ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年08月

「ロング・エンゲージメント」というフランス映画のDVDを見る。以前から見たいと思っていた作品だ。

だが問題があった。なんせ田舎モンの常として、外人の顔の区別がつかない。とくにフランス男はみな彫りの深い渋い顔立ちで(そう見えるのだ)、しかもひげを生やし、第一次世界大戦を象徴するトレンチコート(塹壕戦用の軍服)を全員着た日にゃ誰が誰だかサパーリわからん。
そして、監督があの「アメリ」を作ったジャン=ピエール・ジュネのせいか、映像のあちこちに、様々な小道具や伏線が散りばめられている。2回見て、やっと筋がわかったくらいだ。

でも苦労して見てよかった。素晴らしかった。

実は私、「アメリ」はあまり好きではない。確かに斬新な映像スタイルは魅力だったが、主人公の女の子のあまりのくどさ、しつこさと空想癖にうんざりして、見ている最中、イライラしどうしだったのだ。

だがこの作品では、逆にそのしつこい性格、空想癖が良い風に影響している。

恋人の消息を知るため親の遺産を使いまくり、周りの人々を翻弄し、あまつさえ自分の足が悪いのを、同情を引くための道具にしたり。

そんな、見ようによっては鼻持ちならない女だが、惨めな塹壕戦が繰り広げられる映像の中で、彼女のカラッとした気風は中和剤の役目を果たす。そして何度も繰り返される「おまじない」は、ともすれば崩れそうな心を支える手段なのだろう。

最後に特筆すべきはフランスの田舎の、信じられない美しさだ。あの光り輝く田園を見ると、奇跡ってあるかもしれないな、と思ってしまう。

ロング・エンゲージメント 特別版

 

日本人が海外向けに英語で書いたものが、後に日本語に翻訳され、逆輸入のかたちで入ってくるケースがある。古くは新渡戸稲造の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」などがそうだ。
「英語→日本語に翻訳」の工程を経た分、不純なものが取り払われたのか、いずれの作品も無駄のない凛とした印象がある。日本の曖昧さを語りながらも、文章自体には一切のあやふやさがないのだから。

そして思った。やはり日本の文化を語るのは、客観的な視線を持つ国際人にこそふさわしいのだろう。

さて、英国の作家カズオ・イシグロは、5歳の時に渡英したのだから、ほとんどネイティブだと思うが、彼の書いた「日の名残り」を読むと、私はどうしても古き日本人の姿を想像してしまう。

執事スティーブンスの主人に対する忠誠ぶり。蛇足だが、彼の完璧なそれでいて目立たない仕事ぶりを見て、「執事」という職業に向いているのはイギリス人と日本人だけだろうな、と思った。

だが彼はあまりに主人に心酔しているがため、周りが見えていない。いや見てないふりをしていたのか。

主人で政界の名士ダーリントン卿がナチに染まり、その幹部らが続々屋敷にやってきては、きな臭い会議をしているのに、スティーブンスはただただ完璧な接待だけに心をくだき、主人最大の危機に気づこうとしない。そしてダーリントン卿ほど心のきれいな紳士はいない、と自負する。

結局彼は何もしない。主人を尊敬しながらもただ黙って破滅していくのを見ているだけだ。

もしこれがアメリカの小説であったらどうだろう。たぶんスティーブンスは美しい女中頭と愛し合い、2人で協力して、主人が間違に気づくように奮闘する話になるのではと思う。彼らはポジティブだから。

さて、日本にもスティーブンスのような人がいる。仕事一筋で、反抗期の子供の教育も親の介護問題も妻に任せっぱなしだ。

彼らは本当に会社に忠実だったのか。それとも現実の生々しさから逃げたくて仕事をかくれみのにしていただけなのか、よくわからない・・。

 

 

 

先日観た映画「ヒトラー 〜最後の12日間〜」の中で、ヒトラーの秘書だったユンゲの告白の中で「ゾフィー・ショル」という名が出た。そして、彼女の名前を知ってから、「若いから、知らなかったからでは済まされない」とも語っている。

はて「ゾフィ−・ショル」って誰?最初はナチに殺されたユダヤ人の若い女性かなと思っていた。ネットで調べてわかった。ゾフィとは、ユンゲが秘書に採用された年に処刑された、同年代の、ミュンヘン大学の女子大生なのだ。

若い女性、それも自分の出身地ミュンヘンの大学に通っていた女子大生が、反ヒトラーのビラをまいて処刑されたのだから、それを知った時のショックは大きかったはずだ。

思うに、ユンゲも、処刑されたゾフィーも、資質はそんなに違っていない気がする。どちらも頭の良い、上昇志向の女性なのだろう。そしてだれよりも純粋だった。

なんとこの、ゾフィーが逮捕されてから処刑されるまでの5日間を描いた映画「ゾフィー・ショル−最後の日々」(タイトルがヒトラーのと似てる)がドイツで大ヒットしたそうな。日本には来年来るらしい。
うう、絶対見たい、でもこんな渋い作品、地方じゃなかなか上映してくれないだろうなぁ。つか出来ればヒトラーのと2つセットで見たかった・・。

敗戦国であるドイツが、配慮を重ねながらも自分たちの戦争について語って行こうとする姿勢には心を打たれる。負の遺産であろうとも、自分たちの歴史にはちがいないのだ。否定し、もしくは謝罪するだけでは何も生まれない。

 

風車何をトチ狂ったか、一時ドイツ語のチャレンジをしたことがある。当然三日坊主、「初級ドイツ語講座」を読むだけで終わったが、関口存男先生の書かれたその本で、ドイツ語文法の規則正しさ、整然とした美しさを知った。しかも発音が英語に比べて簡単だ。根気良く続ければ英語ダメ人間でも、ドイツ語はマスター出来るのでは、と妄想しながらも何も勉強していない私をどうにかしてくれ。

さて、映画「ヒトラー 〜最後の12日間〜」を見た。ヒトラー役のブルーノ・ガンツの演技が素晴らしく、あまりにイメージとピッタリだったせいか、映画を見終わった後、肝心のヒトラーの印象が薄く、かえって周囲の女性たち、エヴァ・ブラウンやゲッベルス夫人、若い女性秘書の方が心に残った。

それにしてもドイツの女性はしっかりした体躯で姿勢が大変良い。戦局は絶望的で明日をも知れない身の上なのに彼女たちは、ヒトラーの愛人、将校の妻、看護婦にいたるまで、みな背筋を伸ばし、堂々と歩く。
もちろん軍服姿の男性も凛々しい。うがった見方とは思うが、ゲッベルスの6人の子供達の天使のような可愛らしさを見るにつけても、当時のドイツ人的選民意識がわかるような気がした。

女性たちのヒトラーに忠誠を誓う様子もただ事ではない。実践に参加していない分、純粋に心酔しているのだ。日に日に崩壊していく総統に対し戸惑う男たちに比べ、女たちはますますのめり込んで行く。

ヒトラーの秘書だった女性は戦後、何も知らずに彼に忠誠を誓っていた自分を悔やんでいたようだが、それは仕方のないことじゃないのか。

なぜなら、常に正しい判断というのは後出しジャンケンみたいなものだから。当時の空気を知らない私は、永遠に彼らの行動を理解できないだろうし、またそれは幸せなことだと思っている。

ヒトラー 最期の12日間

 

 

 

 

 


 


料理研究家の江上栄子さんは、江上家に嫁いだ時、お姑さんで、やはり料理家のトミさんから、「自分の好物は作っちゃダメよ」と言われたそうだ。
これは、常に食べる相手のことを第一に考えなさい、食べる人の身になりなさい、という教えが含まれている。

確かにどんなに料理の腕が上手でも、好みのものじゃなかったら意味がない。私の老父は醤油がドバっと入ったような濃い味付けが好きだ。丹念にだしをとった薄口のお吸い物など「まずい!」の一言で片付けられる。彼にとって料理上手な人とは、やたら醤油をたっぷり使う人なのだ。

そんなわけで、料理家は独りよがりではできない。常に人のことを思いやらなければ。そんな資質を持つ人が、政治の世界に入る事については私もやぶさかではない。

ただ、今度の衆議院選での藤野真紀子氏の立候補には疑問が残る。だって「私のような政治に関心がない人たちと、ティー・パーティーでもしながら、気楽に政治について語り合いましょう」って、おいおい、本人自ら政治に関心がない、って宣言してどうする。

自民のいわゆる「刺客」には、造反議員に一泡吹かせるためで、実際に当選されたら困るような人もまざっている気がする。ホリエモンや藤野氏などがそうだ。だがそんな人に限って思わぬ追い風で当選したりして・・。10年前の青島都知事の例もある。

もうすぐ秋、そして冬になればクリスマス、新年、バレンタインデー。お菓子研究家、藤野氏にとって書入れ時だ。政治活動などする暇はない。しかも生徒さんたちは裕福な家庭の奥様やお嬢様がほとんど。コンサバな女性は、政治に関わりを持ちたがらないので、当選する事で逆に人気が下落する恐れだってある。

たぶん国会議員のご主人から頼まれて断りきれずに、てのが本音だと思うが、この度の選択は失敗だと思う。

なぜなら、多くの女性が彼女に求めたのは、優雅にお菓子作りを楽しめる、純粋培養の、セレブな生き方にあったのだから。

 

 

さびれた地方都市で目立つのは、パチンコ屋とサラ金の看板、そしてラブホテルである。地方経済を象徴するようなそれらに、最近仲間が増えた。老人介護施設だ。

いわゆる老人ホームの他に、ケァセンターとかディ・サービスセンターとか呼ばれるものがたくさん作られている。
それらが住宅地ではなく、国道沿いや高速料金所のそばなど、車で行きやすい場所にあること、建物が瀟洒であることなど、ラブホテルとの共通点が多い。最近その手のホテルは、けばけばしさが消え、落ち着いた外観が増えてきたので、中には間違える人が出てくるかもしれない。

でも昔の老人ホームは精神病施設と同じく、人里離れた場所にあり、まさしく姥捨て山だったのだから、隔世の感がある。

さて、人によって考え方は様々だが、“年寄りは都会に住め”は、私の信条である。
トコトコ歩けばコンビニや商店街、病院があり、老人割引バスに乗って、図書館や美術館、映画をこれまた割引料金で楽しんだり、つまり、丸腰の人間が生活するのはやはり都会、出来れば地方の小都市が良いのだ。

年をとって何より怖いのは「暇」だ。お金の心配や病気などは、いざとなればお上に泣きつけばどうにかなるかもしれないが、「暇」のつぶし方は誰も手伝ってくれない。

旅行に出ると、田舎って良いなぁと思うこともしばしばだが、やはり私は雑然とした都市が好きだ。

ラブホテルと見紛う老人施設が都会に増えるのは、実はとてもうれしいことなのだ。

 

 

 

桜島ライブドア開発日誌の中に、こうしょくせんきょほうについてのちゅういじこうがあったが、あたまのわるいわたしはかいているいみがよくわからなかったので、気にしないことにします。

さて、私の住む選挙区では、民営化法案に反対した、元郵政大臣自見庄三郎氏と、いわゆる刺客として立候補した熊本出身の西川京子氏が話題になっている。

その西川氏、自民党県連から「ミカン箱に立って1人でがんばってね」と、冷ややかな対応をされたのだが、その通り、本日ミカン箱にたって始めての街頭演説をおこなった。箱は熊本名産「デコポン」の収穫時に使われたもの。私自身「デコポン」は大好物なのでそのニュースを聞いて思わず笑ってしまった。

何かさばけた女性じゃない、この西川さん。逆境をチャンスに変えるなんて。

一方、自見氏は、以前新幹線のホームで話をしたことがある。「いつも応援してます」と調子のいい事を言う私に、「ありがとう!」と子供のような無邪気な笑顔を返してくれた。常に人々のことを考えている、そんな印象の人だった。

さて、デコポン京子ちゃんはどこまで自見氏に食いつけるだろうか。誠に不謹慎だが、選挙の楽しみが増えた。

 

 

球磨川ちょっと古い話だが、永野元法務大臣の「南京大虐殺は捏造」発言がマスコミをにぎわせていた頃、漫才「爆笑問題」の、こんなネタがあった。

「驚いたねぇ、あの法務大臣の発言には、」
「南京大虐殺はなかったって言うあれだろ、まったくひどすぎるよ」
「でしょ、せっかく兵隊さんが、いっしょうけんめい殺したのに・・・・・」
「そんな問題じゃないだろ!!」

NHKで5回放映されていた「アウシュビッツ」を見終えたとき思った。
アウシュビッツの収容所の所長ルドルフ・ヘスも、きっといっしょうけんめいユダヤ人らを殺したのだろう。

ヘスは、戦後裁判にかけられた時も、自分の任務については全く後悔してないと述べた。そのかわり心残りだったのは、仕事にかまけて妻や4人の子供たちと充分な時間を持てなかったことだと言う。愛妻家のエリートサラリーマンはその後、絞首刑に処せられる。

この番組の良かったところは、被害者、加害者共に冷静に客観的に描かれていた事だろう。そして興味を持ったのは、ナチの元親衛隊員が生々しい証言をしながらも、自分の行為についてやはり後悔はしていないというところ。彼は時折、懐かしそうな表情さえ浮かべて当時の思い出を語っていた。

だがユダヤ人証言者の話も負けてはいない。この人は戦後、罪を逃れた元ナチ親衛隊員を探し出し、裁判もかけずに殺したり、ドイツ人の捕虜を窒息死させている。そしてやはり自分のやったことは正しいと胸を張る。

彼らの謝らない姿勢に、かえって誠実さを感じるのはうがった見方だろうか。

その時点での自分のやるべきことを精一杯勤めただけだという、老人たちの表情に、清々しささえ感じながらも、その結果起きてしまった事実のあまりの重さに、呆然としてしまうのであった。

 

アウシュヴィッツ収容所

 

 


 

黒酢寒天ブームに全く気がつかなかった私。

ここ何ヶ月か、スーパーや食料品店で探すがなかなか見つからず、たまにあってもべらぼうに高い。おかしいおかしいとは思っていたのだが・・・。

特に大好物ではないのだが、暑い時期になると寒天に惹かれる。

くずきり風に切って黒蜜をかけたり、牛乳のかんてん寄せや、缶詰のフルーツを切って加えてみたり。ひんやりと冷えたそれは少しレトロな風味がして郷愁をさそう。

あまり自己主張をしない、たよりない食感が夏バテで疲れた胃腸に心地よい。手に入りにくいとなると余計に食べたくなる。

私は寒天デザートを作るとき、砂糖をたっぷり入れるので、ダイエットなんて考えてもみなかった。早くブームが終わりますように。

0443米沢藩の名君として名高い上杉鷹山は、九州の高鍋藩から上杉家に入り、17歳で当主になった。

英明な気質の鷹山は、藩の赤字財政を立て直すため、かなり思い切った改革をはじめるが、いつの世にも既得権益を死守したがる御仁はいるもの。保守派の重臣たちが、まだ若い当主を監禁して強要するといういわゆる「七家騒動」を起こす。

だが聡明な鷹山は機先を制してこのクーデターを未遂に終わらせ、重臣たちは切腹、隠居閉門の上知行半減などの厳しい処分を受ける。その後23歳の当主は、苦しみながらも改革を断行していった・・・。

さて、私はもちろん小泉総理を名君とは思わないが、この度の郵政法案に反対票を投じた人たちと、鷹山にクーデターを仕掛けた既得権を持つ重臣たちが重なって見えてしょうがない。切腹や閉門蟄居の変わりに、公認しなかったり対立候補を立てたりするわけね。

また、山本周五郎作「小説日本婦道記」の中に『不断草』という短編がある。これは「七家騒動」をモチーフにしており、クーデターを企てた重臣の部下の妻が大変な苦労をするが実は、てな話だが、この作品のポイントは“にがり”である。

どろどろした豆汁はつかみようがない。そこへにがりを落とすと、豆腐になるべきものとそうでないものとがハッキリ分かれる。一言で済む用件のために常に金や義理、慣習などがどろどろしている世界において「郵政民営化法案」は“にがり”の役割を果たしたのか。

現時点で総理や議員を批判しても意味がない。まずは選挙が終わってから。

それにしても、旨い豆腐が食べたくなった・・・。

  

 


全一冊 小説 上杉鷹山

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