ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年06月

「music baton」がめぐってきた。ブログの師、おおた葉一郎さんからタッチされたので慎んでお受けすることにする。

参考のため他のブログを拝見するが、みなさん渋い音楽を聴かれてますねぇ。それに比べ稚拙な自分が恥ずかしいのですが、見栄をはっても仕方ないので、気を取り直して・・・・。

1.コンピュータ上の音楽容量・・・・・・パソコンで音楽を聴かないのでよくわかりません。

2.今聞いている曲・・・・・・Stingの『...nothing like the sun』1987年の作品だが、何度聴いても飽きない。彼の硬質な色気、だれよりもイギリス人っぽいのにボヘミアン的なたたずまい。この作品の中のひとつ「Englishman In New York」これは映画のサントラに使われ、映画自体はダメダメだったのに音楽は名曲だ。

3.最後に買ったCD・・・・・・EMINEMの『ENCORE』 もうこの悪ガキがー!と思いながらも目が離せない。

4.よく聞く、あるいは思い入れのある曲「5曲」・・・・・・・むずかしいです。とり合えず頭に浮かんだ順で。

Charの『Char』・・・・・・21歳の天才ギタリストに荒削りという言葉は似合わない。洗練された音、神がかりのギターテクニック、生意気な少年はその才能ゆえに苦難の道を歩み、やがて生意気なオヤジになった。

Coccoの『クムイウタ』・・・・・・Coccoの歌うオキナワは、じっとりと湿気を含んだ風をはらみ、その甘い香りの中にかすかに血の味がする。

NIRVANAの『NEVERMIND』・・・・・・この作品を知った時には、もうカート・コバーンは逝ってしまっていた。何かくやしい、つか勝手に自己完結するなんて、カート、かっこつけすぎ!

EMINEMの『THE MARSHALL MATHERS LP』・・・・・・おはようからおやすみまで、ママからビル・クリントンまで 、エミネムにブログ、もとい口撃のネタは尽きない。

Radioheadの『Ok Computer』・・・・・・・どんよりとした陰鬱な作風、無機質をよそおいながらも、血があふれ出そうなトム・ヨークのボーカル、落ち込んでいる時に聴くと海の底まで沈んでいけます。

何かベタな選曲でしたね(まぁベタな人間だから)

5.次のバトンですが、知り合いが少ないので(ネット上でも友だち作りの下手なやつ)パスさせていただきます。実際問題、すべての人が律儀に5人にバトンを渡していたら収拾がつかなくなるだろうし。それともおおたさんのアイデアのように、逆ねずみ講方式で、さかのぼって嫌いな曲のベスト5も良いかもしれない。

   


Char
クムイウタ
ネヴァーマインド
ザ・マーシャル・マザーズLP+スペシャル・エディション(限定盤)
O・K・コンピューター

0271

本を読んだ後、頭の中が混乱し、あたかもどろどろとした混沌状態になるときがある。

それは巨匠が、いっさい力を抜かず、どうだー!とばかりに書き著したものに出会った時に、しばし訪れる。

そしてその混沌は、時間がたつにつれ徐々に均質化する。やがてそれが美しい塑像となって表れた時、本を読む快感はここにきわまれるのだ。

昨日、三島由紀夫著「春の雪」を読んだ後、久々にこの混沌を味わった。

頭の中に、理解し得るもの、し得ないもの、共感するもの、不快なものが混在し、今とても感想を述べる事は出来ないのだが、ただ印象に残っているものとして、主人公「松枝清顕」とその友人「本多繁邦」の友情がある。実は清顕の恋愛沙汰よりも私はこの、育ちの良い学習院の同級生同士の関係が気になってしょうがない。

公爵家の1人息子でたぐい稀なる美貌を持ちながら、すべてに無気力な清顕と、法律家を目指している、理知的で落ち着いた風貌の繁邦は、むろん性的な関係では決してないのだが、他のどれよりも官能j的である。

そして、彼らの美しさに比べて、その親たちのなんとこっけいな事。まるで働きアリのように右往左往しているその姿に思う。三島由紀夫はやっぱり子供だ。どんな作品も、常に老成した子供の視点で書かれている。

さて、今までこの作品を読まなかったのは、これが『豊饒の海』四部作シリーズの第一巻だからである。つまり「春の雪」を読んだ以上、あとの「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」も読みたくなる事は必然で、けれど中年の身に三島由紀夫は、正直しんどいのだ。若い頃は激しい運動した翌日筋肉が痛くなったのに、年をとるとその痛みが3日後に来るのに似て、回復力が鈍くなっているから。でももう読み始めてしまったものはしょうがない。

弱々しい帆を広げて、豊饒の海を漂ってみよう

   


春の雪

0071元大関の貴ノ花(二子山親方)が亡くなって一ヶ月近くになる。現役時代を知っているものとしては、静かに思い出話にひたりたいのに、マスコミは相変わらず下らない兄弟げんかをあおってばかり。情けない。

花田満少年(貴ノ花)が中学三年でバタフライの日本新記録を出した時の新聞の見出しをなぜか覚えている。確か「日本の水泳界を救う男、花田」みたいなことが書かれてあったと思う。(何しろ大昔の事なので正確ではないが)

てっきりオリンピックを目指すものと思っていたのに、貴ノ花はそれからほどなく相撲界に入門した。

私はガッカリしたものだ。なぜなら相撲は年寄りくさい退屈なスポーツだと思っていたから。それよりオリンピックでの勇姿を見たかった。

でも、貴ノ花の登場によって相撲界は変わる。デブのうっとうしいお相撲さん(まぁ子供の目なもんで)の中で、すらっとしてカモシカのような足で気品のある顔立ちの貴ノ花は、多くの人たちの心を打った。

取り口がまた泣かせるのだ。小さい体なのに決して立会いで変化をせず、いつも真っ向から向っていく。その悲壮ともいえる姿が、彼の憂いある顔立ちと相まって、まさしく日本人すべての琴線にふれたのだ。

そう、彼はいつも悲しそうな表情をしていた。それは小兵であることへの悩みか、兄の初代若乃花に対する劣等感か、自ら捨てたオリンピックへの思いなのか、わからない。

後に初代若乃花は、実の弟である貴ノ花でなく、彼の弟弟子である若三杉に、「若乃花」の名を譲っている。

「二代目若乃花」として横綱土俵入りをする弟弟子の晴れ姿の後ろで、うなだれた表情で太刀持ちをしていた貴乃花が忘れられない。

私は思った。なぜ貴ノ花に「二代目若乃花」を襲名させてあげなかったのだろうか。体は小さいが実力人気とも天下一品なのに。異議を唱えるものは誰もいなかったはずだ。

蛇足だが、二代目若乃花(今の間垣親方)は初代若乃花の娘と結婚するが(政略結婚か?)やがて離婚し、意中の人と再婚して部屋を離れている。相撲界のドンとコネを作るより、恋人を選んだ間垣親方ってなんか好きだ。

さて、6月25日の毎日新聞文化欄に、ノンフィクション作家の後藤正治氏がコラムを書いており、元大関貴ノ花のことを、やはり悲哀感がつきまとう人と述べている。

勝負の世界にいながら、常に悲哀感を漂わせていた人。

その美しい残像を、つまらぬ茶番劇で汚したくない。今はただそう願うのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0351別に医者にかかった訳でなく、いい加減な推測なのだが、私は軽い躁うつ持ちではないかと思う。

気分がひどく落ち込む時と、逆にハイになる時が、周期的にやってくるのだ。

うつ状態といっても自殺念慮が出るほどひどくはないが、気分が重くやる気が起きない。今までの辛い過去ばかりが頭に浮かび、後悔の念に押しつぶされそうになる。

ただ年の功か、うつ状態がやってくる周期が、ある程度予想できるようになったので、その時期にはなるべく重要な用事は入れないようにし、心を落ち着けひたすら嵐が去っていくよう、コントロールしている。

そして勝手な思い込みかもしれないが、苦しみながらも自分を見つめる事で、多少なりとも人生の深みというか、人に対して寛容になったような気がする。

問題はハイの状態になった時だ。やたら買い物をしたり、つまらぬ習い事を始めたり、趣味に懲りだすのがこの時期だ。ああ、そのためにどれだけ散財したであろうか。

高揚感というか万能感というか、自分がなんでも出来るような根拠のない自信がわいてくるのだ。確かにその時は気持ちがいいが、後がこわい。

ギャンブルに大枚をはたく人や、やたら買い物をしてカード破産をする人の中にも、そう状態の人が結構いるのではないだろうか。

やっかいだなと思いつつも、私はそんな状態にいる自分自身がけっして嫌いではない。

無力さを嘆き、落ち込んでいる自分も、あれもしたいこれもしたいと、はしゃぎまわっている自分も、どちらもいとおしい。

実は今、気分がハイになりつつあるのだ、やばい。願わくば、いらんもの買いしないよう自重せねば。

 

 

 

 

 

 

 

0244山口県の萩市は、萩焼、そして幕末維新の城下町として知られている。ひなびた風合いの萩焼は大好きだし、吉田松陰の松下村塾は何度も行ったことがある。

ただ、今はこれといった産業もない、静かな山陰の小都市である。

さて、この地に建つ萩国際大学は、このたび大学では珍しい民事再生法の適用を申請した。6年前、萩女子短大から四年制大学に移行してからずっと定員割れが続いていたのだが、今春は300人の定員に対しわずか42人、今現在の学生数は194人、うち116人は中国などの留学生である。

この大学は以前、就労目的で来日した中国人就学生の失踪が表面化し、問題になったことがある。留学生のほとんどが東京などの都心部に移り住んでいたという「酒田短大」の二の舞になるのでは、と心配していたが、その後大学は、なんと学生獲得のためか「ゴルフ文化コース」なるものを設けている。

私は大学経営のことなど皆目わからないが、一体ここの経営者は何を考えていたのだろうか。全然ビジョンが見えない。とにかく学生が来れば良い、もし定員割れすれば、中国人留学生で穴埋めしようと軽く考えていたのだろうか。

だが、例の福岡一家殺害事件後、中国人就学生・留学生に対して入管が厳しくなった。学習能力・意欲が高く、且つ日本での生活費・授業料等のお金を充分持ち合わせている事、そしてそれが不正なお金でないことを公的にキチンと証明出来なければ入国できなくなったのだ。大学側にとっては、まさに晴天の霹靂だろう。

小手先で学生数を増やそうとすればするほど、学生は離れていく、という悪循環の末、このたびの民事再生法となったのだ。

小体で美しい町、萩が大好きだからこそ、このたびの騒動は悲しい。

かの吉田松陰も、あの世でさぞやため息をついていることだろう。

 

0380先日、一年ぶりに薄物の夏の着物で、お茶の稽古に行った。素材は夏大島もどき、柔らかい透けた感じのブルーで、見た目は涼しそう。

でも実際着たら暑いのでは、と心配だったが、さにあらず、風の強いせいもあったが涼しく過ごせた。

着物はその構造上、開口部が多い。袖口、身八つ口(脇の下)、裾から良い風が入るのだ。そして思ったのだが、今地球温暖化防止やクール・ビスなど色々言われているにも関わらず、車内や屋内はどこも冷房が効いている。

クーラーのある部屋に長くいると、体がだるく頭が痛くなる私だが、その点、着物だと直接冷気が素肌に当たらない分、安心して過ごすことができるのだ。

さて、今では着物の人はごく少数派になったが、昔、昭和の中ごろまでそれは嫁入り支度のトップだった。なぜ大枚をはたいてそんな準備を・・・と思ったものだが、色々と本を読み、気づいたことがある。

着物は資産価値があったのだ。

つまり、亭主が甲斐性のある男だったら、妻は季節ごとに嫁入り支度の着物を楽しみ、やがて年をとれば娘や嫁に譲る。そうでなかったら、それは質屋ののれんをくぐるか売って、当座の金を工面することが出来る。嫁ぐ娘に生活の苦労をさせぬよう、心を込めて両親は嫁入り支度をしたのだろう。昭和初期、恐慌の頃など、現金より着物の方が価値があったろうし。

作家の宮尾登美子さんも、若い頃よく質屋通いをしたそうだが、質草はやはり着物、それも豪華な染め着物ではなく、大島紬だったらしい。何度も質屋ののれんを往復したそれは、今無事に作家の元で安息の日々を送っている。

また戦後は多くの着物が売られ米や芋に化けた。まぁ戦時国債や軍票よりは役に立ったわけだが、食べるためとは言え、好きな着物を手放さなくてはならなかった女の気持ちはいかばかりだったか。

今こうしてのんびり着物を着ていられるのも、平和な時代だからだ。有事になった日にゃ、こんなめんどくさい物着てらんない。「今テポドンが落ちてきたら逃げ遅れて死ぬかも」と思いつつ、日傘の向こうの北の空を眺めてみる今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

0377初めてゼンリンの住宅地図を見たのはいつだったか・・・。確か高校時代、お中元配達のバイトをしていた友達から見せてもらったのが最初だ。

まず自分の家を探してみる・・・たまげた。

自分の家の形状や、当時庭に建てていたプレハブの子供部屋までしっかり載ってある。

その緻密な仕事ぶりに感心する反面、全くのプライバシーである家の住所や個人の名前を堂々と本に載せて商売するのってどーよ、と思ったのも確か。

現ゼンリン社長の原田氏によると、住宅地図を作るさい、玄関の表札で名前を確認し、表札のないところは訪問して名前を尋ねるのだという。そしてそれは個人情報保護法には抵触しないらしい。

でも何かおかしい。わが家の場合、宅配や郵便を配る方が困らないように、また家を訪ねてくるお客様の目印になるようにと思い、表札を出しているのであって、不特定多数の人々に情報をばら撒いても良いとは思っていない。

例えば、わが家の町内に、長年連れ添って仲は良いが、正式に結婚していないご夫婦がいる。彼らの家をゼンリン地図で見たら、やはり苗字の違う二つの名前で表記してあった。ご夫婦の同意を得た上なら良いが、そうでなかったらこれはちょっと問題だと思う。

さて、数々の疑問が残る中、ゼンリンは急成長し、地図は紙からデジタルに移行し、その多くはカーナビに使われている。

そして、この会社をおおいに飛躍させた立役者、ゼンリンの最高顧問 大迫忍氏が6月18日亡くなられた。享年59歳。

社内の大反対を押し切って地図のデジタル化を推し進めた先見の明には感服する。まだカーナビなんて予想だにしていなかった1982年の頃だ。また同族経営を排し、3人の息子たちのいずれも入社させなかった。そして55歳で社長を退任すると、地元の経済活動に専念する。破綻したそごうの後継テナント誘致に東奔西走し、他にも経営難に陥った数々の企業に支援の手を差し伸べている。

大迫氏のあまりにも清廉で、無私な心意気。もちろんそれは、元々の氏の資質なのだろうが、意地悪な見方をすれば、他人の個人情報を売ることで大きくなったという、後ろめたさもあったのではないか。

 また聞くところによると、氏は常々「私の師匠は伊能忠敬」と言っていたらしい。

養子先の家業を大成功させた後、49歳で隠居した伊能翁は50歳で江戸に出て学問を始め、全国を測量して歩き、あの正確無比な日本地図を作り上げると、72歳で死んだ。

氏も、引退後は翁のような第二の人生を歩みたかったはずだ。志半ばでさぞや心残りだったろう。

たぶん氏も悩んでいたと思われる、個人情報との折り合いをどう付けるかが今後のゼンリンの課題だと思うが、今はただただ早すぎる大迫氏の死を悼み、ご冥福を祈るのみである。

 

    

  
伊能忠敬―生涯青春

0400大人になって好きになった食べ物に「ナス」がある。

子供の頃はキライだった。スポンジみたいにスカスカして味がなくて。特に焼きナスにした時の焦げたような匂いはイヤだった。

それが今やナスは大好物。焼きナスはもちろん、味噌いためや蒸して中華風にしたりグラタンにしても美味しいし、スパゲティや夏野菜のカレーにしても最高!

そうそう、漬物という手もある。紫紺のぬか漬けはご飯にも酒の肴にも合う。

さて、ある本にて知った話だが、かの二ノ宮尊徳(金次郎)が、夏のある日ナスのぬか漬けを口にしたところ、秋ナスの味がするのに気づいた。周囲の人たちに確認すると、「そういえば空の様子や風のそよぎもどことなく秋っぽい」という意見があり、彼は確信する、「飢饉が来る」と。

ただちに尊徳は対策に走り回り、ヒエ・粟などの飢饉に強い食物をたくさん植えさせた。

天保の大飢饉の初年、多くの餓死者が出たが、尊徳の治める桜町領だけは1人の餓死者も出なかったそうな。

それにしてもすごい。ナスを食べただけで飢饉を予想するなんて。第一秋ナスは嫁に食わすなって言うくらいうまいものだ。普通だったら、ああ美味しいナスだ、で喜んでそこで終わりなのに、気づきの鋭さと言うか危機管理に長けているというか。

きっとそれは、いつも真摯な目で自然と向き合っていた尊徳だからこそ出来たことだろう。

そして、養殖と天然ものの味さえ区別できない味覚偏差値の低い私は、偉大なる先人に思いをはせながらも、今日も手抜きしてスーパーでナスの漬物を買うのであった・・・・。

 

 

 

 

ヒュー・ジャックマン昨日の夕方、なにげにテレビのBS2をつけたら、「第59回トニー賞授賞式」をやっており、見始めたらこれが面白くて面白くて、とうとう10時までテレビの前に座りっぱなしだった。

演劇にはうとい私だが、ブロードウェイのミュージカルや芝居を対象に選ばれるトニー賞の受賞者たちは、エンターテイメントにおけるプロ中のプロ。その受賞パフォーマンスにはただただ圧倒された。

そして・・・、白眉だったのは総合司会を務めたヒュー・ジャックマンだ。

ブロードウェイの有名人演劇人がぞろりと居並ぶ中、軽やかに歌い踊り笑わせる彼のパフォーマンスぶり。

歌なんて、あのディーバ、アレサ・フランクリンと堂々とデュエットしてるし、踊っている時のまあ足の長いこと。

実は私、ヒュー・ジャックマンについて、イケメンで脱ぎっぷりが良いけどいまいち影が薄い男という認識しか持ってなかったのだ。反省します、ごめんなさい。

そして、つくづく思うのはアメリカにおけるエンターテイメントの土壌の広さである。

奥床しさとか控えめといった美徳は大好きだし、長々と自分のスピーチをするような人は、正直うざいと思ってしまう古いタイプの日本人である私だが、人を笑わせること、素晴らしいパフォーマンスで観客を魅了させることに情熱を傾けている彼らを見ると、その清々しさには心から敬服する。

 

 

 
ソードフィッシュ 特別版


モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

0363相変わらずテレビのワイドショーでは某兄弟喧嘩が続いているようだが、何か嫌な予感がする。

今から13年前、貴花田だった花田弟が、宮沢りえと電撃婚約し日本中が大騒ぎした事があった。そして翌年の一月初め、何と突然の皇太子と雅子さんの婚約報道。

私は今だにあれは、深謀なる陽動作戦ではなかったかと妄想しているのだが、もしや今回も、兄弟げんか報道の裏で何か政府の恐ろしい陰謀が進められているのでは・・・。

今政府が行なっているものと言えば・・・・、そうか国債発行か・・・。

国債の残高が700兆だの500兆だの言われ、もはや経済というよりもSFの世界の様相を呈している。

話は変わり、以前郵便貯金で、ニュー定期の裏技と言われる、年1.2%の利子が非課税で受け取れるお得な貯蓄があった(実は私も利用していたのだ)

銀行預金は低金利だからイヤ、だけど投資に手を出すのはコワいという、まさに小市民にぴったりの貯蓄法だったのだが、実はこれ、今年4月より廃止となった。

たぶんその貯金者の多くが、今度の国債の鴨、もとい新しい顧客になるような気がする。

国を信じるか、自分なりの防護策を練るか、見なかったことにして今を刹那的に生きるか、選択は自由だ。

ところで、例の年寄株、どうなったんですかね。

 

 

 

 

 

 

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