ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年05月

コメントはむずかしい

ブログを見てまわるのは楽しい。いつも新鮮な発見があり驚きがあるから。常連で巡回している所では、たとえさっぱり分らない0351内容であっても、眉間にしわを寄せながら検索をかけながら、なるべく理解しようと努めている。自分で作った見えない壁を乗り越えるためにも。

さて、ブログは書くのも楽しい。なぜなら自分の好き勝手に書きつらねることが出来るから。公序良俗に反しない限り自由に意見を書き、それを反映させることが出来る場所は他に思いつかない。

ただ、コメントは難しい。エントリーは気の向くままに書けばいいが、コメントは相手がいる。人様のブログを見、その素晴らしさに感動し、一言残したいと思っても、完璧なエントリーほど、コメントを書くのが難しい。自分の駄文のせいで、折角の余韻が台無しになるのではという懸念もある。

私はお茶を習っているが、先輩方から“客ぶり”という言葉を教えていただいた。お茶は、たてるより、客のほうがむずかしいとも言われる。果たして自分は良い“客ぶり”だろうか。

人様のエントリーに対し、内容を尊重しつつ、ただ迎合するだけでなく自分の意見も上手に伝える・・・・・・・。うーん、むずかしい。

ブログの達人の道は遠く、コメントの達人の道は更に遠い・・・・。まだまだ修行を重ねなければ。

    

0349

幸せの許容範囲

茶摘深田恭子ちゃんが主演した映画「下妻物語」の中に、こんなセリフがあった。

「人間は、大きな幸せを目の前にすると臆病になる、幸せを勝ち取ることは、不幸に耐えることより勇気が入るの」

むう、こんなエンターテイメントな、見ようによればふざけた映画で、人生の機微を感じる言葉と出会うなんて・・・。

世の中にはなぜかいつも不幸な女がいる。もう少し賢く生きればよいものを、まるで自ら進んで貧乏くじを引いているような。昔の女性にそういうタイプが多かったと感じる。怠惰から来るのか、諦めからか、彼女たちの心は計り知れない。

山本周五郎著「赤ひげ診療譚」の中にも、そんな女が出てくる。

女は、惚れた男と夢にまで見た所帯を持つことになった。男は心優しい働き者で、2人はこのままずっと幸せに暮らしていけるはずだったのに、突然、その幸せを捨て、女は男の前から姿をくらます。

「罰が当たるにちがいない」それが女の考えだった。こんな幸せでいい筈がない、いつか罰が当たる・・・・。その考えが間違いだと気づいたとき、女は再び男のところへ戻っていくが、それは更に大きな悲劇への幕開けだった。

彼女は決して不幸なだけの女ではない。たとえ短い時間ではあっても、惚れた男と満ち足りた暮らしをすることが出来たのだから。ただ彼女はキャパシティが小さかったのだ。身に余る幸せを受け止められず逃げ出してしまった。

現代人には理解できない行動だろう。だが自分のあやまちに気づいたとき、まるで細胞の自然死(アポトーシス)のように静かに消えていくその女の、愚かしいまでの美しさは深く心に残った。

 


赤ひげ診療譚

6月9日はロックの日

0326音楽評論家、渋谷陽一氏の誕生日が6月9日と聞いたときは、「ウソだろ!」と思ったものだ。だってジョーダンみたいじゃないですか。ロック評論家の誕生日がロックの日なんて。
 
彼の担当するラジオ番組、NHK−FM「ワールド・ロック・ナウ」は、今だにハガキのみの投稿を受付けている。今更リクエストハガキを出す気はないが、実は、誕生日近くになると毎年バースデーレターみたいなのを出しているのだ、ああ恥ずかしい・・・。
 
彼はミーハーである。アカデミックなところが全く感じられない。ロックの衝撃を言語であらわすという、ある意味小林秀雄のようなチャレンジをしているにもかかわらず。
 
さて、以前アメリカにチープ・トリックというバンドがあった(今も現役か?)金髪と黒髪の美形2人と、帽子かぶった怪しい男、区役所の戸籍係みたいなおっさんの4人からなる、とてもチャーミングなバンドだ。当時ロック界はパンク一色だったのに、何故か渋谷氏はこのキッチュなバンドをしつこいくらいにプッシュしていた。その時、あ、もしかして彼は、精神が女の子かもしれないと思った。
 
'70年代「ミュージックライフ」という音楽雑誌があった。女性が編集長のそれは、もろ右脳フル稼動といった感じのミーハーロック雑誌で、確か、かのクィーンもこの雑誌から火がついたのではなかったか。当時、同級生の男の子たちはみんなクィーンを馬鹿にしていた。小難しい理屈をこね回す男には、クィーンの持つ音楽性、そして耽美さというものが理解されなかったらしい。
 
音楽の感動を言葉であらわすという、ある意味、無茶をするにはミーハーな女の子の感覚が必要だ。渋谷氏にはおじいさん(おばあさん?)になってもぜひ果敢にチャレンジしてほしいものだ。
 
 
  
    
  
 

Heaven Tonight

夢の野球場

アメリカには野球をテーマにした映画が多い。ch019多くの名作があるが私が特に好きなのが「フィールド・オブ・ドリームス」と、日本では未公開の「エイトメン・アウト」」である。どちらも、1919年、あの大リーグの八百長事件「ブラックソックス・スキャンダル」で球界を追放された不世出の外野手、ジョー・ジャクソン(シューレス・ジョー)の話をベースにしている。

31歳の若さで球界を去ったジョーの心はいかばかりだったか。読み書きが出来なかったらしい彼にとって、人生が終わったも同然である。

日本にもシューレス・ジョーがいた。元西鉄ライオンズの投手、池永正明氏である。彼はわずか23歳で球界を永久追放された。先月35年振りに復権を認められたが、正直60歳近くになって処分が解かれたところで失われた人生は帰ってこない。今さら済んでしまった事を言ってもせん無いことだが、この「黒い霧事件」をきっかけに、パ・リーグは受難の道を歩みだしたように思う。

思うに、シューレス・ジョーも池永氏も「愛すべき野球バカ」だったのだろう。それは悪いことではないが、魑魅魍魎がはびこるプロの世界では弱点ともなる。

才能のある人ほど、思慮深さが必要なのだ。

 

 
エイト・メン・アウト


シューレス・ジョー

ワールドカップの思ひ出

夕日初めてサッカーの「ワールドカップ」なるものを知ったのはいつだったか・・・。中学の頃、同級生の男の子が「ベッケンバウワーが〜!」と大騒ぎしていたが、今考えると'74年の西ドイツ大会のことらしい。クラスで話題になるくらいだからテレビ放送はあったのだろうが、私は全く記憶にない。ただ、いかにもゲルマン人!て感じの、その選手の名前だけは印象に残った。
 
それから数年たち、今度は職場の男性が「ロッシが〜!」とやたら興奮している。'82年のスペイン大会の時だ。だんだん興味を持つようにはなったが、放送が深夜になるためテレビ放映はあまり見なかった。
 
それからドーハの悲劇の後のアメリカ大会。故ナンシー関嬢がいみじくも言っていた「ワールドカップが、Jリーグの人気下降を招いた」に深くうなずいたものだ。
 
Jリーグスタート当初、免疫のない人たちにとって、サッカー選手はとても新鮮だった。長髪や短パン、オフサイドなどのルールでさえおしゃれでかっこよく見えた。
 
でも、世界の超一流のプレイをまざまざと見せられると、たちまちJリーグの日本選手はかすんで見えるようになった。何かタイミングが悪いと言うか。
 
それから数年たち、いよいよ来年、ドイツでFIFAワールドカップが開かれる。大会会長は、あのベッケンバウワーだ。西ドイツ大会から長い年月を経てまたドイツに還って来た、そんな気がして、もう今からわくわくしている私である。

20世紀ワールドカップヒーローズ

90分の壁

CH020映画「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還SEE」(未公開映像を付け加えた特別版)を観ていたら突然館内が明るくなりびっくりした。何と休憩タイムとの事。さすがに4時間ちょっとの長丁場だから映画館側も考慮したのだろう。でも前回の「旅の仲間」と「二つの塔」SEEの時はなかったぞ。(つか結局全部見たのかよ!)。

上映中に「休憩」を体験したのは、これが初めてではない。昔「風と共に去りぬ」を観ていた時も、急に明るくなって休憩タイムがあり周りのお客さんがわらわらトイレに向ったのを覚えている。当時としては画期的な長さだったから。

さて、最近の映画は上映時間が長い。私が少女の頃(先カンブリア紀)は大体1時間30分前後ではなかっただろうか。今は3時間の作品もめずらしくない。

しかしながら私の集中力持続時間は90分がリミットだ。したがって長い映画を観るのは辛い。先ほどの「ロード・オブ・ザ・リング」のように自分がマニアックになれる作品や心底気に入った映画ならともかく、ただ冗長なだけの作品はひたすら耐えるしかない。

映画の長さも作品の良さを決める重要なポイントだと思う。例えばラブコメディなどは長すぎるとテンポが悪くダレてくる。その点メグ・ライアンの「恋人たちの予感」やレニーの「ブリジット・ジョーンズの日記」は大体1時間30分ぐらいで、内容もテンポも良く爽やかな余韻を残して終わっている。

映画に限らず読書や勉強、スポーツなども私の場合90分が限度だ、根性なしの人間だ。でもレム睡眠とノンレム睡眠も、90分毎に繰り返すって聞いたことがあるが関連性はあるのかな?

そんなわけで映画を観に行くとき、内容よりもまず上映時間を気にするようじゃもうだめじゃん。

             


ブリジット・ジョーンズの日記

田舎のバス

座席←は、私が利用するNバスの後部座席である。ほとんどのバスの後部座席は落書きか、もしくはそれを塗り消した跡がある。

この程度はまだ可愛いもので、中には目を背けたくなるほど卑猥なのもあるのだ。

ワンマンバスの運転手は運転や乗客の乗り降りに神経を集中させているので、とても後ろの様子など目に入らない。それをいいことに傍若無人なことをするのは、通学にバスを利用する高校生である。落書きの内容や筆記道具をもっていることなどから間違いない。でも特定は出来ない。

落書きが発生すると、バス会社はその部分を塗りなおしたり、時にはカバー等を新しいものに張り替えたりしているがそれも束の間、たちまち新しい落書きで埋め尽くされ元の木阿弥・・・・。修繕費用だってバカにならないはずなのに・・・。

だが私が切なく思うのは運転手さんの気持ちだ。

もちろん“バス”は会社のもので運転手の所有物ではない。でも日々、お客の安全を考え、誠実に仕事をしている彼らは、この落書きに対してどう思っているのだろうか、怒り?悲しみ?

それでも日々変わらず、誠実に「ありがとうございます」と声をかけている運転手さん。ちょいと学生さんたち、運転手のストレスがこれ以上溜まらないよう、バカなことは卒業しようね。

    

0340

迷える白鳥たち

0294今、巷ではおびただしい程の「自己啓発本」が溢れている。blogでその手の本を紹介している方も多く見かけるし、やはり需要があるんだろうな。

で、私自身、数は少ないが色々な「自己啓発本」を読んで気づいたこと。

まず出世する人、成功する人の条件として

1.ポジティブ思考である。2.先送りをしない(気づいた事は即実行する)。3.早起きである。

もちろん他にもあるだろうが、この三つは基本だろう。そしてこの三つの条件を見事に持ち合わせていない私のような人間は、さてどう生きていくべきか。あまりの完璧なはずれ方に思わず笑ってしまう。

ただし、3番の「早起き」については実行できるようになった、て言うか単に年取って早く目が覚めるようになっただけの話しだが・・。

でも私は悲観してはいない。元々そういう人(どういう人だ)は栄耀栄華を求めない欲のないタイプが多いので、けっこう平和に生きていける。第一すべての人間がポジティブ思考だったら逆に危ない。一定数の割合でそうじゃない人の存在も必要だ。

さて、先日テレビで「ローザンヌ・バレエコンクール」を見た。参加者の若者たちは、クラシック、コンテンポラリー、そしてフリーの3種目を踊るのだが、私が引かれたのはコンテンポラリーバレエだ。華やかに舞い踊るクラシックバレエと比べ、それは床に吸いつき吸いこまれそうな踊りでひたすら人の内面を表現している。脱力した動き、陰影のある表情に思わず息をのむ。そしてコンテンポラリーバレエでは美しい肉体はかえって邪魔になり、欧米人よりも薄っぺらい体型の東洋人の方が優位になるのだ。

もちろんコンテンポラリーバレエも基本はクラシックだ。キチンと基礎を学んだ上で、「私はこっちをやりたい」と思えば、好きな方をやれば良い。

ポジティブな人たちに敬意を払いつつ、自分らしい道を歩いていきたい。そして、その立ち姿が美しく見えれば尚良いのだが。

 

 
チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」

五月の空

0293前回拙ブログに載せた、スーザン・サランドンのパートナー、俳優のティム・ロビンスは195センチの長身の男だ。小顔で童顔のせいかそんなノッポさんには見えない。

さて、彼の俳優としての才能はつとに伝えられているが、代表作を選ぶとしたら多くの人が「ショーシャンクの空に」を選ぶであろう。

この作品の原作「刑務所のリタ・ヘイワーズ」は、スティーブン・キング著『ゴールデンボーイ 恐怖の四季春夏編』に収められている短編だ。正直そんなに目立たない話をよくぞこれほどの名作に仕立て上げたものだ。新人監督の力恐るべし。

ティム・ロビンス扮する囚人アンディは元銀行家で金融のプロだがそれ以上にとても教養ある男だ。それは単に頭がいいとか知識があるというのではなく、苦難の中にあっても楽しみを見つけ、それによって人間性を失うことなく生き抜くことが出来るということだ。

アウシュビッツを体験したV・Eフランクルは、著書「夜と霧」の中で辛い重労働のさなか、夕日の美しさに感動してうっとり眺め、一緒に見た仲間は「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」とつぶやいたと言う。また彼は仕事仲間に、一日一回愉快な話しをしようと提案もしたらしい。「生きるか死ぬか」の状況にいながらその心のゆとりはどうだろう。それが結果として、彼が生還を果たした理由の一つかもしれない。

「希望」を失わない人に女神は微笑む。「こんなに都合よく行くわけないよ〜」と思いつつも、アンディのチャレンジには、五月の空のように心がはればれするのだ。

 

 
ショーシャンクの空に

美しい人だから

0036現在公開中の「Shall we Dance?」を見に行った。特に見たかったわけではなく、「暇だから映画でも見るぅ?」みたいなノリで友人と出かけたのだが、意外と面白かった。というか日本版より私は好きだ。

公開中なので多くは語れないが特に印象的だったのが、主人公役リチャード・ギアの妻を演ずるスーザン・サランドンだ。元々大好きな女優なのだが、この作品でも夫の心を分りかねて悶々とする善良な妻の役を好演している。

さて、スーザン主演作品で特に好きなのがある。それは「僕の美しい人だから」だ。これは43歳の場末のハンバーガー・ショップのウエイトレスと27歳のハンサムなヤッピー(死語)の恋愛物語である。ウエイトレス役は無論スーザンで、27歳の青年はジェームス・スペイダーが演じている。彼がまた三白眼で色素が薄くていかにもクールな美青年なのだ。

この映画が公開されるや否や、たちまち私たち負け犬仲間(差別用語か?)内でブームとなり、「この2人いいかんじよねぇ」と言い合ったものだ。

まず彼女が彼に対して卑屈にならないのが良い。そしてみだらでだらしないところがありながら、つねに凛としているところ。まったくこの役はスーザン以外は考えられないだろう。

パートナーのティム・ロビンスの影響もあってか、スーザンのことを社会派女優と思われている方も多いが、実は彼女は元々脱ぎっぷりの良いセクシー派でもあったのだ。上記の「Shall we Dance?」の中でも、ある男性といい雰囲気になるシーンがあり思わずドキドキしてしまった。

スーザンの活躍は、年増女にとって大きな励みだ。これからも社会派作品ばかりでなく、現役セクシー派としてもがんばってほしいものである。

 


ぼくの美しい人だから
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