ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年04月

がんぐろ暖かくなり日差しが強くなると、気になるのが日焼けだ。デパートの化粧品コーナーでは美白をうたったものが多く陳列され、売れ行きも良いらしい。

道行く若い女性を見ても色黒の人はあまり見当たらない。女子高校生なども白い肌に細い眉、さらさらの黒髪といった人が多い。

それらを見るにつけ思い出すのは、一時期マスコミの寵児となったガングロ女子高校生だ。彼女たちは今どこにいるのだろうか。

日焼けサロン常連の黒い肌にブリーチした髪、パール系の口紅やアイシャドー、ど派手な服装に厚底靴。これでもか!という挑戦的なファッションにはただただ恐れ入ったものだ。

でも私はこのガングロファッション、わりと好きだったのね。なぜならファッション史上唯一、美しく見られたいという見栄を無視したものだったから。

ファッション雑誌の定番特集といえば、「男性にもてる髪型・服装」である。普段は女同士の息詰まるおしゃれ戦争を煽っているくせに、数ヶ月に一度はこの特集を組む。同性への目を気にしながらもやはり男性からも美しくみられたい。もちろんこれはごく健全な考え方であろう。

昔、刈り上げヘアーに全身黒づくめのコム・デ・ギャルソンが流行ったことがある。(たしか彼女らをパロディ化した「夜霧のハウスマヌカン」という歌もあった)。これも「美しくみられたい」という趣旨からは離れてはいるが、まだサブカルチャー的な匂いがあった。「私たち時代の先端を行ってるのよ」という自己主張が、鋭い刈上げヘアーからにじみ出ていた。

しかしガングロには、カルチャーなんて微塵も感じられないし自己主張もない、ただただ仲間内だけのローカルファッションなのだ。一般の見栄から開放されている彼女たちは、実際話してみると、人懐っこく気さくな子ばっかりだった。

ガングロファッションはけっこうメンテナンスにお金がかかったらしい。そういうハッキリいって役に立たないことに情熱をかたむけることのできた彼女たちを今、ちょっぴりうらやましく思う。

  名知らず

初めて自分の小遣いで買ったEPレコード(今でいうシングルね)は、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」だ。初めてのLP(アルバムね)は、ビートルズを解散した後に出したジョージ・ハリスンのソロ。タイトルは失念してしまった。黒猫

当時はFM放送などなく、音楽雑誌も少なく洋楽の情報を得るのは大変だった。

そんな中、よく聞いていたのが文化放送ラジオ「オールジャパンポップス20」という番組だ。タイムリーに今日本で流行っている洋楽が聞けるし、アメリカのビルボードやキャッシュボックスのランキングも分るのがうれしかった。

私の洋楽の知識は殆どこの番組からスタートしている。ツェッペリンもクリームもローリングストーンズもこの番組で知った。そしてここでDJをしていたのがあの、みのもんただ。

当時の私とみのもんたのスタンスは、例えれば、ロック小僧と渋谷陽一といった感じか。だが、私はだんだんラジオを聞かなくなり、彼もいつの間にか消えていった・・、と思ったら「プロ野球良プレー珍プレー」のアナウンサーで復活し、その後はあっと言う間にお茶の間を席捲。今では彼をテレビで見ない日はないくらいだ。

テレビに彼が出ているとき、ふと「洋楽の話、してくれないかな」と思う時があるが、今だにその願いは叶えられない。

それにしてもみのさん、働き過ぎ。つうかエネルギッシュ過ぎ。あとしばらくは、この世代が日本を牛耳っていくんだろうな・・・・。

 

 


伝説のライヴ -How The West Was Won-

花壇しばらく活動を休止していた沖縄出身の歌手Coccoが、4年ぶりに本格的な音楽活動を再開する。とてもうれしい。

今度は1人ではなく、なんと「くるり」の岸田くんらとバンドを組むそうだ。「くるり」も大好きなアーティストだし、今年の音楽シーン、楽しくなりそう。

最近のJポップって良い感じだ。若くて実力のある人たちが、へんに舞い上がったりせず、着実に良い楽曲を作っている。

一時期○○ファミリーとか、どこそこのレーベルが独壇場になっていた時があった。似たような曲を高音の歌手が早口で歌う。歌詞が聞き取れないこともしょっちゅうだった。

でも今のアーティストは歌詞を大事にしている。たとえばケツメイシの「さくら」。アップテンポなのに、詩がすっすっと頭に入り、あたかも桜の舞い散る情景が目に浮かぶようだ。軽快なテンポとラップでありながら聞く人をジーンとさせるなんてめったにない事である。この曲は今後卒業シーズンの定番となることだろう。

よし、今年は、久しぶりにライブに行ってみよう。

 


BIRTHDAY(初回)

以前英会話を習っていた時、講師のカナダ人から、もし日本に永住するならどこに住むのが良いかと尋ねられた。私たち生徒は「気候が温暖で魚も野菜も安い、第一、地震がないんだよ」夕暮れということで、生徒全員、福岡を強く勧めた。

今頃その先生、日本人は嘘つきって思ってなかったら良いが。

けさ、また強い余震があった。家の物が壊れるなどの被害はなかったが、やはりあの揺れにはドキッとする。

さて福岡には多くの外国人が住んでいる。私の感じでは北米系、中国系に限らず、彼らは日本人より地震に対する恐怖心が強いようだ。たぶん件のカナダ人のように、この地は地震が少ないからと聞かされていた事だろう。

気になるのは中国人の留学生・就学生などだ。彼らは経済的な事情もあり、安普請のアパートに住んでいる人が多い。大抵木造の古い家屋だ。きっと恐ろしかったにちがいない。

テレビ・ラジオにおいて、私の知る範囲では外国語での地震報道はされていない。例えば今現在、JRは点検のため動いていないが、日本語に熟知していない学生らはそれを知る術がない。(もちろんそれくらいの日本語分ってほしいが)

反日デモ等で中国人への目は厳しくなっているが、それはそれ、これはこれ。困っている時はお互い様。せめて地震・台風などの天災時だけでも外国語での放送をするべきだ。

日本人ひとりひとりはとても親切だと思うが、それは伝わり難いのだ。まず目が行くのはマスメディアの対応である。

永住するにしろ、帰国するにしろ、日本に来た外国人には良い印象を持ってもらいたい。これも形を変えた愛国だろうか。

 

 

 

 

 

ブランコ塩野七生さんの著書によると、繁栄したものは必ず衰退するという。国家、企業、個人を問わず。そして衰退するのは繁栄があったからこそで、繁栄期のないものは衰退もできない。つまりそれは盛者だけに許された特権なのだ。

そして、繁栄と衰退の原因はどちらも同じである。つまり繁栄の要因であったものが、ある時期から衰退の要因にとって代わるのだ。だから少しでも衰退を伸ばしたいと考えるならば、繁栄の要因であったものをタイミングよく切り替える勇気が必要である。

「老舗」と言われるものが、実は常に時代に合わせて革新を続けてきた結果というのもうなずける話だ。

さてここで、サザンオールスターズである。このグループ、1978年のデビュー当時から全然雰囲気が変わらないが、27年間日本の音楽界を席捲してきた。

デビュー当時は色物と見られ、「ザ・ベストテン」ではいつも久米さんにバカにされていた。私も、1発屋で終わるだろうと思ってたのに、あれよあれよと27年間スターの座をキープしたわけだ。

原因は色々あるだろう。メンバーみんなの仲が良い(これって相当難しいことだ)、桑田の歌唱力、作詞作曲のセンスの良さに加え、選曲、特にバラードを出すタイミングが秀逸である。

大体日本人はバラードが好きだ。そして桑田の歌唱力なら誰もが聞きほれるはずだから、もっとバラードを出しても良いのに、あえて抑えている。そしてアップテンポの曲、若しくはコミックソングに近いような曲を出し続けた後、満を期して名バラードを出すのだ。いとしのエリーしかりTSUNAMIしかり。

つまり彼は意図的に、繁栄と衰退を繰り返している。これは勇気のいることだ。そして実力が伴わないとできない技である。

塩生七生さんの素晴らしい仮説で、国家や文化を語れない私を許して。でもサザンの楽曲は下手な政治家よりも、日本を左右していると信じている。

   


Southern All Stars TV SHOW Vol.1「ベストヒット USAS(ウルトラ・サザンオールスターズ)」

フラワー先日、拙ブログで退屈だときっぱり言い切ったフランソワーズ・サガンの「一年ののち」。気まぐれで読み返してみたら、これがおもしろいおもしろい。夢中で読み上げてしまい、ラストではあやうく泣きそうになった。

10代のツルツルしたハートでは上滑りをしたものが、年をとり、半ば諦観した今ではしっくり合うのか・・・・・。だがこの作品が出たとき、サガンはまだ20代前半だ。その観察眼には驚かされる。

若い頃つまらなかったものが今は面白いっていうのは結構ある。特に学校の推薦図書で読んで楽しかった思いでは1つもないのに、今読み返してみると新しい発見があり楽しい。夏目漱石の「こころ」なんて読んでてドキドキして胸が痛くなるほどだ。

若い時1度読んでいれば道が開いているので、それだけ物語に入りやすいし、人間が成長(若しくは苦労)してる分、大きな視野と寛容な心で味わうことができる。

さて、フランス映画で「冒険者たち」というのがある。アラン・ドロン、リノ・ヴェンチュラ、ジョアンナ・シムカスの3人が繰り広げる美しくも哀しい青春の愛と冒険の物語(臭い表現だ)。これは女1人男2人のドリカム三角関係でもあるのだが、ジョアンナ扮するレティシアは、アラン・ドロンではなく、リノ・バンチュラを選ぶ。

当時中学生だった私は、なぜ彼女がハンサムなアラン・ドロンではなく、オコゼのようなリノを好きになったのか理解できなかった。フランス人って変わってるとも思った。

だが今は違う。私もぜったいリノの方を選ぶだろう。理由は一言では表わせないが。

そしてあらためて感じた。フランス女性の観察眼の鋭さを。


冒険者たち

神社けさ、ご飯が余ったので、おにぎりにして表面に味噌としょう油を塗り、網でこんがり焼いて食べたところ、まぁその美味しいこと。番茶をすすりながら、はらわたに染み通るとはこの事かと実感。

美味しゅうて やがて悲しき 焼きおにぎり(字余り)

喜びはうつろいやすい。こんな単純極まりない食べ物にうっとりするのならば、今まで作ってきた手の込んだ料理はどうなるのだ、情けなくなった。

何はともあれ、味噌やしょう油というアミノ酸は、私にとって必要不可欠なものだ。

さて、農学博士小泉武夫さんのエッセイに出てくる食べ物はどれも旨そうだ。そしてアミノ酸の匂いがプンプンする。この人は相当食いしん坊らしい、東北の酒造家に生まれからもそれがうかがえる。しかも農学博士だから、その美味しさを科学的に分析しているので説得力がある。本を読むと無性に発酵系の食べ物や漬物が欲しくなる。

漬物といえば、先日見た映画ジョゼと虎と魚たちの中の茄子の糠漬けがすごく旨そうだった。

これは私の偏見だと思うが、きれいな新しい家や店でいただく床漬け(九州ではそう言う)はなぜか美味しくない。昔、ぼろっちぃ長屋に住んでいた同級生の家で頂いた床漬けは絶品だったし、最近まで上得意にしていたスーパーの中の美味しい漬物やさんはある日突然倒産した。もしかしたら漬物の神様は貧乏な家に住み着くのか(あ、もし漬物上手の方がいたらごめんなさい、他意はありません)

そしてわが家の床漬けの味だが・・・まぁ聞かないで下さい・・・。

 

 

 

    


食に知恵あり

砂浜でいわゆる香港ノアールと呼ばれるギャングスター・ムービーをよく見る。そして一番のお気に入りはやっぱりジョン・ウー監督、チョー・ヨン・ファ主演の「男たちの挽歌」だ。

あり得ない激しい銃撃戦なのにスタイリッシュな映像、ストップ・モーション、意味もなく出てくる鳩、なんかむちゃくちゃはまった。

そのジョン・ウー監督が神のように崇めるているのが、日本の映画スター、小林旭。ちなみにチョー・ユン・ファも演技をするさい小林の映画を参考にしたと聞く。

さて私は小林の出演した日活アクション映画はあまり詳しくないが、彼の歌った「熱き心に」は大好きだ。

大滝詠一作曲の悠々と流れる大河のようなメロディ。それに乗せて小林は、何のけれんもないカラッとした高音で歌い上げる。歌謡曲でもなくJポップでもない、まさに小林しか歌えない大陸的な楽曲だ。

先日、ラジオで小林がゲストに出ていた。自分のお気に入りの曲を紹介するコーナーで、彼はなんのてらいもなく美空ひばりの曲を選んだ。言うまでもなくひばりと小林は一時期、結婚していたのだ。

彼は最初「美空ひばりさんはほんとに天才だ」「素晴らしく歌のうまい方だ」と丁寧語でしゃべっていたのに、話が興に乗るとついつい「ひばりは、ひばりは〜」と呼び捨てになってしまった。きっと彼は心から彼女を愛していたのだろう。あまりに天才的な妻を持ったがために、とうとう安らかな家庭を作ることはできなかったが・・・。

大滝詠一や、東京スカパラなど、小林ファンのアーティストは多い。彼は同時期の石原裕次郎みたいにファミリーや徒党を作らない。そしていつも朗らかだ。ノーテンキな男のそれではなく、人生の苦しみや孤独を味わい尽くした男のみが持つ、突き抜けた朗らかさなのだ。

 


熱き心に

海一時期フランソワーズ・サガンの小説に夢中になったことがある。その中で私が一番退屈に感じた作品が「一年ののち」だ。なんだか中流の鼻持ちならない男女がくっついたり離れたり、そしてジョゼという女も、うぬぼれが強くて好感が持てなかった。でもそれは単に私の読解力不足からだろう。

さて、「ジョゼと虎と魚たち」という映画をみた。池脇千鶴扮する足の悪い少女クミコは自らをジョゼと名乗っている。彼女は本が大好きで「一年ののち」は愛読書だ。そして妻夫木聡扮する大学生恒夫と知り合い、愛しあうようになる。

以下ネタバレ有り

多くの人がこの映画の感想で「男の身勝手さ」を挙げている。確かに恒夫は身勝手だ。少女を勝手に外に連れ出しながら、自分ははしごを外して逃げるようなマネをするのだから。でもま、男ってそんなもんじゃないの、(と中年女はタメ息をつく)

彼はまた自分より下のものに対して愛情を抱くタイプらしい。障害者で貧しいジョゼを選んだのはもちろん、アイドル的だった元彼女が、場末でしょぼいイベントガールをやっているのを見て思わず心が動くのもそうだ。

かの伊丹十三はエッセイの中で「男が結婚するのはベッドと食事のため」と述べているが、それからすると恒夫とジョゼの生活は楽しかったに違いない。この2人のラブシーンは妙に濃厚だし、ジョゼの手料理はすごく旨い。だがそれだけで結婚するには彼女にはハンデがありすぎたし、男が人の目を気にするのも仕方のない事だ。

もう二度とジョゼの手料理を味わうことができない。彼の涙には、それがあるのかも。

 

    

 
ジョゼと虎と魚たち(通常版)

菜の花人の体はとても合理的にできている。

歩かなくなると足の筋肉が退化し、風邪をひいたら、自ら体温を上げることによってウイルスを殺そうとする。

同じようなことが、社会においてもありえるのでは。

最近よく耳にする「ニート」という言葉、厚生労働省も乗り出して対策を講じるらしいが、はたしてそんなに悪いことなのか。昔だって仕事をしないで遊んでいる高等遊民や、自称家事手伝いの女性たちがいた。突然ふってわいた問題ではない。

まず、10〜20代の「ニート」と呼ばれる人の親は大体裕福で、息子や娘の生活費やお小遣いを捻出しても特に経済的には困らない。

思うに、これは神の見えざる手がみちびいて、もう生産的な事はするなと伝えているのでは。

ニート君たちは親に経済的な負担をかけてはいるが、その消費量は極めて少ない。食事はおかあさんが作るのを食べているだろうし、銀座で豪遊したり世界中を旅する人もいないはず。せいぜい趣味のゲームとか本を買うぐらいでしょ、慎ましいものだ。

生産的な事はしていないが、社会人にだって仕事もロクにしないで高い給料もらってる人や、貴重な税金でつまらぬハコモノを山ほど建てたり、森林切り倒して環境破壊に貢献してる人がたくさんいるのだ。ニート君は地球にやさしい。

プラスマイナスで考えれば、「ニート」による経済的損失は大したことではない。やがて彼らもせっぱつまれば働くようになるよ。

それよりもっと深刻なのは、中高年の失業問題ですよ、だって、もうお小遣いをくれるおとうさんも、ご飯を作ってくれるおかあさんもいないのだから。

 

 

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