ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2005年12月

人生は一発勝負

タイムトラベルものが好きで、それを題材にした本や映画を結構見ている。映画なら「タイムマシーン」や「時をかける少女」「バック・トゥー・ザフューチャー」など等。小説なら3年ほど前に読んだケン・グリムウッド著「リプレイ」が特に面白かった。これは1人の男が何度も過去の若い自分に生まれ変わるという話だ。
読んでいくうち、小説とはいえ、何度も再生(リプレイ)出来る主人公を羨ましく思う。“人生をやり直せたら”いわゆる「たら・れば」は神代の昔から人類の憬れだから。

だがこの手のものは、構成とディティールが難しい。手を抜くとたちまち安直で子供だましの三文小説になってしまう。

さて、映画「バタフライ・エフェクト」を観た。主人公は母と二人暮らしの少年。父親は重い精神病で入院している。彼には好きな女の子がいるが、彼女も父と兄の虐待で心に傷を受けている。

大人になっても不幸なままの彼女を助けようと、何度も過去に戻り彼女の運命を変えようとする主人公だが、あちらを立てればこちらが立たず、やはり不幸は繰り返されるのだ。

見ようによってはずいぶん思い上がった考えではある。他人の過去を変えようなんて。だが彼はやがて悲しい決断をする。それが自分にも彼女にも一番良いのだとさとって・・・・。

こういう「たら・れば」ものは、あまり細かい事に拘らずに、どっぷりその架空の世界で遊べばいい。そして楽しんだ後、我に戻り「だが、私の人生は一つしかないのだ」と苦い現実を思い起こす。これこそが「たら・れば」ものの醍醐味である。

 

 

 

 


 

 

冠婚葬祭の殺人


G・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を読み終えた。以前、映画化されたものを観て、ぜひ原作も読みたいと思っていたのだが、「ガルシア=マルケス」と言うおごそかな響きの名前に、ちょっとびびっていたのだ。

でも、実際読み始めると夢中になり、気がつけば読み終っていた感じだ。

とにかく小説が映像的なのである。映画化された作品よりも映画的というか。そして何よりも濃い!作者は登場人物をすべて、それこそ通りすがりの牛乳屋のおかみさんに至るまでフル・ネームで呼ぶ。それがこの物語の人物ひとりひとりの重さになってあらわれる。

内容は、新婚初夜に、処女ではない事を理由に実家に追い返された娘の双子の兄たちが、処女を奪ったと思われる男を殺しに行く、その数時間を描いたものである。

今では映画の常套手段となっている、現在と過去が入れ替わったり場面が大胆に替わる(フラッシュバックとか、モンタージュ技法とかいうんだっけ)技法を小説にも使い、この町を挙げての惨劇をルポルタージュ風に描いている。

そう、この殺人は町を挙げてのお祭りなのだ。建前上はいけない事になっていても、人々は息を潜めて成り行きを見守っている。
双子の兄たちも、なんか嫌々殺しに出向いているのが見て取れる。やたら時間をとっては、自分たちの行動を止めてくれる人を待っているようだし。
そして殺された方も、垂れ下がった腸を押さえながら、近所の人に微笑みつつ自宅の玄関まで歩いている。なんかシュールである。

残酷でありながら妙に滑稽でもあり、最新の技法を用いながらも、どこか土着の匂いがする。

もっとガルシア=マルケスの本を読んでみたい。

 

 

 

 

 

ニューヨークのホテルで生姜湯を

年の瀬も押しせまり、明日の仕事納めの後は、大掃除、買い物、お正月の準備、おせち作りなどを大車輪でやらなければならない。

でも活字と離れるのは嫌なので、食べ物が煮える間、お湯が沸く間、チョイチョイ読めるような気軽なエッセイや短編を台所に置いている。

今読んでいるのは稲葉なおと著「まだ見ぬホテルへ」だ。一編一編がほど良い短さで写真も美しく、ひと時の清涼剤となっている。
また、あのB’zのボーカル稲葉浩志はイトコで、文庫本の解説は彼が書いている。

内容は、一級建築士で建築プロデューサでもある氏が、20代後半から30代にかけ、薄給の身でありながら、素晴らしい一流ホテルへの憧れ、止みがたく、世界中の有名ホテルを周った体験が生き生きと語られている。

世界中を旅したといっても、彼は「深夜特急」の沢木耕太郎のような冒険者ではないし、一流のホテルを周ったといっても、邱永漢のような金持ちでもない。ごく平凡な青年だ。
平凡だが育ちの良い建築家希望の青年が、有名ホテルを訪ねて感動した事、戸惑ったことをごく素直に描いているので、読んでいるこっちの方も、彼と一緒に一流ホテルでびくびくしたり、思わぬ親切に胸が熱くなったりする。

彼の言うように、朝から晩まで観光地を駆けずり回るよりも、歴史のある一流ホテルで、それこそ一流のサーヴィスを受け、のんびり滞在する方が確かに楽しい。
染みのついた台所で本を読みつつ思う。いつか私にも、そんな贅沢な旅が出来るだろうか・・・・・。

 

 

 

 

 

サリーをまとったアメリカン

私のインドに対する知識はお粗末なものだ。人口密度の高さ、複雑な宗教、カースト制度、カシミール地方の争い、映画産業が盛ん、ITに強い、彫りの深い美男美女が多いなど・・・・

ジュンパ・ラリヒ著「停電の夜に」

まず著者の顔写真を見てその美しさに驚いた。スーパーモデルもかくや、と言う美貌である。ただそれは私がモンゴロイド系の日本人だから思うだけで、ベンガル人にはああいった顔立ちが普通なのかもしれない。

「停電の夜に」は短編集である。
アメリカのボストンに住む知的エリートの若夫婦たち、アメリカ女性と不倫する男、住む場所もなく郵便受けの下で寝る女、アメリカ文化とのギャップに悩む移民など。
日々の暮らしのなかの思いがけない悲劇や喜びを淡々と描いている。そして彼らはみな彫りの深い浅黒い肌の持ち主で、周りには白檀やスパイスの香り、インド更紗、シルクがまとわりついているのだ。
靴を脱いで家に上がる、日本では当り前のことが、この人の筆にかかると、まるでエキゾティックな習慣に思えてくるから不思議だ。

著者のまなざしには、どこにも相容れない悲しみが漂っている。インド人ではない、かといってアメリカ人ともいえない。
だが、自分は少数派であり、王道にはなれない事を甘受しつつも、誠実に生きている知的マイノリティの姿勢には、清々しいものを感じた。

停電の夜に

志野茶碗でロイヤル・ティーを


最近、遅まきながら、書家骨董に興味を持つようになった。
掛け軸、茶碗、茶道具など玉石混淆、今は何を見ても面白く、街を歩いて古物店を見かけると、つい立ち止まって、時には、ウィンドー越しにトランペットを見つめる黒人少年のごとく、顔を押しつけて眺めることも、ままある。

いわゆる専門家では味わえぬ、ビギナーズの悦びにひたっているわけだが、優れた書や茶碗を見、「ああ、もしこれを所有できたら・・・」と夢想してしは、我家のお歳暮置き場となっている床の間や、醤油の染みがついたさびれた台所を思い出し、うなだれるのである。

さて、小林秀雄の本、『モオツァルト・無常という事』は珠玉の作品集だが、その中の「骨董」と「真贋」は、いつ読んでも面白い。小林は一時期、かなり骨董にのぼせ上がった時期があるらしく、冷静になった今、その頃を自嘲的に且つ懐かしさをこめて語っている。だが、苦労して巻き上げた抹茶茶碗で牛乳を飲んだりするところは彼らしいというか。

骨董はいじるものである。いくら博物館や美術館で名品を見て回り、目が肥えてもそれは美術鑑賞にすぎない。そして所有する人間の信用が高まれば高まるほど、骨董品は美しさを増すらしい。もし自分の持っている茶碗に価値がないと云われたら、所有者は、茶碗のせいではなく自分が悪いのだ、と思わなければならない。

将来、自分の平常心を狂わすような骨董品に出会ったらどうしよう。経済的なものもあるが、まず、その重荷に耐えられるだろうか。恐れつつも期待している自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

いいおんなは、嘘がうまい

ジュード・ロウ"nice 2 meet u"
上記の言葉は、
今日DVDで、「クローサー」という映画を観た時出てきたチャット上の挨拶文だ。イギリスにもいわゆる「2ちゃん用語」みたいなものがあるのだろうか。
そして、ネカマになってチャット相手である脂ぎった医師を興奮させているのが、あの美形だった(過去形)ジュード・ロウである。

マイク・ニコルズ監督のこの映画、あまり評判は良くないようで、ネット上でも「意味不明」「後味がすっきりしない」「ナタリー・ポートマンはストリッパー役なのに脱ぎっぷりが悪い」等々散々な言われようだが、私自身は大変面白かった。

監督は元々「卒業」や「愛の狩人」など、のっぴきならない男女のセックスにおけるドロドロを描いてきた。この作品もそうだ。
またいわゆる“脱ぐ”シーンは全然ないのに、セリフでばんばん卑猥な言葉をいわせる所も舞台出身らしい。字幕だとその面白さは伝わりにくかったかも。

それにしてもジュード・ロウである。「ガタカ」や「リプリー」では、この世のものではない神々しさだったのに、この作品の彼は、おでこは後退してキューピーみたいだし、なんか情けない若オヤジになっている。面差しに若き頃の美貌が残っているだけになおさら見ていて辛かった。
今30代前半か、微妙な年齢だ。どうかこの時期を乗り越えて、渋い中年親父になってほしい。

・・・そして、この作品をみて思った事。
女は浮気をしたら、その事実は絶対秘密にする事。
「愛しているからこそ本当のことを知りたいんだ」という彼の言葉にうかうか乗ってはならない。ま、そんなこと大半の女性は充分承知していると思うが・・・。

 

 

優雅なる記号


初めて”数字”を意識したのはいつの頃だったか・・・・。

まだ4〜5歳の頃、数字の2をアヒルさん、3をお耳、4をヨットと覚えていた。帆を張ったヨットなど見たこともないのに、なぜ、4はヨットと覚えていたのか。たぶん絵本で知ったのだろう。そのせいか、今だに2には「かわいい」というイメージがあり、4はクールな感じがする。

さて、小川洋子さんの「博士の愛した数式」を読んだ。清冽で美しい物語だ。心優しい若い家政婦とその息子。そして80分しか記憶がもたない数学博士の心の交流。この博士がとても魅力的なのだ。
数学に熱中して身だしなみもかまわずうろつき回るさまは、映画「ビューティフル・マインド」のジョン・F・ナッシュ氏みたいだし、生まれて初めて野球観戦をした日、自分の知ってる限りのデータの数字をぶつぶつ唱える様子は、「レインマン」で自閉症患者を演じたダスティン・ホフマンのようだ。

だが、この博士はしたたかだ。奥が深い。可哀想な老人と思ったらとんだ肩透かしを食らう。
たとえ80分しか記憶がもたなくても、彼の数学に対する情熱は揺らぎはしないし、愛する人もいる。もちろんその人はあの若い家政婦ではない。

日常生活での数字の美しさに気づいた時、その人生は、レース編みのように、複雑に絡み合いながらも優雅さを放つ。

 

 

 

武将だけで終らなかった人

日本の歴史上の人物で、損な役回りと言えば、山ノ内一豊と細川忠興だろう。どちらも奥さんの方が有名だ。一豊なんて、奥さんの逸話は知っていても本人が何をした人物なのか、知らない人が多いのではないか。

さて、先日「いのちのたび博物館」にて『大名細川家 文と武の軌跡』を観に行った。この博物館は元々、世界最大の恐竜の標本や、化石なのが売りなのだが、ティラノザウルスやトリケラトプスに囲まれながら、戦国時代の名品を楽しむのもまた一興だ。

さて、利休7哲と呼ばれる千利休の高弟の中でも、もっとも利休と親しかったと言われる細川忠興。文武両道とはまさしく彼のことを言うのだろう。甲冑や書画、茶道具など、名品の数々に心が躍ったが、特に印象に残ったのが、千利休が書いた手紙である。それには、利休が秀吉の怒りにふれて堺蟄居を命ぜられた時、身の危険を冒してまで淀まで見送りに来てくれた忠興に対して感謝の言葉がしたためられていたらしい(達筆で何と書いているか分らなかったが)

そんなエピソートを知ると、あの「本能寺の変」の時、義父の明智光秀の誘いを断り、信長に弔意を表し、妻で明智光秀の娘、玉を幽閉するなどの、あの手際の良さは何だろうと思った。たぶんマキャベリストの父、藤孝の命に従っただけかもしれない。

また展示品の中に“ゆがみ”という銘の茶杓がある。利休の作で、忠興が最も愛用していたものだが、うっかり口をすべらせて、人に譲ってやると言ってしまったため、それは彼の手を離れ他人のものになってしまう。忠興は惜しがるが、武士が一度口にした事をひるがえすことは出来ない。忠興は茶杓を譲る時に書状もしたため、「泣く泣く、そなたに差し上げます」なぞと書いている。

美人だがわがままな嫁(と私は思っている)に悩まされ、武将として多くの手柄を立て、文芸、茶の湯でも一流でありながら、妙にぬけたところもある忠興、魅力的な男だ。

細川忠興―ギリギリの決断を重ねた戦国武将

 

 

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