ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年06月

0353新聞のテレビ欄をみてふと思った。このごろやたらリメイクドラマが多い。

今日は「アタックNO1」をやっているし、昨夜は百恵・友和の往年のヒットドラマ「赤い疑惑」を石原さとみ・藤原竜也でやっていた。

「エースをねらえ」や「黒皮の手帖」もあったけどなんだかなぁ。

あまりテレビを見ない私が言うのもなんだが、オリジナリティが無さすぎ。そりゃかつてのヒット作のリメイクだったら、リスクが少なくそこそこ視聴率が稼げるだろうが、安易に流れちゃ逆効果だ。

リメイク番組を作るにはそれなりに必然性がなければ。たとえば高視聴率をマークした「白い巨塔」では、象牙の塔の魑魅魍魎、医療ミス、隠蔽体質、そして癌の恐ろしさといった昔も今も変わらない問題点をリアルに表したから、昔見た人も初めての若い人も感動したのだ。

さて、最近ほとんどテレビを見ない私だが、金曜夜10時からの「タイガー&ドラゴン」はなぜか毎週見ている。落語をテーマにしたドラマなんて初めてではないか。長瀬智也演ずるチンピラを狂言回しに据え、毎回落語の演目そのもののストーリーが展開される。

実は私、落語家っていうものに偏見を持っていたのだ。ベタな江戸弁や自分の事を「あたしはね〜」というしゃべり方や、田舎ものをバカにしたような態度(ただのひがみか?)が妙に気に障って。

でもこのドラマを見ていると素直に落語の世界へ入って行ける。特に「厩火事」は良かった。オチは予想していた通りだったが、清水ミチコの熱演は素晴らしかった。

どんな有名な古典でも、それがただ古典として鎮座しているだけなら興味はない。その中に現実の私たちと変わらない共通点を見いだした時、初めて喜びを感じるのだ。

「落語」の世界は決して浮世離れしたものではなく、現実と深く結びついていることを、試行錯誤しながらも表現しようとしている脚本家宮藤官九郎はすごい。

安易な方向に流れないこういうドラマを見ると、まだまだテレビって捨てたもんじゃないな、と思う。

   


タイガー&ドラゴン「三枚起請の回」

0370私の部屋には、読みかけの本がたくさんある。途中でやめた理由はさまざまで、ただ単純につまらなかったのから、登場人物が気の毒で、これ以上読みすすめられないというのまで。

星新一著「人民は弱し 官吏は強し」が読みかけなのは後者の理由である。新潮文庫のこよりは真ん中を挟んだまま。読まなければと思うのだが、気が重い。

だって、敬愛する星新一、あの星新一の父上が、官僚組織から、さんざん陰湿な妨害を受け、破滅させられるんですよ・・・。

「ヤダヤダ、これ以上星パパがいじめられるの見るのヤダ!」気分的にはこんな感じか。

星一(星新一のパパ)は明治の初め東北の片田舎に生まれ、苦学しながらアメリカのコロンビア大学に学び日本で製薬会社を興した。会社は業績を上げるが、正義感と才能にあふれた彼は、何かと官僚からねちっこい嫌がらせを受ける。

そのイジメでさえ読んでいてムカムカしてきたのに、星の兄貴分後藤新平氏の政敵、加藤高明が首相になったあたりから雲行きがますます怪しくなりもう怖くてページをめくれない。

ただ星パパもちょっと甘いところがある。経営者でありながら、人の心の闇を知らなさ過ぎるのだ。無能の人が才能のある人に抱く嫉妬は計り知れない。私もそうだから。

問題は、一般の人だったら「チェ、あいつやり手だなぁ」と陰口を言い合うだけで済むところを、その無能の人たちは巨大な権力を持っていたことだ。そして嫉妬心に凝り固まっていた・・・。

さて、まだ半分しか読んでいない本の感想を書くのも変だし、このまま放置プレイを続けるのも星父子に失礼だ。

心を落ち着けて続きを読もう。読後感は涙に濡れるか、さわやかなものになるかは分らないが・・・。

    

 
明治の人物誌
人民は弱し官吏は強し

0367先日某スパに行った時。露天風呂等楽しんだ後、サウナに入った。実は私サウナにじっと入っているのが苦手なのだ。

今回こそ頑張って汗をかこうと思っていたのだが、やはりダメ。一分足らずで外に出ては水を浴びて一休みして、また入るの繰り返し。

他のお客は、ゆったりテレビを見たり談笑したり、のんびり汗をかいているのに、私だけ、まるでお風呂で50数えるまでって言われたのに12位で出てくるガキのようだ。

みんな大人だな・・・、サウナを楽しんでいる人たちをうらやましく思いつつ、いい年をして今だにこらえ性のない子供っぽい自分を嘆きつつ、腰に手をあて冷えたコーヒー牛乳を一気飲みするのであった。

 

0389女性なら大抵経験があると思うが、化粧品と言うものはなぜか同時期、一斉になくなる。ベース、ファンデーション、口紅、ほほ紅・・・。まとめて買うとなると結構な出費だ。

だが若い子ならいざ知らず、日々年老いていく身、せめて人様に不快な思いをさせぬよう、最低限のメンテナンスとペインティングは必須事項である。

ともあれ、実は化粧品の買い物は楽しい。新製品を見てまわるとワクワクするし、散財したとしても、ひどく家計に響くわけでもない。

でも、それが家電製品になると話が違ってくる。実は今、洗濯機、掃除機、クーラーが何となくやばい。冷蔵庫は4年前に買い換えたので大丈夫と思うが、洗濯機がやたらカラカラ音がする。これを買ったのは確かファジー機能が話題になっていた時期だ。いつのことだ・・・・。

ブログの師、おおたさんはドラム式の乾燥機付き洗濯機を購入されたらしい、いーな、いーな。あのタイプ、長年の憧れなんだよなね。

さて、昭和の初め、まだ電気製品などなかった頃、家庭のお母さんの仕事は、さしすせそ、と言われていた。さ、裁縫、し、躾、す、炊事、せ、洗濯、そ、掃除と。

その中で一番辛かったのは洗濯らしい。うーん確かに昔は大家族だったから、たくさんの家族の洗濯物をたらいに入れ、洗濯板と石鹸で洗い、すすいで絞り、さお竹に干すのは重労働だったろう。しかも脱水機ではなく女の手で絞るだけだから、乾くのに時間がかかる。梅雨時期などパニックである。赤ちゃんがいておしめがたくさんある時など、泣きたくなったはずだ。

昔の農家では「家の東側に洗濯物を干す嫁をもらえ」という言葉があったそうな。つまり、朝早く洗濯を済ませ、朝日が昇る頃には、東向きのさお竹に洗濯物がかかっているような心がけの良い嫁をもらえということだ。

何だか話がまとまらなくなったが、急な出費があっても、あわてないよう家計を管理しているのが、現代の「心がけの良い嫁」だろうか。

 

 

 

 

 

 

0383私の住む市には、宇宙をテーマパークとした、スペースワールドがあった(なぜか過去形)。これは新日鐵の子会社で、元々宇宙をテーマにした学習体験施設のはずだった。

当初、ここで無重力体験ができる!と聞かされたときは、よくテレビで見る宇宙飛行士が船内でプカプカ浮いている、あれが体験できるのかと色めきたったものだが、実は伸縮性のある椅子を天井から吊るし、それにすわってムーンウォーカーもどきを体験するんだと。まぁちょっと考えれば、そんなNASA並みの設備をこんな片田舎に造るわけないよね。

それはさておき、学習施設だと客が呼べないと気がついたのか、翌年より絶叫マシーンを取り入れ、そこそこ集客があったがそれも飽きられ、年々入場者数は減り、赤字を重ねた。

何の戦略もない場当たり的な経営を行なったのは、昔の官営八幡製鉄の名残りか官吏的な性格の強い、新日鐵の方々である。

私も二度ほど遊びに行った事があるが、何かすべてが中途半端な印象だった、学習施設としても遊園地としても。

本日も、この施設のそばを通ったのだが、天気のよい日曜なのに駐車場はガラガラ。スペースシャトルのオブジェだけが異様に目立つ。

さて、このたびスペースワールドは、民事再生法の適用を受けた。そして北海道の加森観光が1000万円出資し、完全子会社化する。それについて新日鐵側は「ただでも良かった」と、スペースワールドから手が切れてホッとしている様子がうかがえた。

北海道のスキー施設や別府の杉ノ井ホテルなど、これまで多くの観光施設の経営建て直しを行なってきた加森観光だが、今回は難しいのではないか。スキーや温泉といった核となるものがここには何もないから。今どき宇宙飛行士になりたい子供たちってそうたくさんいるとは思えないし。

また加森観光は経費節約のため、今まで中古の遊具を利用してきたというのもちょっと心配だ。以前スペースワールド内で遊具で人身事故が起きているし、また最近は小規模ながら地震も多発している。

いっそスペースシャトルのオブジェをつくりかえて、ガンダムワールドにするとか(これこそ場当たり的か)

 

  0381

山冷蔵庫にお豆腐があると安心する。煮てよし焼いてよし、サラダにしても美味しいし、不意のお客様が来たら、とり合えず薬味を添えてお出しすることができる。

栄養価があって低カロリー、それでいて自己主張しない、よくできた嫁のようだ。

さて、九州地方はつゆ入りを迎えた。朝から雨が降り続いているが少し肌寒い。そんなときふと、池波正太郎の短編「梅雨の湯豆腐」を思い出した。

いわゆる仕事人(殺し屋)の彦次郎は、普段はひっそりと1人暮らしをしている。料理が好きで、梅雨冷えのある日、豆腐を買い求め、湯豆腐と焼き海苔で酒を楽しむ。

うーん、梅雨のジメッと寒い日に、湯豆腐あうだろうな、と思いつつも読者は、非情と思われた主人公の思いがけない人間性を見いだす。

湯豆腐ひとつで、あざやかに人の心を描き出す池波正太郎氏は、稀代の料理人だ。


梅安料理ごよみ

0355私の身内にはガテン系の職業が多い。大工、工員、漁師、河岸のにいちゃんとか。

また近所には零細工場がたくさんあり、したがってスーツにネクタイの人を見かける事は少ない。

たまにネクタイを締めている人を見ると、何かあるのかな?と思う。ネクタイを締める時は、会社の創立記念日とか、娘の卒業式とか、彼女の親に挨拶に行く時とか、そう、ハレの日のアイテムなのだ。第一、町工場の社長がへたにスーツを着てうろうろしていたら、「あそこの社長、金策に走りまわっとるで」と勘ぐられてしまう。

日常スーツとネクタイで仕事をしている人は、統計的にどれくらいいるのだろうか。意外と少ないのではないだろうか。

さて、クールビスが話題になっているが、まぁ良いことだと思う。ただ小泉総理を見ていると「僕、ノーネクタイ、ノー上着でちゃーんと温暖化問題についてはノルマはたしてるもんね」という弛緩した表情がうかがえるのだ。

一部の人たちが軽装したからといって、温暖化問題が解決したわけじゃなし。何もしないよりはましだが、、これで安心しないでほしい。

ところで、あまりスーツを着ることがないこの地域でも、父の日のプレゼントにはネクタイを贈る人が多い。なぜならネクタイは晴れがましさの象徴だから。

いつも油まみれのつなぎを着ているお父さんが、年に一度、息子から贈られたネクタイを締め、奥さんとレストランに食事に行く。そんな人生も良いものだ。

 

 
男たちへの遺言 ダンディズムの方法60

0356昨日のサッカー北朝鮮戦で、われら、にわかサッカーファンがまず気になったのは、テレビの裏番組である。

番組欄を見ておもわず、むう・・・。フジテレビでは「トリビアの泉」を捨て、’70年代のアイドルやタレントを集めてのいわば「あの人は今」的な特番を当ててきたのだ。敗戦処理というか、トランプで、相手がエースを出すのを知り、2のカードを出すような、少しでも損失を最小限に食い止めたい、いじましいまでの作戦が見え見えだ。それと70年代に青春を過ごした人は今40〜50代。サッカーに興味がない人が多いだろうという憶測もあるのだろう。なめちゃいけない。

この世代は、メキシコオリンピックで日本がサッカーで銅メダルをとったのをリアルで体験しているし、「キャプテン翼」がブームの頃は、子供と一緒にテレビを見ていた。へたな若いもんより、よっぽど通なのだ。

さて、ハーフタイムの間、他の裏番組を覗いていたら、バラエティ番組にタレントの梨花さんが出ていた。あっけらかんとした表情で冗談を言い合っている姿に、今から数年前、密会をスクープされ、その相手、柳沢選手が規律違反で日本代表を外されたのを思い出した。

番組は録画だろうが、昔の男が今、日本を背負って戦っているのに、そんな事まったく頭にない様子。やはり女の方がたくましいな・・・と思いつつ、後半戦を見ると、柳沢がゴールを決めた!

点を入れた贔屓目もあるかもしれないが、柳沢、いい男になったな、梨花嬢と付き合ってた頃に比べ・・・・。

男と女の機微を感じつつ、私の下世話な、下世話なサッカー観戦は終わった。

 

  
キャプテン翼―Road to 2002 (15)

0360以前読んだ本に、会計学者のこんな話があった。彼は若い頃ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」を読み、その中でゲーテが複式簿記の事を口をきわめて賛美しているのに心を打たれ、簿記に興味を持つようになった。

「それで文学者になるつもりが会計学者になってしまったのです」とその人は笑っていた。何ていい話だろうっと思った。

ただ本を読んで感動しておしまい、ではなく実際にその人に多大な可能性を与えてくれたのだから。

あいにくゲーテのその本をまだ読んでいないのだが、近いうちに挑戦してみたい。私も複式簿記は、人類の作った大発明だと思う。

元は中世イタリアの商人が使い出したと言われている。地中海貿易がさかんになり、海外との交易も増えているのに、大福帳だけじゃどうしようもないし。これを考えついた人は、天をも昇る気持ちだったろう。約束事を守れば、必ず左右の数字はぴったり合うのだから。これ以上単純で美しい発明があるだろうか。

さて、世間はもうすぐ株主総会シーズン。単純でもなく美しくもない財務諸表が空に舞う。

   

 


イタリア紀行 上 (1)

菖蒲某公園に今が盛りの菖蒲を見に行ったときの事。水をたたえた菖蒲園の周りに、中高年の男女がグループでやってきた。いずれも人品怪しからぬ紳士淑女たちだ。そして彼らはやおら手帖とペンを取り出し、花を見つつ何か書き始めた。どうやら歌を詠んでいるらしい(俳句か短歌かはわからないが)。

爽やかな麦秋の空の下、歌に興じているこの人たちは、恵まれた部類の人生を送っているのだろうな、と思いつつも、6月=菖蒲というお題(?)の安直さに何となくぬるさを感じたのも確か。

さて、「韻を踏む」というのは歌を詠む時のポイントだと思うが、アメリカ生まれの音楽“ラップ”においてもこれは重要である。ていうか韻(ライム)を踏まなきゃラップにはなりえない。

母音や同音異義語、似ていて意味の違う言葉を選びつつ、それもただ並べるだけなら意味は無いわけで、それぞれメッセージを持ち、かつリズムに乗ってフロウしなければならない。

アメリカの、黒人を中心とした貧困層の若者に、この音楽は広がった。彼らは”バトル”と呼ばれる一種のタイマンで腕を磨いていく。即興で相手を罵倒する内容のラップをし、その相手は前者の言葉をとらえ韻を踏み返しまた罵倒する、の繰り返しだ。言葉のセンス、リズム感、頭の回転の速さがないと出来ない技だ。

まずしくて楽器も弾けない音符も読めない彼らにとって、紙と鉛筆だけで表現できる音楽の世界がそこにあった。

そして今、日本でも普通に“ラップ”は浸透しているが、第一線で活躍している人が、あのホテルニュージャパン横井社長の孫だったり古谷一行の息子だったり、ぼんぼんが多いのはなぜなんだ?

 

  
ルーズ・ユアセルフ

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