ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年04月

決闘以前福岡ドームへダイエー(現ソフトバンク)戦を見に行ったときの事。

試合前の国歌斉唱の時、起立しようとした私に連れの友人が「立たなくていいよ!」と強行に押しとどめ、「えぇ、どうしてよ?」と、ちょっとした小競り合いになったが、小心者の私は、このままけんかするのもアレだしぃ〜と思い、結局腑に落ちないまま彼の言葉に従った。

よく考えたら友人は学校の先生。「日教組ってやっぱ合わんわ」とあらためて感じた。

私は思う、気楽に野球観戦ができるのは、日本が平和で豊かだから。それに感謝の意を表すのがなぜいけないことなのか。

日本という国は私にとって「母親」のようなものだ。確かに欠点もあるし過去には誤まったこともしただろう。だがそれでも私をいつくしんで育ててくれた、かけがえのないものだ。愛しているし、悪口を言われたら悲しくなる。

ごく自然にわいてくる国を愛する気持ちを、非難する権利はだれも持っていないはずだ。

 

さて話は変わり、歴史教科書が今問題になっているが、私が学生の頃、日本史の授業において昭和以降はほとんど習わなかったように思う。(時期的に3学期の終わりころで、先生も「ここらは試験に出ないし〜」てな感じではしょっていた記憶がある)

現役の社会科の先生は、今なにを考えているのだろうか。このままじゃあまりに不毛だ。

   

 お堀

たんぽぽ道端のタンポポに、ふと怖さを感じるときがある。特にアスファルト舗装を突き破って花を咲かせているのを見たときは思わず、

「なぜおまえはそんな苦しい思いをしてまで生きようとしているのだ、何か良いことがあるのか?」と声をかけたくなる。

さて、椎名誠氏の著書に「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り」という作品がある。

実は私は椎名誠は食わず嫌いだった(今も若干そうだが)。何かいい年の男がつるんで焚き火や探検ごっこをしてはしゃいでるイメージがある。評判のエッセイも、ムリに笑わせようとする作為が感じられてどうも好きになれない。

でもこの「パタゴニア」は良かった。南米大陸最南端、秘境パタゴニアに向ってマゼラン海峡をわたる椎名氏は、海の男でさえ船酔いするドレーク海峡にいどみ、すさまじい氷河を目にする。

この作品での彼は、常のようにわくわくはしゃいだりはしない。沈うつでさえある。なぜなら、ノイローゼにおちいった妻を置いてこの旅に出たから。その上、彼女の病気の原因を作ったのは他ならぬ彼自身だ。

万一のことも考えられる。彼は始終不安と戦いながらも厳しい旅を続ける。その心象風景が、不思議と南半球の最果ての地と重なり合うのだ。そしてマゼラン海峡沿いの荒涼とした土地で、いちめんのタンポポに出会う。激しい風に必死にあらがっている花。

 

この旅が終わったあと、夫婦は力を合わせて苦しみを乗り越え、妻の方は思いがけず作家として新たな道を進むことになった。

風に揺れながら、かたくなだったタンポポがやがて、わたぼうしとなり空に舞っていくようだ。

   

  
パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り

中島義道子供の頃から、「人はしんだらどうなるのだろうか?」といつも考えていた。自分が死んだ後もこの宇宙は何万年も何億年も続いてくのだろうか、足が地に着かない恐怖におびえ、親に聞くが答えてはくれない。

それどころか、「子供のくせにそんなこと考えて」「暗い子だ」「だからあんたは友達が少ない」。しまいには「だから通信簿の成績が悪いのだ」など散々な言われようだった。

なぜ大人は、こんな重大な事を考えず、日々の瑣末なことに一喜一憂するのか不思議に思いながらも、疑問は心の中に封印した。

さて2年ほど前、ある書店で私は一冊の文庫本に心を惹かれた。それは、中島義道著「私の嫌いな10の言葉」だ。当時、中島氏など全然知らなかった私だがパラパラっと本を見た後即購入。その後一ヶ月でつごう7冊の氏の本を買い求めた。

もうツボにはまったのだ。こんなに波長が合う作家とめぐり合ったのもめずらしい。

ちなみに件の、嫌いな10の言葉とは・・・。

1、相手の気持ちを考えろよ! 2、ひとりで生きてるんじゃないからな! 3、おまえのためを思って言ってるんだぞ! 4、もっと素直になれよ! 5、1度頭を下げれば済むことじゃないか! 6、謝れよ! 7、弁解するな! 8、胸に手をあててよく考えてみろ! 9、みんなが厭な気分になるじゃないか! 10、自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

まさに花見の席で、上司が新入社員に説教たれてるような内容ではないか。前途有望なみなさんは読まないように。

そして、著者もまた子供の頃、死の恐怖に打ち震え「大変なことだ!どうにかしなければ!」と心の中で叫んでいたという。

長じて、東大法学部に現役合格後、哲学に転向、それはある哲学の教授によれば、「警視庁から山口組に代わるようなもの」だそうだ。

氏の本は正直、社会の発展には何の役にも立たない。かえって実害があるかも。そして実際、こんなおじさんが近くにいたら、うっとうしくてたまらないと思う。だが読んでいると開放感がわいてくるから不思議だ。

これからも、瑣末な事に一喜一憂しつつ、役に立たないことを考えていこう。

  

満開

今日、お弁当を作って、某公園へお花見に行った。そこは海岸に近いので、桜を愛でたあと、春の海を眺めながらbお弁当を広げることができる。

さて、私はあるベンチャー企業社長のブログを読んで桜ネタを仕入れており、早速友人に受け売りの薀蓄を語ったところ、大そう感心された。書物だけでは得られない、リアルタイムで生活に根ざした情報を運んでくれる、まったく持つべきは良いブログだ。

ところで最近、ランキングは上位なのに、全く中身のない空虚なブログを見かけるようになった。からくりは分からないが、スパムコメントの多さから、業者がからんでいるのだろうか。

初めてブログを訪問した人は、まずランキング上位から見ていくはずである。その人たちの失望する姿が目に見えるようだ。

ライブドア側は、色々な対策を講じていると信じているが、今の所、その効果は出ていないようだ。これ以上、優良なブログが、スパムブログに沈められなければ良いが・・・・。

   

i

桜5先日見たDVD「誰も知らない」の子供たちの姿がまだ脳裏から消えない今日この頃。強烈な印象が残る長男役の柳楽くん。さすがカンヌで、タランティーノ監督が絶賛しただけある。

ふと、彼と似たような境遇の子が出てくる映画見たことがあるような気が・・・・・・・。思い出した!アメリカ映画の「ロングウェイ・ホーム」だ。

ストーリーは、やくざな夫婦が3人の子供たちを捨てて家を出るところから始まる。7歳の長男はその日から、5歳の弟3歳の妹の親代わりとなり、せっせと世話をする。当然お金などないので、近くの店で食品を万引きしては、弟妹に食べさせるわけだ。

やがて警察に見つかり、兄弟たちはそれぞれ別の所に預けられることになった。兄は最後まで別れを拒んだが子供の力ではどうにもならない。そして、ここでは18歳になるまで兄弟の里親の住所は教えないきまりがある。

兄は、親切なある夫婦に引き取られ成長する。でも7歳で既に“大人”になってしまった彼は、義父母を愛してはいるが、甘えたり頼ったりすることが出来ない。そしていつも気になるのは離れ離れになった弟妹たちだ。

やがて義父母とも別れ、彼は弟と妹を探すため奔走する・・・。

運命に翻弄された兄弟たちが邂逅を果たす場面は、まことに感動的だった。そしてこの物語は実話だ。

映画「誰も知らない」のモチーフになった「巣鴨子供置き去り事件」は今から17年前のことだ。どうかあの事件の子供達が無事に成長し、「ロング・ウェイホーム」の主人公のような幸せを得ていますように。

 


「誰も知らない」ができるまで

桜3つらい体験をすればするほど、人は口が重くなる傾向がある。特に日本人はそうだ。60年前、一億の国民それぞれが戦争の渦中にいたにもかかわらず、その体験を伝え聞いた子や孫は少ないのではないだろうか。

悲惨な体験、惨めな出来事は早く忘れ、国の復興にまい進しようという気持ちもあっただろう。また負け戦と言う事もあり自尊心のため子や孫に言えなかった人もいるだろう。

でも、終戦当時20歳だった人も今は80歳。もう時間がない。機会があれば私たちの方からお年寄りに声をかけ、当時の話を伺いたい。何も知らないまま、隣国の言い分に振り回されるのだけは、ゼッタイいやだ。

さて、宮尾登美子さんのエッセイ集「手とぼしの記」の中に “引き揚げ記念日”という章がある。戦時中、夫と乳飲み子と共に満州に渡っていた著者は、当地で終戦を迎え、暴民からのがれて着のみ着のままで炭鉱に逃げ込みそこで一年間を過ごしたのだ。

筆舌に尽くしがたいつらい暮らしだったと思うのだが、宮尾さんは心身ともにケダモノになる事によって生き抜くことができた、と語っている。

桜の樹の下で、静かにお年寄りの話に耳をかたむけるのもまた一興かと思う。

 

 
手とぼしの記

春も盛んになり、暖かな日差しと風に誘われて、バイクでツーリングに出かける方も増えてきたと思う。

私自身はひどい運動音痴かつ機械音痴のため、バイク乗りをしようとは夢にも思わないが、桜2晴れ渡る青空の下、颯爽とバイクにまたがるライダーを見かけると、うらやましく思い、人生ちょっと損をしたなぁと感じる。

さて、片岡義男の作品の中には多くの優れたバイク小説があるが、その中でも特に好きなのが「ときには星の下で眠る」だ。

この物語はバイク好きの地方の高校生たちの話で、(多分、松本あたり?)彼らは盗んだバイクで走るような甘ったれたことはしない。バイトをして愛車を購入し、手入れし、そして美しい自然の中で走らせる。本当に好きなことを見つけた彼らにとって、学校や受験など取るに足らぬ事なのだ。

青春真っ盛りの彼らだから、むろん恋愛事件も起こるし、また思いがけない事故もある。そして別れも。だが喜びや悲しみを背負いながらも、彼らは走り続ける。

正直、この小説を家で読むのはつまらない。できれば野外で、そして一番良いのは、高原の見晴らしのいい場所でバイクを止めエンジンを切り、ヘルメットをぬぎシートをおりて、ひんやりした風を感じながら、やおらジーンズの尻ポケットからこの本をとり出す・・・・と思うんですが。

つまり自分は、この本の最高の楽しみを知らないままなのか・・・。

  
ときには星の下で眠る

桜本日は、B'zの14枚目のアルバム、「THE CIRCLE」の発売日だ。熱狂的ではないけれど、昔からB'zは好きだったので、新曲やニューアルバムは、やはり気になる。

それにしてもボーカルの稲葉浩志、この人ほんと昔から変わらない。初めて彼を見たとき、こんな少女漫画のキャラクターみたいな人がいたのかと、瞠目したものだ。

国立大学の数学科出身、端正な顔立ちとほっそりした体。普段はぼそぼそと喋るのに、ライブの時の力強いボーカルと派手なパフォーマンス。

それにもまして特異なのが、彼の作る歌詞だ。どちらかというと男のダメな部分をあからさまに表現したものが多い。でも稲葉が歌うとこれがかっこいいんだよね、くやしいけど。

40歳になった彼は、相変わらず引き締まった美しい肢体でライブにいどむ。もはや中年太りとか加齢臭から見捨てられてしまったようだ。このままどんな風に年を重ねていくのか、彼から目が離せない。

 

  
THE CIRCLE

草花映画「誰も知らない」の是枝監督の作ったテレビドキュメンタリー番組、「記憶が失われた時」を見たことがある。

胃潰瘍の手術後の処置ミスのため、新たに記憶を重ねることが出来なくなった若い父親の日常を追ったものだ。この人の記憶は手術を受けた日で止まっている。奥さんや2人の息子たちと楽しく過ごし、子供たちがどんどん成長していっても、彼の記憶にある子供たちは手術当時の小学生のままである。

気丈な奥さんは、こんな状況の中で3人目の子供を産む。父親は、この三番目の子の顔を覚えることが出来ない。羽生名人によく似た優しい顔立ちの父親は、いつも不安げな表情で、それでも淡々と子供たちの世話をし、日々を過ごしている。

映像が美しくおだやかであるために、かえってその残酷さが胸に突き刺さる。若い父親はこれからどう生きてゆくのだろうか。

さて、映画「誰も知らない」に出てくる子供たちは不思議な楽園に住んでおり、外の世界とは自由に行ったり来たりしている。ドアが開いているのだから、周りの大人たち(コンビニの店員や母の元彼氏)はあえて彼らを脱出させようとはしない。いじめられている女子中学生などは、その楽園に心の安らぎを見いだしているほどだ。そしてだれもが優しい。

その優しさが結果的には大きな悲劇を生み出していることを誰も知らない。いっそ鬼のような母親が子供たちを虐待・監禁した方が解決策があったろう。

美しく穏かな残酷を作り出す是枝監督はすごい人だ。

   


誰も知らない

噴水

昨日浅田次郎の「壬生義士伝」を読み終えた。

読む前、心に誓ったものだ。「決して情に流されるな、巧さにだまされるな」

そしてこの誓いは果たされることなく、作者のテクニックに翻弄され、情に流され涙に溺れる快感を充分あじわった。

さて、この物語は、南部出身の新撰組隊士「吉村貫一郎」の人生を、生き残りの隊士や彼の教え子などが回想で語り、その中に時折、本人が一人称で出てくる、という形をとっている。

そのピンポイントで出てくる南部なまりがもうたまらない。九州人である私は、東北弁になじみがないので、あの穏やかな言葉だけで、もうへなへなと腰がくだけてしまう。回想で語る他の人々の多くが、チャキチャキの江戸弁というのも巧い。やられたって感じ。

そして気がついた。南部なまりって何となく熊本弁のイントネーションに似てる。不思議だ。どこかでつながっているのだろうか。

人の心を弛緩させる力を持つ、方言ってほんとにこわい。


壬生義士伝 上 文春文庫 あ 39-2

↑このページのトップヘ