ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年03月

以前一年ほど東京に住んでいたことがある。かの地に来て、まず驚いたことは「東京人ってなんて行儀が良いのだろう!」

電車や地下鉄のホームではメンズクラブ子供でさえ整然と並んでいる。私の住む九州では、まずありえない光景だ(今は、だいぶ良くなったが)

彼らを見てわかったこと。東京人はおおむね服装も地味で、言葉遣いも穏やか、そして感情の起伏が少ない。つまり“大人”なのだ。

怖いもの知らずで”子供”である地方人と、慎み深い東京人が対決したら勝負は目に見えている。芸能界に福岡など地方出身者が多く、案外東京人が少ないのも道理だ。

さて、浅田次郎著「霞町物語」は、東京人の、それもごく限られた地域の限られた時期にだけ花開いた青春物語である。高校生の彼らは、放課後、当り前のように六本木や青山、銀座の盛り場で遊び、女の子をナンパし、車を乗り回した。家は高度成長期で裕福。私のような田舎者には垂涎の、夢のような生活がそこにはあった。

おしゃれは主にコンテンポラィー、これがよくわからない。私の高校時代はIVYが主流だったが、田舎ものの哀しさで実はどんなものか知らなくて、男子は雑誌「メンズクラブ」女子は「MCシスター」を読んで参考にしたものだ。コンポラは、どうやらIVYファッションより前、みゆき族より後のスタイルらしい。

地方人が増えるにしたがって、町は荒れケバケバしくなる。いさかいを嫌う彼らは、抵抗することもなく、1人減り2人減り、だんだん消えていく。

あまり自分を主張しない、そして田舎ものがどんな素っ頓狂な行動をしようと、笑って(もしくは諦めて)受け入れてくれる、そんな彼らがいたから、“TOKYO”は世界の大都市になりえたのだ。

やはり東京人はふところが深い。

    


霞町物語

久しぶりにゴダール監督の名作「勝手にしやがれ」をDVDを見た。ジーン・セバークのファッションはほんとに素敵だ。ボーダーのTシャツとプリーツスカート。またノースリーブのワンピースにカーディガンをさりげなくはおったり。

そして1つ発見したことが。始めの方で彼女が着ていた「NEW YORK HERALD TRIBUNE」ロゴのTシャツが、実はリブ編みのニットだということ。薄手だからTシャツだとずっと思い込んでいた。

からだにピタッとしたニットだから、丈が短めのパンツと相まって、ジーン・セバークをよりキュートに見せていたわけだ。

Tシャツはシンプルだし廉価で種類も多いが、やはり優雅さに欠けると思う。そして緊張感がない。大き目のTシャツを着てお腹とお尻をかくそうなんて、姑息な考えを持ってると、たちまち見た目に表れてくる。弛緩した考えは弛緩したからだを作るのだ。

今年の夏はTシャツの着たきりスズメはやめ、もっとからだの線を意識した服装を心掛けよう。まずそれまでに、二の腕やお腹の肉をどうにかしなければいけないが・・・。

  
勝手にしやがれ
ジーン・セバーグ・コンプリート

                        ラプレ若い気品のある人妻が、一糸まとわぬ姿で、鏡の前に向き合う・・・。これほど淫靡で美しいものが、ほかにあるだろうか。この場面だけで一篇の美しい詩が生まれそうだ。

私が知っている限り、三つの小説の中でこのシーンが出てくる。

まず、ロレンス著「チャタレイ夫人の恋人」、そして三島由紀夫著「午後の曳航」、同じく三島の「美徳のよろめき」だ。

「チャタレイ夫人の恋人」のコニィの場合、彼女は本来男を愛し、そして愛され子供を産むにふさわしい豊かな肉体を持っていた。だが、下半身不随で、そのため精神ばかりが肥大した夫に尽くすうちに、からだはだんだんとがり、骨ばっていく。成熟しないまま、しぼんでいく自分を見て、彼女は苦い涙を流すのだ。

「午後の曳航」の房子の場合。未亡人の彼女は、均整のとれた美しい肉体を持っているが、いみじくも彼女の息子が言うように、それは「可哀そうな空き家」なのだ。その美しい肉体を見るたび、彼女の女としての苦悩は深くなっていく。

さて最後「美徳のよろめき」の節子だけが天真らんまんだ。門地の高い家に生まれながら野性的な彼女は、自分の肉体と向かい合うことで心の安らぎを見いだす。まるで小学生が、カバンの中身を点検して安心するかのように。

これから始まるであろう男との逢瀬を思い、遠足前の子供のようにワクワクしている、そんな節子の肉体は、ほっそりして少年のようだ。

自分の肉体を見つめながら、やがて新しい世界へ飛び込んでいった女たち。その結果がどうであろうと、彼女たちの美しさと強さは心に残る。

    

 
美徳のよろめき

タグボートマラッカ海賊事件の拉致船長らが開放されたらしい、よかったよかった。

タグボート「韋駄天」を所有する会社「近藤海事」はわがK市にある。おもに大型船の曳航やサルベージなど、縁の下の力持ち的仕事をしており、小さい会社だが世界で活躍している。当然海賊の存在なんて百も承知で、たぶん専門のネゴシエーターが上手くまとめたのではないだろうか。

「近藤海事」以外にもK市には「日本サルヴェージ」という会社がある。沈没船、不審船の引き上げ、救助、事故処理(油の抜き取りなど)調査が主な仕事で、本社は東京にあるが実際の業務はこの地を拠点としている。サルヴェージ技術に優れ、北朝鮮の沈没船や中国の不審船など多くの海難事故の救助・処理にあたってきた。

どちらも少数精鋭で、リスクを背負いながらも頑張っている民間企業だ。

この度の事件で、つくづく日本って海に囲まれた島国であり、海運事業は健在であるとの認識を新たにした。

重要な仕事でありながら目立たない、でも体を張って取り組んでいる、そんな会社と精鋭の社員たちを心から応援し、また彼らの海洋の安全を祈りたい。

 景観2

今朝、地震があった。私の住むK市は元々地震の少ない地域だったので、思いもよらぬ激しい揺れに、すわ!大地震か!と緊迫したが、お陰さまで余震も小さく、被害も少ない模様。

午後、和服に着替え、お茶の稽古に行く(つまりそれ位、平穏無事だったわけで)。社中はやはり地震の話題でもちきり。隣の福岡市はかなり被害があったようだ。特に天神あたりは、連休で買い物客が多かったのではないか。心よりお見舞い申し上げます。

さて、帰宅しパソコンをのぞいたら、ブログのポイントが半分に下がっている。もうわけわからん。ブロガーのモチベーションを下げてどうするライブドア。

崩壊の予兆は小さいところから現れる。部下のなげやりな仕事ぶり、クレームに対する不誠実な態度。対応の不味さ。

カタストロフィー(大地震)はもう始まっているのかも・・・・。

  

 小倉城

昨日レンタルビデオ屋で、中学生集団のイジメ(と言うかカツアゲ?)を目撃。コーナーの、店員の目に入らない場所で、10人ぐらいの学生服の男らが、1人の男の子を囲み「バカ」「死ね」など罵詈雑言の嵐。気の弱そうなその子は、泣きながら1000円札を差し出していた。

もちろん私は見て見ぬふりしましたよ、ええ卑怯者ですとも。正直こわいです、私にどうしろと。

でも、私がそばにいることに気づいた何人かの子の「通る人に迷惑だからヨソ行こう」の言葉には苦笑い。おまえら、他人に気を使う前に・・・・・・。

さて、砂をかむ思いでレジに向うと、そこが長蛇の列。「そうか連休前だから・・」

ビデオを見て休日を過ごすのも、すっかり普及したなぁ。昔は、カウチポテト族とか呼ばれてたけど。

そういえば16年前、昭和天皇が崩御した時、どのレンタルビデオ屋もほとんど貸し出し状態だったっけ。テレビの歌舞音曲が自粛され、連日皇室報道ばかりだったので、特需となったわけだ。

その後に生まれた平成っ子が、今やレンタルビデオ屋で、大きな顔してカツアゲしてるのね。もちろん責任の大半は、私ら大人だ。

生活が苦しくても子供を私立にやらせたい親の気持ち、わかるなぁ、などと無責任なことをほざきつつ、店をあとにした。

植木

田代まさしっていい奴だと思う。

以前、某トーク番組に出た彼が、こんな話をしたのを覚えている。

高校時代、ベンのテーマある女の子を好きになった彼は、偶然、友達のパーティで再会した彼女に、勇気を出して「一緒に踊って下さい」と申込んだ。彼女は快諾し、2人手を取り合ったとき、流れていた曲が、まだ14歳だったマイケル・ジャクソンの名曲「ベンのテーマ」だったのだ。

「この曲は、僕と妻の想い出の曲なんです」照れながら話していた田代は可愛かった。

さて、鈴木雅之は、なぜソロではなく、グループでデビューしたのだろうか。はっきり言って鈴木の歌の上手さに比べ、他のメンバーは、かなり劣っている。ただ桑野だけは、あの独特のキャラクターで成功しているが、田代にいたっては存在感がうすい。

もし田代が、鈴木に誘われさえしなかったら、今頃、輸入車カスタム店かなんか経営し、時々「パパは鈴木雅之の友達だったんだぞ」と子供らに自慢している、そんな幸せな暮らしをしていただろう。

いくら幼なじみだからって、才能のない友達をこの世界に引き込むのはまずかった。つるんでしまった悲劇だ。

 

 
BACK TO THE BASIC

人権擁護法案の国会提出が当面見送られたが、まだまだ油断できない。これからも見張って行かねば。冷めたピザ

テレビや新聞のマスメディアがほとんど“シカト”状態なのでネットで情報を得るしかないが、正直いまいちピンとこない。だれかバカなおばさんのために、この法案が通った場合の再現ドラマ(byウィークエンダー風)を作ってくれないか。

さて、法案と言えば、今は亡き小渕総理の時代、数々の重大法案が可決された。日米新ガイドライン法、通信傍受法(盗聴法)、国旗・国歌法、住基法など。

でも不思議とメディアはそれらの報道をしなかった。その代り、連日テレビで流されていたのが、例のミッチー、サッチー騒動だ。

こう言っちゃなんだが、たかが女剣劇士とプロ野球監督の奥さんの口喧嘩に、なんで日本中のマスコミがヒステリックに朝から晩まで大騒ぎをしていたのだろうか。不思議だ。

もしこれから先、つまらぬネタでマスコミが大騒ぎするようになったら、要注意かもしれない。

 

 

夫婦敬愛する英語の先生から、「とても良かった、きっと君も気に入ると思うよ」とすすめられ、レディスディの今日、映画「きみに読む物語」を見に行くことにした。

先生はサスペンスや法廷物が好きで、あまり恋愛物は見ない。こんなに誉めるのは、よっぽど感動したからだろう、そういえば最近、私ガサツな生活をしているなぁ、たまには感動の涙に溺れてみたいなぁ。

などと勝手なことを思いつつ、スクリーンの前にすわったが・・・。

若い頃の2人に、いまいち魅力が感じられないのだ。出会って恋に落ちるまでのプロセスもなんか曖昧。あとは、いかにも昔のアメリカ南部の身分違いの恋が、ステレオタイプで描かれる。正直ねむりそうになった、すると。

いきなりスクリーンに“岡田真澄”のそっくりさんが登場(スターリンでも可)。しかもヒロインのパパ役なのでしょっちゅう出てくる。

もう、どうして・・。せっかくの感動モードがお笑いに切り替わってしまい修復不可能。

物語は、後半から段々盛り上がり、ベテラン俳優2人の演技も冴え、感動的なラストを迎えたが、前半の中だるみのためか、わたし的には不完全燃焼に終わった。

考えてみれば、先生はこの映画の老主人公に近い年齢で、とても夫婦仲も良い。きっと奥様と一緒に見たと思われる。そしてスクリーンの老夫婦に自分たちの人生を重ね合わせたのだろう。お2人にとっては宝石のような作品だったのだ。

映画だって客を選ぶ。私があまり感動出来なかったとしても、それは作品のせいではない、安易に感動を求める方がおかしいのだ。

別な意味で、切ない気持ちを味わいながら、女性客でにぎわう映画館をあとにした。

     

  
きみに読む物語

テレビNHKの受信料不払いが、あいかわらず、続いているようだけど、なんかスッキリしないなぁ。

不払いで収入が減った分は、社員の給与削減と制作費削減でしのぐらしいが、そんなことしたら社員のモチベーションは下がるし、制作費が減ればそれだけ番組の内容も下がる→魅力的な番組が減る→不払いが増える・・・の悪循環になってしまう。恒産なきもの恒心なしだ。

まず、本当に今のNHKの現状を憂いて、「ワシは金輪際NHKは見らん!」と啖呵を切り、有言実行した人がどれ程いるか。実際は、スキャンダルを口実に受信料支払いを拒否して、ほんとはチャッカリ見ている、そんなフリーライダーが、多いのではないだろうか。でもそれを見分ける方法はない。

受信料を払っている人も、別にNHKがどうしても見たいわけではなく、ただ目くじらたてるほどの金額でもなし、集金人とトラブるのもめんどいし・・・てな感じで、なんとなく口座振替にしたまま、あるいは集金されるまま、これがサイレント・マジョリティーの実態だと思う。

だいたい受信料未払いに、罰則規定がないのがおかしい。だからすべてが曖昧なまま、フリーライダーのいいようにされている。

いっそイギリスBBC放送みたいに罰金を設けたらとも思うが、それだと「送りつけ詐欺」の手口みたいで、ほんとにNHKを見ない人にとっては迷惑な話だ。電波を勝手に送っておいて、払わない奴は罰金をとるなんて。

ここは技術の力で、受信料を払った世帯にだけ、見られるようなシステムを開発すべきだろう。技術的にそんなに難しいことではないと思う。だが、つまらない番組が多くなれば、当然払わない人も増えてくる。諸刃の剣だ。

私はNHKの番組が好きである。確かにダサいのもあるが、それは、勉強の出来る女の子が、おおむね化粧やおしゃれが下手なのに似ている。

これからもNHKは、ドキュメンタリー、社会派番組、ニュース等、王道を歩んでほしい。もうすぐプータローになるわが身だが、受信料だけはキチンと払うつもりだ。

 


NHK王国 ニュースキャスターの戦場

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