ深夜便
わたしの新幸福論―NHKラジオ深夜便

最近、生活保護の世帯が増えているというが、もはや他人事ではない。私など、葉っぱしがないパートタイマーの身ゆえ、いつ首になってもおかしくない。この不況の時期、特別優れたスキルもなければ若くもない人間が、食べていくのは至難の技だ。もし病気にでもなり、貯金も底をついたら・・・・・。

年金も何だか当てにならないし、頼れる身内もいなくなったら、後は生活保護しかない。

生活保護の受給は、まさに自分の自尊心との戦いだと思う。こんなダメ人間でも一人前にプライドだけは高いのだから。

老年になった私がやむなく生活保護の手続きに行く。役所は5時で終わるから逆算して3時頃に着く。受付カウンターには自分の息子くらいの若い男がいて、面倒くさそうに「何?保護うけたいの?」と聞く・・・・・。ああダメだ。行きたくない。こんな思いをするくらいなら塩をなめて生活する方を選ぶ。

実際、保護を受けずに餓死した人のニュースもよく聞く。

前の職場を退職した時、ハローワークで手続きをしたことがあるが、あそこの雰囲気もいやだった。職員は失業保険の不正受給に対する注意ばかりして、失業者の苦しみや痛みをわかろうとしない。

仕事が無いというのは辛いことである。経済的な問題もさることながら、自分は社会にとって無用な人間なのかという挫折感や劣等感。足が地に着かない不安感。そんな人たちの心を逆撫でするような言い方を平気でするのだから。一部には不正する人もいるだろうが、大部分はちゃんとした職につきたいと切望しているのに。

将来、生活保護の手続きは、すべてパソコンで出来るようになったら、と思う。確定申告だってパソコンで出来るんだから。必要書類や項目をキチンと入力すれば良い。

そうすれば個人の性格やパーソナリティで、受給出来たり出来なかったりする事が防げる。ベンツに乗ったコワモテの人が受給できて、奥ゆかしい気の弱い人が受給できないということがなくなるし、担当者によって出来たり出来なかったりという、いい加減なことも起きないだろう。

そして、パソコンだったら役所が5時に閉まるから4時前までに〜、なんてくだらない事に気を使わなくてすむ。別に、役所の人がお金を払うわけではないのだから。

さて、辛気臭い話になってしまったが、生活が苦しくなったら、自然主義の巨匠、エミール・ゾラの「居酒屋」を読むようにしよう。どんなに苦しくなっても、この小説の主人公よりは、まだましだろうから。

   


居酒屋

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