ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年03月

私はレオナルド・ディカプリオのファンではないが、映画「ギルバート・グレイプ」を初めて見たとき、その卓越した演技力に驚いたものだ。雲ごく自然に18歳の知的障害者を演じた彼は、その年のアカデミー助演男優賞にノミネートされている。

当時、私の予想では、彼はその童顔から、大ブレイクはしないだろう。でも、名バイプレーヤーとして名は残すと踏んでいた。ところが天才少年は、あれよあれよという間にスターダムにのし上がり、ハリウッドのセレブ、レオ様として君臨していく。

しかしながら、彼の名声が上がるたびに、演技の方が大根になっていくのは、なぜなんだろう・・・。

ハタと思いついた。彼の顔である。彼は明らかに長男ではなく、次男顔だ。「ギルバート・グレイプ」でも、しっかり者の兄、ジョニー・デップに甘えたり、拗ねたりする姿がとても魅力的だったのだ。

だがピンの役者として看板せおうとなると、どうも頼りなくて落ち着かない。同じ次男顔のオーランド・ブルームが映画「トロイ」で、弟役パリスを演じたのは、良い選択だったわけだ。

さて、今上映中の「アビエイター」を見たが、これ結構面白かった。レオのあやふやさが、逆にハワード・ヒューズのボーダー加減をよく表現している。そして思った。こんな社長の部下になるのは、ゼッタイやだ。

  


ギルバート・グレイプ

駅私はあまり料理は得意ではない。特にハイカラな西洋料理(死語2連発!)、ケーキやパイなどのお菓子類も苦手である。その代り、和物の煮物や白和え、きんぴらやら、つまり年寄りくさいものなら自信がある。

福岡の郷土料理「がめ煮」なんて、漁師の長男に嫁いだ主婦業20年の姉をして「こんな上手いがめ煮、食べたことない!」と言わしめたし、その他のメニューも、大体、老人たちには好評だ。

だが私としては、もっとお洒落な料理も作りたい、そしてテーブルセッティングもバッチリ、栗原はるみさんや藤野真紀子さんになりたいと願うが、気がつくと、せっせと切干大根を煮てたりする。

さて、インサイダー取引で懲役刑になり、先ごろ出所した主婦のカリスマ、マーサ・スチュワート、私はこの人の本が大好きである。

料理、インテリア、ガーデニングすべてが工夫されてセンスが良く、特にクリスマスのデコレーションやディナーなんてウットリする。

でも真似しようとしても出来ないんだよねこれが。脳の構造が、右脳ならぬ和脳になっているせいか、いざやろうとしても、脳からの命令が来ない状態である。超えられない壁だ。

それにしてもお正月を祝いながら、クリスマスにはパーティーもする、日本の主婦ってホント器用だな、つくづく感心する。

 

   
マーサのクリスマス

マーサ

ウルフガイ'70年代の女優には、幸薄いイメージがある。美人でスタイルも抜群、頭だって良いのに、なぜか無気力で、しかも簡単にからだを許す(つか、表現古っ!)

桃井かおり、秋吉久美子、関根恵子、高橋洋子、梶芽衣子など・・・・。

彼女らが今も元気で活躍し、お肌ツルツルだったり、意地悪なオバサン役をしたり、幸せな家庭を持って孫もいると知ると、良かったなと思う反面、裏切られたような気も・・・。

平井和正著「ウルフガイ・シリーズ」も、いかにも'70年代風の薄幸の美女が多く登場し、殺されたり拷問されたりする。平井氏の小説は大好きなのだが、どうも年をとるにつれアクションやバイオレンスに弱くなってしまい最近は読んでいない。かえすがえすも残念である。

さて、氏は、今も精力的な活動をされ、オンライン小説や携帯小説にも意欲的に取り組んでいる。そのいつも最先端を行く姿勢には驚かされる。やがて私の孫ぐらいの人が、携帯端末で「ウルフガイシリーズ」を読み、自分のお祖母さんの若き日を想い描くことであろう。

平井和正氏のような、つねに前を走る人がいるからこそ、物語は語り継がれる。その心の若さがうらやましい。

  


エイトマン Vol.11

 
もし拙ブログをご覧の方で、身内や知人を風邪で亡くした方がいたらごめんなさい。実は私の理想の死は、風邪をこじらせ病死することなのだ。
 
未知の病原菌とか原因不明の奇病に冒されるより、慣れ親しんだ病気の方が、安らかに逝ける気もするし。
 
理想としては、風邪で3日ほど家で寝ていたが4日目の朝、気分よく目覚める。家族はホッと安心して外出する。昼、お腹が空いたのでおじやを1人分作り、半分だけ食べ、お茶を飲み、ちょいと横になる。そして夕方帰宅した家族は、眠るように死んでいる私を見つける・・・・。
 
なぜこんな事を考えるのかと言うと、最近、問題ばかり起こしているショーケンの記事を見て、ふと彼の主演したテレビドラマ「傷だらけの天使」を思い出したからだ。最終回、水谷豊扮する弟分のアキラは風邪で死ぬ。
 
当時の人気番組、「太陽に吠えろ」の松田優作の派手な殉死より、風邪であっけなく死んだチンピラの方が、なぜか深く心に残り、私の理想の死となった。
 
さて、相変わらず'70年のやんちゃ時代を引きずっているショーケン、がんばれ。そのマヌケな生き方、好きだ。
 
 
 

傷だらけの天使 Vol.13

朝日ちょうど一週間前、福岡で地震が起きた時、私は地方のFMラジオを聞いていた。

突然、流れていた曲が止まり、女性DJの「ちょっと待って下さい、今揺れてます」の声を聞き、「え、そうかなぁ」と思った瞬間、部屋が大きく揺れた。

私の住む地域は幸い被害が少なかったが、このラジオ局の近くの福ビルではおびただしい窓ガラスが割れた。被害も多かったはずだ。

しかしその女性DJは、あきらかに動揺し声が震えていたにもかかわらす、「皆さん、落ち着いて行動して下さい」「火の始末をして下さい」と声をかけ続けた。

彼女の言葉に多くの人たちが救われたのではないだろうか。アナウンサーの冷静な発表より(もちろんこれも大事だが)、普段冗談を言って笑わせてくれる親しみのある人の、“生”の声の方が、何倍も心にひびく。

ラジオの特長はリアルタイムの情報だと思う。彼女の真摯な言動は、はからずもその原点を思い起こしてくれた。

この先、さまざまなメディアの複合やコンテンツが出ても、彼女の与えてくれた「生の声」に勝るものはないと思うのは、ちょっと穿ちすぎだろうか。

 

 

 

ここ一ヶ月以上に及ぶ仁義なき戦いも、そろそろ終焉を向えそうだ。だが最後にソフトバンクが参戦するなんて、思いもよらなかった。それじゃ今までのホリエモンは壮大な露払いだったわけか?フジと孫さん、杯かわしたみたいだし・・・。何か現実の世界が、物語をはるかに凌駕している今日この頃。
 
さて、孫さんの企業名を頂くわが福岡ソフトバンクホークスと、北海道日本ハムファイターズの開幕戦が、ヤフースタジアムで行われた。結果はホークスの勝利!
 
試合後、王監督と共に満面の笑みの孫オーナー。まさにこの世の春だろう。「この世をば我が世とぞ思ふ 望月の欠けたることのなしと思へば」 彼のまん丸な顔を見ていると、つい、この歌が思い出される。
 
孫さんの手際のよさに多少反感を覚えつつも、今日の勝利を見てあらためて、孤児になっていたホークスを引取ってくれた彼に、心から感謝したい。
  
  
      
 ホークス

ヴェンゲル監督 サッカーW杯最終予選、イランに負けちゃったね日本。確かににわかサッカーファンの私でさえ、選手たちの動きが、かみ合ってないように見えましたなぁ。

それにしても大事な試合の節目節目に必ず出てきますねイラン。ドーハの悲劇、そしてフランスW杯のアジア最終戦と。

彼らの顔立ちも、以前は、いかにもアラブ人って風貌だったが、今は欧州からの血が混じったようで、オリエンタルな美しい顔立ちの選手が増えてきている。

個人的にはアジジとダエイのツートップが見たかった。

さて12万人のイランサポーターで溢れるスタジアムの片隅にひっそりと、われらが日本代表のサポーターがいた。だが圧倒的な物量の前では、せっかくの応援もかき消されたことだろう。女性サポーターはイスラム教を考慮してか、頭にスカーフを巻いている。イランではスタジアムに女性トイレがないと聞いたことがあるが、彼女たち、大丈夫だったろうか、もちろん旅行費用とか滞在費とか自腹だよな、などと余計なことを考えたりする。

日本のワールドカップの歴史はサポーターの苦難の歴史でもある。ドーハの悲劇、念願のフランスW杯でのチケット問題等、喜びよりも苦しみが多かった。それでもサポーターを続けるのは何故なんだろう。

ニック・ホーンビィ著「ぼくの プレミア・ライフ」は、著者の自伝的小説だ。11歳の時、プロフットボールチーム「アーセナル」のとりこになった彼の頭の中は、明けても暮れても試合のことだらけ。

両親の離婚、父の再婚、進学、就職、恋人、すべてのことよりも「アーセナル」が彼のプライオリティだ。彼の怖がることはただ1つ、大事な用事が試合とバッティングすること。作家という自由業を選んだのだって、いつでもアーセナルの試合を見られるからでは?

だが「アーセナル」は彼に楽しみよりも苦しみを多く与える。そして彼もチームに対して少なからず憎しみを持っているが離れられない。よくわからないが「タイガースファン」みたいなものか。

多くのプロスポーツはこういった人たちの無償の努力によって成り立っているのだろう。私は今まで何かのサポーターになった事はない。それは幸せなのか不幸なのか・・・。

 

                  

  


ぼくのプレミア・ライフ
ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ

昼寝中学の同級生で1人、任侠の世界へ行った男がいる。M君としよう。7年ほど前会った時は、若頭という地位だったが、もし今生きていれば組長をしているだろう。

同窓会で、中学卒業以来久しぶりに見たM君は、ずい分落ち着いて物静かで、大学の先生のような風貌だった。分数の掛け算が分からない彼と机を並べ、手ほどきをしてやった中2の頃を思い出した私は、率直にたずねてみた。「すっかり変わっちゃったね」

彼の答えはこうだ。「高校卒業以来、人生の大半を塀の中で暮らしてきた。刑務所の中は、する事がなくて退屈なので、あらゆる本を差し入れしてもらい、ずっと読んできたんだ。少しは頭が良くなったかな」

もちろんそれだけじゃなく、生きるか死ぬか、庶民には及びもつかない緊張にあふれた生活も、M君を哲学者のように変えた原因のひとつだろう。

でも、私は思った。おびただしい書物を読みながらも、「カタギに戻ろう」という気持ちにはならなかったのだろうか。

軽薄な友人たちが「刺青みせて〜」とふざけても、「これはあんたたちに見せるもんじゃないから」と、真夏なのに長袖を着、かたくなな態度をくずそうとしなかった彼。

最近、M君の噂はまったく聞かない。また堀の中にいるのか、事務所で睨みを利かせているか、それとも殺されたか。(この地では、やくざ同士の発砲事件はしょっちゅうである)

読書なんて、しょせん無力だ・・・。

 

 

庭

中島らも、林真理子、浅田次郎。 さて、この3人に共通するものは何でしょう?

いずれも優れた作家でありエッセイストだが、同時に巨頭である。あ、比喩じゃありませんよ、つまり頭が大きいってことです

実は私も頭がデカイ。

ああそのために、子供のころからどんなに悩んだことか。小学校の時は「仮分数」とあだ名をつけられ(今考えると知的なネーミングだ)運動帽は常に、Lサイズだった。

巨頭はどうしても太って見える。かといって痩せると、頭がよけい目立ってアンバランスな火星人になる恐れが。つまりダイエットも意味がない。痩せても地獄、太っても地獄の世界なのだ。

まだしも男のでか頭は、頼りになる大物ってイメージだが、女の場合は、百害あって一利無し。

どんなにおしゃれをしても頭がデカイと垢抜けない。だから髪はショート、首元はすっきりしたもの、ハイネックは着ない等、色々工夫してアンバランスにならぬよう気を使う。帽子なんて小学校の運動帽以外かぶった事がない。だって素敵な帽子を見つけても、サイズがないのだ!

さて、浅田次郎氏のエッセイ「勇気凛々ルリの色 福音について」。この中に、氏がシチリアの避暑地のブティックにて、帽子を買うエピソートがある。これが泣かせるいい話なのだ。巨頭でお悩みの方はぜひ読んでほしい。実は私も思わず涙ぐんでしまった。そして、行ったこともないシチリアが第二の故郷のように思えてきた。

この気持ち、小顔の人にはわからないでしょうね。

 

  


勇気凛凛ルリの色―福音について

「ブリジッド・ジョーンズの日記 2」英国を観た。、何かとハンデが多い“続篇”でありながら大変面白かった。コテコテ度はアップしていたが。・・・そして確信したこと。       (以下ネタバレ注意!)

 

ブリジッドはマーク・ダーシーを愛していない、ホントはダニエルが好きなのだ!

まず、マークとステディの関係になったブリジッドがやたら周りに「彼は人権派弁護士なの♪」とふれ回るのが気になった。彼女はそんな嫌味な女ではなかったはずだ。つまり・・・・

マークは、見た目、家柄、職業、すべて良い。人柄も誠実で、しかも絶倫らしい。これを逃したら私の未来はない・・・というサバイバー本能が無意識に、彼を愛していると思い込ませているのだ。

そして、本当に愛しているのは女たらしのダニエルだ。彼に再会してからの彼女の支離滅裂ぶり。友達の発言を鵜呑みにしたり、妄想したり、まるでマークと別れる理由を探しているようにも見える。もちろんこれも無意識だが。

タイのビーチでのブリジッドとダニエルのシーンは美しい。うーん、この2人が結婚すれば、時々ダニエルの浮気が原因で喧嘩はするだろうが、けっこう幸せな生活を送れるのではと、私など思ったのですが。

このままブリジッドはマーク・ダーシーと結婚するのだろうか。なんだかつまんないな。今の、突撃レポーターをやったり独身の友達と飲み明かしたり失恋しては泣く、そんなブリジッドよ,forever 〜

     

チューリップ

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