ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年07月

怒涛のように押し寄せるネタバレの襲撃をかいくぐり、今着々とエピソード靴妨けて準備おこたりない今日この頃。
いや、もともとスターウォーズには興味はなかったのだが・・。
 
初めて見たエピソード犬鰐滅鬚て夢中になったものだが、その後の垢鉢困砲麓宰召靴拭だってあの2人が兄妹で、しかもあの男が生き別れの父親だったなんて、まるで一昔前の大映ドラマじゃないですか。
 
その後数年たち、起死回生とばかり、「エピソード機廚縫船礇譽鵐犬靴燭あえなく玉砕。通商貿易とか元老院とか共和制とか、なじみのない言葉がうずまき、さしずめ揺りかごのように眠りをさそう。
幼いアナキンのレースシーンだけは、昔の「ベン・ハー」を彷彿させて興奮したが、それ以外はまさしく暗黒面。
 
そんなわけで、新作「エピソード掘.轡垢良讐」も見る予定はなかったのだが、あまりに私の尊敬する方々からの称賛が多く、やはり一度見てみよう、じゃ、その前に復讐もとい復習をしなければと、幸い新作プロモーションのためテレビで旧作を多く放映していたのを全部見たわけだが・・・・・・。
 
面白いじゃん、スターウォーズてこんなに良かったっけ?映画館じゃ退屈だったのに・・・。一作、一作は不完全燃焼なのにシリーズで通してみると面白いし、疑問点もドンドン解決する。
 
さて現在、「シスの復讐」は大評判らしいが、私はやっぱりスターウォーズシリーズは失敗だと思う(まだ見てもないのにこんな事言うのもおかしいが)。
 
そもそも映画というものは、劇場に一度しか来ないお客にも満足を与えなければいけないのではないか。
 
フルコースの素晴らしい料理は、アラカルトで注文してもおいしい筈だ。魚だけが食べたい人や、兎肉のソテーだけがほしい人もいるはず。フルコースの高みを目指すがため、アラカルトのお客を軽視しているとそのうちしっぺ返しに遭うだろう。
 
だいたい映画を見るのにいちいち復習して行くなんてナンセンスな事してる奴の気が知れない(って自分じゃん)
 
 
 
 
 
 

愛読している0362吟遊詩人のつれづれ」さんのシネマ日記を、映画を見るときのデーターベースとして活用させてもらっている。豊富な情報量、有識者でありながら一般人としての視線を忘れないレビューは読んでいて、とても楽しい。

さて、そのシネマ日記に載ってあった「モーターサイクル・ダイアリーズ」という作品。前々から見たいと思っていたのだが行きつけのビデオ屋はいつもレンタル中。昨日やっと借りる事ができた。

これは、かのチェ・ゲバラが学生時代、友人とおんぼろバイクで南米大陸を貧乏旅行した話を描いたロードムービーだ。

今まで私はチェ・ゲバラについて、さまざまな武勇伝や風貌から、コワモテの革命家と勝手に思い込んでいた。実は裕福な家庭に育ち、医学を学び読書好きな知的な人物だったとは。そして喘息という持病もあった。医者になろうと思ったのも、自分自身が病で苦しんだ体験からきているらしい。

そして若き医学生は、この過酷だが得がたい旅を通じ、革命家としての芽を育んでいく。

つくづく思う。やはり若いうちに旅はするべきだ、それも貧乏な旅を。快適な旅行は大人になればいつでも出来る。それよりも、果てしない大地に抱かれて星の下で眠り、見ず知らずの村人たちの好意にすがり、一皿のスープ一枚の毛布に感謝する。虚心だからこそ、村人たちも心を開き親切にしてくれるのだ。

旅をきっかけに革命家になるのもいいし、また平凡なサラリーマンで一生を終えてもかまわない。若い頃の宝石のような想い出は、南十字星のように、いつまでも消えることはないだろう。

  

 

 

 
モーターサイクル・ダイアリーズ 通常版

NSPのリーダー天野滋さんの死に触発されて、押入れの中のレコードを引っ張り出しながめつがめつしていると、ふとある事を想い出した。
 
昔、ほぼ同時期に「線香花火」というタイトルの曲が三つリリースされたことがある。アーティストは、さだまさし、NSPそして吉田拓郎(彼だけせんこう花火だが)。いずれもそこそこヒットしたし評判もよかった。そして歌詞を読んでいくと、いかにも彼らの個性が感じられて面白いのだ。
 
線香花火  さだまさし
 
ひとつ ふたつ みっつ 流れ星が落ちる
そのたび君は 胸の前で手を組む
よっつ いつつ むっつ 流れ星が消える
君の願いは さっきからひとつ
君は線香花火に 息をこらして
虫の音に消えそうな小さな声で
「いつ帰るの」と聞いた
 
 
線香花火 天野滋(NSP)
 
はじっこつまむと 線香花火
ぺたんとしゃがんで ぱちぱち燃やす
この頃の花火は すぐに落ちる
そうぼやいて 君は火をつける
浴衣なんか着たら気分がでるのにね
湯上りでうちわを片手だったらね
はじっこつまむと 線香花火
僕は燃えかす 拾うかかりでも
 
 
せんこう花火 吉田拓郎
 
せんこう花火が ほしいんです
海へ行こうと思います
だれか せんこう花火をください
一人ぼっちの私に
風が吹いていました 一人であるきました
死に忘れたトンボが一匹
石ころにつまずきました
なんでもないのに あー泣きました
 
だれの歌詞が良いか悪いか評価をするのは愚の骨頂だと思うが、あえて言えば、さだまさしの歌詞は秀逸だと思う。
流れ星と線香花火の対比の美しさ。一種なぞ解きのような帰納法の歌詞は、最後の一言によって万感の胸をうつ。
 
そして吉田拓郎の歌詞はいかにも「つかみはOK」てな感じで最初からぐいぐい引き込まれる。そして独特のリズムとスケールの大きさ。
 
それらに比べ天野滋の歌詞は、ひたすらいじましい。花火に照らされる彼女の顔と膝こぞうだけ、線香花火の周囲一メートルの世界が彼の今のすべてなのだ。でもそのせこさ、稚拙さがなんとも切ない。
 
もろくて儚いゆえに、多くの詩に詠われている線香花火。今年のお盆はだれかのために火をつけてみよう。煙で目をしばたたせながら。
合掌
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 


 
 

ヴィレッジ・バンガード

7月1日、フォークグループ「NSP」のリーダーだった天野滋さんが52歳で亡くなった。びっくりした。直接の死因は脳内出血だが、大腸がんの治療をしていたという。

このNSPは岩手県出身のフォークグループで、同時期のかぐや姫やグレープが自分たちの物語をドラマティックに表現しているのに比べ、ひたすら淡々と等身大の男の心象風景を歌い上げていた。

抒情あふれる彼らの音楽が大好きだったが、東北人特有の朴訥さや控えめさがあだとなったのか、他のフォークグループに押され、静かに消えていった。まぁNSPらしいというか。

私が、博多出身のフォークグループをあまり好きになれないゆえんもそれだ。彼らは押しが強い。もちろんそれはビッグになるための必要条件だろうが、純朴さや方言もしっかり計算に入れているところがいやなのだ。そんなわけで、今でも武田鉄也氏がテレビに出てくるとチャンネルをかえる(金八先生は好きだったが)

さて、高校時代NSPの曲でギターの練習をしていたせいか私には、まるで高校の先輩が死んだような気がしてならない。

 ひそかに好きだった人が逝ってしまうのは心細い。若い頃知人が1人また1人結婚して不安な気持ちになったあの頃がよみがえる。

また最後まで残ってしまったらどうしよう。

 

  

       

NSPベストセレクション2 1973~1986


NSPベストセレクション1973~1986

0311長く柔らかい夢見るような金髪が好きだ。よく映画でパリジェンヌたちが、無造作に指でもてあそんだり、後れ毛をかき上げるしぐさを見ると、ため息が出る。

私は今まで髪を一度も長く伸ばしたことがない。理由は、髪が多くしかも剛毛のためで、へたに伸ばすと収拾がつかなくなるのだ。だから子供の頃はずっと短髪、しかもおっさんの行く床屋で月に一度、刈り上げ頭にさせられていた。せめてもっと女の子らしいショートカットにしてくれたら良いのに。青々としたバリカン跡が辛く、デリカシーを持ち合わせていない母親を恨んだものだ。

さて、先日久しぶりにDVDで「恋人までの距離」を見た。ソルボンヌの女子大生とアメリカ人の大学生が、ユーロトレインで出逢い、翌日の朝ウィーンの駅で別れるまでの物語。古いウィーンの街並みを歩きながら知的な若者たちは、相手を気づかいつつ活発に人生や、家族、愛を語る。

そして女子大生を演じるジュリー・デルビーが、まさしく夢のような金髪なのだ。アメリカ人大学生役のイーサン・ホークがバスのなかでしゃべり続ける彼女をじっと見つめ、おずおずと髪を触ろうとして手が宙にさまようシーンは秀逸だ。

インテリで頑強だった彼女が、だんだんその金髪のように、しどけなくほどけて行く様子は、やがて来る別れと相まって、切ない。

思うに女の髪って、限りなく肉体に近い遊び道具なのかもしれない。その美しい髪をかき抱き、指でもてあそびながら愛を語る時、性的なものより愛を感じる。

この映画は続編が出ている(まだ見ていないが)。9年後、彼らが再会する話だが、どう変わっていったのか楽しみ。それにしてもやっぱり長い髪ってロマンティックな道具だな。

 

  
ビフォア・サンセット
ビフォア・サンライズ 恋人までの距離

0403先日バスに乗っていたとき、前の座席に、病院帰りらしい年配の女性がすわった。そしておもむろにきんちゃく袋から銀行通帳を取り出しながめている。

別にのぞき見したわけじゃないのだが、自然に目に飛び込んできた数字にびっくりした。0がいち、にぃ、さん、・・・0がななつもある・・・。

ウン千万のお金を普通預金にいれたままかよ・・・・。でもおばあちゃん運用なんてわかんないよな。つかもし私が街金に追われていたならば、この小柄なアルマジロのようなおばあちゃんの跡をつけ、引ったくりをしたかもしれない。きんちゃく袋の中には、ハンカチやチリ紙やお数珠と一緒に健康保険証も入っているだろう。こんなおおらかな(不注意な)人なら、たぶん暗証番号も誕生日かなんかに違いないし・・・、などと妄想しているうちに彼女は目的地に着き降りていった。

降りていった先を見て、私はおもわずため息をつく。そこは最近オープンした健康食品(?)のお店だ。去年までコンビニだったがつぶれ、一年間空家だったところだ。

三々五々お年寄りがその店に入っていく。迎えるスタッフは若い男女でみなエプロンをし、満面の笑顔で客を迎えている。店の中は老人たちでぎっしり埋まり、なにやら熱心に話を聞いている。

家で1人いるよりも、仲間がたくさんいる、こんな場所でみんなとおしゃべりしている方が楽しいだろう。そのために多少、健康な水やドクダミやアガリスクを買ったって良いじゃない、と思う。否定はしない。

リフォーム被害に遭われたお年よりは認知症の方が多かったし、話し合える友がいなかったと思う。それに比べ、この老人たちはまだまだ元気だし仲間もいる。親不孝な子供があてにならないのならせめて、仲間同士で話し合い、協力し合い、恐ろしい世間と戦ってほしい。今、ほんとうの冒険者は、アナキンでもオビワンでもないそれはヨーダもとい、「老人」なのだ。

   

 


スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃

先ほど、グレンイーグルズサミットに関するエントリーを致しましたが、同時テロで、多くの死傷者が出ていることをかんがみ、削除させていただきました。

0417街頭募金というのが、どうも苦手だ。駅前で、彼らの甲高い呼びかけを聞くと、いつも下を向いてそそくさと去っていく。もちろん寄付した事もない。

われながら心の狭いやつと思うのだが、これは私の癖で、あまりにあからさまに正義を押し付けられると、居たたまれなくなるのだ。

また「赤い羽根募金」というのもなじめない。その季節になるとよく国会議員が、嬉々として胸に羽根を付けているが、私はその気持ちがわからない。政治家だったらこんな「赤い羽根募金」なんか必要ない社会を作ったるわ、とは思わないのか。

さて、そんなわけで、このたびの“ライブ8”も興味を持てなかった。U2もスティングも好きなアーティストだが、他国に向って、アフリカへの債権を放棄しろだの援助を増やせだの、勝手な事いってんじゃねえよ。アーティストが政治に首を突っ込むと、どうしてこうも傲慢になるのだろうか。

だが私にも、好きなチャリティコンサートがひとつあった。ジョージ・ハリスンが呼びかけ人になった「バングラデッシュのコンサート」だ。

1971年、ビートルズ解散後、一番めざましい活躍をしていたのがこのジョージだ。ビートルズの中ではジョンとポールの陰で、おとなしいイケメンの男の子ってイメージだったが、ソロとなったとたん、彼らの重圧から逃れたせいか、三枚組みソロアルバムが大ヒットとなった。

その絶頂期に開かれたのがこの「バングラデッシュのコンサート」だ。ロックのチャリティコンサートはこれが世界で初めてではないだろうか。当時、「バングラデッシュ」てどこにあるのかと、社会科の世界地図を広げてみたものだ。だがそんな国はない。東パキスタンから独立したばかりで、まだ地図に載ってなかったのだ。

コンサートのきっかけは、東洋音楽に心酔していたジョージが「シタール」の師匠から、独立したばかりのバングラデッシュの貧困を聞き『何かしなければ』と思い立ったことから始まった。

メンツがとにかくすごいのだ。ジョージはもちろん、ボブ・ディラン、リンゴ・スター、エリック・クラプトン、レオン・ラッセル、バッド・フィンガー、その他諸々のメンバー。28歳の青年の純真は多くのアーティストの賛同を得た。

だが、青年は純粋すぎた。『何かしなければ』と思い、メンバーをかき集めたものの、具体的に何をどうアピールしたらよいかわけわからず、結局参加メンバーは豪華だが、コンサート自体はいまいちという評価を受けることになる。しかも収益金も着服されたり、その後ビデオ化についてもゴタゴタがあったようだ。

成功とはいえないチャリティコンサートだったが、でも私は好きだ。変なイデオロギーやスローガンもなく、ただ「何とかしたい」という気持ちだけで集まった人たち。そのお粗末さが愛おしいのだ。

あれから30年以上たち、バングラデシュは今も貧困である。そしてロックスターたちは弁説さわやかに、アジア・アフリカへの債権放棄や援助について演説している。自分は安全な場所にいて。

 

  


バングラデシュ・コンサート

0409拙ブログにて、『僕の美しい人だから』という本を紹介した時、ふと似たような映画を昔見たことあるなぁと気づいた(最近よくこういう事がある)

ある中年の男が、非のつけどころのない美人妻を捨てて、冴えないおばさんに走るフランス映画『美しすぎて』だ。

ジェラール・ドバルビュー扮する主人公の、妻を演じるキャロル・ブーケはシャネルの広告塔にもなった気品のある美女。だが夫は、なぜか小太りの中年女性に一目惚れし夢中になる。

この女性、雰囲気が、あの「林真須美」にどことなく似ている。話がそれるが、告白すると私、初めて林真須美容疑者を見たとき「感じよさそうな人だな」と思ったもんだ。ぽっちゃりした小太りの体型。笑ったら細くなるたれ目。一見、親しみやすいお母さんだ。彼女は生保の成績優秀な外交員だったそうだが、そういった外見も理由のひとつかもしれない。

親しみやすい雰囲気だから尚更、彼女のやった事は許せないし、真実を語ってほしいと切に願う。

さて、もし私が男だったら・・・と考える。伊東美咲のような妻を捨て林真須美に走るだろうか・・・・・・。走りそうな気もする。落ち込んだ時、寂しい時、ふっくらした胸に顔を埋め、脂肪たっぷりの膝枕で甘えたい。そんな安心感が、あの種の女性たちにはある。

緊張感のあるスレンダーボディも素敵だが、たまには弛緩することも必要だ。

ふっくらした女性はこれからも、一定数の割合で存在し、疲れた心を癒し続けることだろう。

 

キャロルキャロル・ブーケ

現在、日本でブログ人口はどれくらいだろうか。ある統計によると2005年3月末でアクティブブロガー(月に一回以上更新)が95万人だそうだ。
 
縁起でもないことを言って申し訳ないが、その中には当然体の弱い方もいれば病気の方もいる。また元気であっても交通事故や災害に巻き込まれることもある。
 
ある日突然、主人を亡くしたブログは、消されることもなく、誰にも知られないまま、生きていた主人の念だけを抱えネットの海をさまよう。
 
「このごろB君はどうしたんだろう・・」。A君はひとりごちた。A君もB君もブロガーだ。ある趣味のサイトで知り合った二人は、たちまち意気投合し、お互いのエントリーにコメントを入れ意見を交換しあっていた。
 
だがそのB君が一ヶ月ほど更新をしていない。普段は週2,3回はこまめにエントリーしているのに。「夏休みで旅行でも行ってるのかな、それともバイトが忙しいのか、それとも・・・」。メールアドレスを聞いてなかったので連絡のとりようがない。A君は半ば寂しく、半ば連絡のないことに腹を立て、それでも「お気に入り」から削除する事もなく、「いつか復活してくれるだろう」と、パソコンを開く度に彼のエントリーがないかチェックするのだった。
 
そして・・・お盆の蒸し暑い夜、遊びに来た親戚の子供たちから逃れ、A君は自分の部屋でパソコンを開いた。いつもの習慣で「お気に入り」にあるB君のブログを開いてみる。すると更新されている。
「あ、何だ、いるじゃ・・・・」
 
翌朝、一緒に花火で遊んでもらった親戚の子が、パソコンの前で冷たくなっているA君を発見した。死因は心臓麻痺。でもその顔はなぜか安らかで、かすかに微笑んでいた。
 
その後、A君が自殺サイトの常連だった事、7月の初めに彼とよくコメントを交し合っていた相手が、首吊り自殺を図ったことが調べで分った。その人物は男を装っていたが、実は美人の女子大生だったらしい。
 
しばらくして、その自殺サイトの人たちが1人ずつ、A君と同じようにパソコン前で不審な死を遂げている。原因はまだわかっていないが、亡くなった人は皆自分のブログを持っていた。
 
 
あなたの周囲で、最近、ぷっつり更新が途絶えたブログはありませんか・・・・・。
 
 
 
・・・あの、私の部屋クーラーないし、あまり暑いので苦し紛れにホラーの真似事してみました。お眼汚し失礼!
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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