ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2006年01月

「50回目のファーストキッス」というビデオを見る。

ヒロインは、コメディエンヌとしても高い評価を得ているドリュー・バリモア、その恋人役に、これまたアメリカを代表するコメディアン、アダム・サンドラー。そして、「ロード・オブ・ザ・リング」のサム役を好演したショーン・アスティンや、「ブルース・ブラザーズ」のダン・エイクロイドなどがしっかりわきを固めている。
舞台は陽気で美しい島ハワイ。のどかで明るい人々たちが織りなすドラマの中心は、『前向性健忘症』という深刻な病を背負った女性とその家族、恋人の苦悩の話である。

そう、小川洋子さんの小説で、今上映中の「博士の愛した数式」の博士と同じ病気である。交通事故に遭い、それ以降新たな記憶を保持することができなくなったのだ。彼女の場合、一晩たつと前日のことをすべて忘れてしまう。

さて、私が始めてこの病気の存在を知ったのは、今から15年ほど前、
NHKテレビスペシャル「驚異の小宇宙 人体 脳と心 〜記憶〜」を見てからだ。

その番組に出ていた白人の男性患者は、あることがきっかけで、新しい事が記憶できない病気にかかったのだが、とにかく彼の周りはメモがいたる所に張られ、日記帳には細かな行動がぎっしり書かれてある。そうしないと、食事をとったことさえわからないから。
何より悲劇なのは、彼がその病気になる直前、母親といさかいを起こしており、つまり彼は、常に母親に対してネガティブな感情のまま、生き続けなければならないのだ。仲直りができない。これは結構つらい。

話は戻って、「50回目のファーストキッス」の主人公の女性は、それに比べるとかなり幸せかもしれない。彼女が事故にあったのは大好きなパパの誕生日の日曜日、楽しみにしてたパイナップル狩りの日だった。だから彼女の中では、毎日がパパの誕生日であり、楽しい日曜日なのだ。

心優しい父親と弟は、彼女に合わせ、お膳立ての生活をしている。だが、いくら四季のない常夏のハワイとは言え、父と弟の苦労も限界に来ている。そこに現われたのがアダム・サンドラー扮する獣医だ。

さて、私は、恋人よりも、彼女の父と弟に感情移入してしまった。娘を姉を、愛しているがゆえに、恋人の存在を脅威に感じ、それでも彼女の幸せを考え、思い悩む姿にはじわ〜と来た。

そして物語の最後、「う〜ん、そう来たか・・・」と、思わずうなずくラストシーンであった。

愛と行動力(これが大事!)、優しさ・明るさがあれば、すべてが解決できなくても、病気と寄り添いながらも幸せになる事が出来るのだ。

多少、楽観的過ぎるかもしれないが、明るく前向きな人々の姿には、心がほっこり温かくなった。ハワイっていいな。

50回目のファースト・キス コレクターズ・エディション

 


 

昔から健康に関して言われている常識の一つに「朝ごはんは、しっかりとりましょう!」というのがある。

朝食を抜くと、エネルギーが足りないのでgdry午前中の勉強や仕事の能率が下がり、ひいては生活習慣病の原因にもなるという。

実は私、朝ごはん食べない歴ウン十年である。
10代の終わりから30代にかけては、朝は抜きかコーヒー1杯、最近はコーヒー(ブラック)とトースト1枚が定番だ。朝食というより、「おめざ」といった塩梅である。

だが今までこれといって大病をしたこともないし、体重も高校時代のベストをキープしている。

いやしかし、もしキチンと朝食をとっていたら今よりもっと学力がアップし、仕事もバリバリ出来て、夢のようなバラ色の人生をおくれたかもしれない・・・・・。こればっかりは分らない。

さて、最近は『朝食は体に悪い』などの、今までの常識をくつがえすような意見も多くでるようになった。
どちらが正しいのか判断できないが、とりあえず私は、今までの習慣どおりにやっていこうと思う。それが一番自然だから。

生活習慣病に克つ新常識―まずは朝食を抜く!

私の好きな映画の一つに「ダーティ・ダンシング」というのがある。
内容は・・・・医者の娘でちょっと世間知らずの女の子が、家族と避暑地に行き、そこで一人の男性そして魅惑的なダンスと出会い、ダンスを通して少女は大人へと成長する・・・・みたいな、言葉にするとちょっとベタだけど、とてもチャーミングな作品だ。

ロックもソウルもなかった時代、60年代の古く良きアメリカ時代の甘い音楽、ファッション、そして踊りの名手でもあるパトリック・スウェイジのダンスに酔ったものだ。

さて、このたび「ダンシング・ハバナ」というビデオを見た。これは先の「ダーティ・ダンシング」をリメイクしたものだ。設定は、革命前夜のキューバ。主役の女の子はアメリカ人で、とくにお金持ちの子ではなく、男の子も以前の作品とは違い、踊りの名手ではない、ごく平凡なキューバの少年だ。余談だが、先のパトリック・スウェイジが、ダンスのインストラクターで出ていたのには驚いた。

そして感想は・・・・・面白かった!個人的には「ダーティ・ダンシング」より好きかも。何といっても常夏で色鮮やかなハバナの街並み。甘くそしてパワフルなキューバ音楽。情熱的で官能あるれるダンスがいい!

そして若い二人が踊るサルサが、何だか見ていて、とても照れてしまうのだ。
これが、成熟した男女であれば何とも思わないのだが、いかにも子供子供した顔立ちの二人がおずおずと、お互いの心を推し量りながら、それでも情熱的に官能的な世界に没入していく過程が、何とも甘く切なく見ていて心が掻き乱される。

一時、身も心も溶け合ったが、この二人、将来結ばれる事はないだろう。一年後にはお互いのことは忘れて、少年はキューバの情熱的な娘と、少女はアイビー・リーガーと恋に落ちるに違いない。

それは薄情とか軽いとかではなく、若さとは、強い回復力をも持っているということだ。単純で純粋な恋だからこそ、別れは切ないが、治癒力もまた強い。

クロスロードで交わった二人。人は誰しも甘い切ない思いを胸に秘めながら、やがて自分の道を歩き出す。

ダンシング・ハバナ

 

 

 

 

 

 

先日の夜、テレビをつけたところ、なんか若手社長タイホとかで、各番組は上や下への大騒ぎ。

・・・・・おいおい、そんなことよりもっと報道すべき事あるだろ・・とひとりごちながらチャンネルを変えると、NHK教育で「きょうの料理」をやっていた。講師は私の大好きな鈴木登紀子センセ。そして献立が、これまた私の大好きなぶり大根!もう見るしかない。

そして、登紀子センセの作られたぶり大根のまぁ美味しそうなこと。味のしみ込んだ大根は飴色にかがやき、まるで琥珀のようだ。こうなったら明日のおかずはぶり大根しかない。もう頭の中ではだいこんとぶりが腕を組んでダンスをしている。

翌日さっそく作ってみる。さすがに登紀子センセのようにはいかないが満足の出来、ハフハフ・・・。一日たつと味がしみてもっと美味くなるだろう。

料理には「出会いもの」が多いけど、このぶりと大根ほど幸福な出会いがあるだろうか。どちらも今が旬だから、味も良いし値段も安い。
大根はぶりの生臭さとあくの強さを和らげながら、しっかり旨みを吸収する。

こんないい仕事をしている大根なのに、なぜか世間では扱いが冷たい。大根役者とか、大根足、一時話題になった大根めしは貧困の象徴だ。オールマイティなところが、逆に軽く見られているのかもしれない。

以前、池波正太郎のエッセイで、知人が重い病気になったが、医者にかからず大根だけを食べ続けて完治した、というくだりがあった。大根には毒消しの作用もあるようだ。

さて、今度は池波氏の時代小説を真似て、「小鍋立て」をしよう。一人用の小さな土鍋で、あさりのむき身に大根の千六本、もしくは豆腐に大根といった淡い取り合わせだ。

ささやかな冬の愉しみはまだまだ終らない。

 

 

 

 

 

会社の昼休み、私がよく行く食堂はとにかく量が多い。

豚カツ定食を例にとると、大盛りのご飯、味噌汁、香の物は当然として、メインの豚カツは大皿にはみ出さんばかりに乗せられているし、それ以外に小鉢が4皿、ポテトサラダ、ひじきの煮つけ、揚げ豆腐、かぼちゃの煮つけなどが付く。もちろん付け合せのキャベツもたっぷり盛られてくる。
それで450円なのだからイヤになってしまう。

客層はガテン系の男性が多い。以前はもっと品数が多かったのだが、お客から「量が多すぎる」とのクレームがあり、今の品数になった。

初めのうちは目を白黒させたものだが、今では馴れっこになってしまった。

ここの店主は年配の女性だが、このおばあちゃん、私たちが食べ終えると、やおらテーブルにやって来て

「お嬢さん方、食後のデザートどうぞ」と、時々女だけに、モナカやかるかん(鹿児島名物ね)、柿などをサービスしてくれる(おばあちゃんの目には、女性高校生も40女も、お嬢さんに見えるらしい)

どうやら彼女は、「女は甘いものが好き」と信じ込んでいるようだ。

もしおばあちゃんが妙に機転がきく人で、「女性なので、ご飯を少なめにしました」などと言われたら、少なからず反感を持っただろうが、相変わらず豪快に大盛りのままなのが嬉しい。

「男性でも甘いもの好きな人いるけど、まぁせっかくのおばあちゃんの好意だしぃ」と思い、太鼓腹になった中年女たちは、シーハーシーハーしているおじさんたちのテーブルの間をぬぐい、おばあちゃんに精いっぱいの愛嬌を振りまきながら、寒空の下、職場へと戻るのであった。

今日、1月20日は大寒だ。一時ほどではないが、寒さが厳しい。明日は関東あたりでも積雪らしい。

さて、ひっそり愛読している屁爆弾さんのブログに、寒いと思われるものジャンル別ベスト5が書かれてあった。それに触発されて、私も「寒い」ときいて思いつくものを考えて、まず、ひらめいたのが、
「ジェイン・エア」の少女時代だ。

シャーロット・ブロンテの代表作を初めて知ったのは映画からであった。映画化4度目の作品で、スザンナ・ヨークとジョージ・C・スコットが出ていた。

伯母にいじめられて育った孤児のジェインは、やがて慈善学校へおくられそこで寄宿生活をする。

寄宿生活は過酷だった。早朝真っ暗な中、下着姿の少女たちは、震えながら並んで顔を洗う順番を待っている。でも洗面器の水は凍りついている。ジェインの親友へレンがあまりの水の冷たさに、ためらっていると「さっさと洗いなさい!」冷酷な教師から首筋に氷を押し付けられる。
そして、長いお祈りの末やっと食事が出ても、ムカムカするような焦げたスープと薄っぺらいパンだけ。

ジェインとその親友ヘレンは、貧しい食事と環境だけでなく、苛酷な仕打ちをも受けていた。とくにヘレンは、頭の良い生徒であるにもかかわらず教師からひどいイジメを受け、やがて命を縮める結果となる。

ヘレンのように優秀なのに妙に要領が悪くて、イジメの対象にされる人っている。弱肉強食の寄宿生活をおくる人にとって、それは致命的だ。

この辛い少女時代に比べれば、成長後のジェインの苦労なんてとるに足らないように思えてしまう。だってとりあえず食事とベッドは保障されているのだから。

作者シャーロット・ブロンテの姉も、慈善学校で寄宿生活をし、その過酷な生活のため亡くなっている。

イギリスの寒空の下、1人椅子に立たされ、震えながらうなだれている少女は、私の中では何よりも寒い。身も心も・・・。

 


スミス夫婦一組の夫婦がいる。二人は旅先で出会い熱烈な恋愛の末結ばれた。現在夫は建築士として、妻は優秀なSEとして仕事も順調で、大きな家を持ち、人も羨む優雅な生活をしている。絵に描いたようなDINKSだ(死語か・・・)

だが何か足りないものがあった。人格も外見も申し分ない二人なのに、いつの間にか心に隙間風が吹いている。これが倦怠期なのか・・・・。

やがて夫婦は考える。もしお互いの職業がいつわりで、本当は殺し屋同士だったら。そして二人武器を持って殺しあう日が来たら・・・・・。

映画「Mr.&Mrs.スミス」は、そんな倦怠期の夫婦が創りだした空想の話である。だってそう考えないと、あれだけのオーバーアクション、激しい銃撃戦の中、生き残れるはずないし・・・・。(雨嵐の弾がふっても、当たんないし)

ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーは、そんな大人のおとぎ話の王子様とお姫様にピッタリだ。

それにしても、アンジェリーナ・ジョリーのセクシーで美しい事。黒を基調としたファッションも素敵だ。こんなセクシーなお姐さんが、私生活では難民の子を育てているのだからすごい。さすがのブラピも影が薄い。つか最近彼は「ファイトクラブ」以降、好い役に恵まれてないな、あ、「トロイ」は良かったけど。

映画の最初と最後、二人が並んで正面を向いて、カウンセラーのインタビューを受けるシーンがあるが、それがどう見ても”素”なのだ。見ているこっちの方が照れてしまう。

アンジェリーナは6月が出産予定との事。お幸せに♪

昨日の日曜日、NHKの大相撲にて、あのデーモン小暮閣下が解説をされた!
テレビを見た視聴者からは「大変面白かった!」「また呼んで欲しい」との要望が殺到しているとの事。ああ、ビデオ録画するんだった・・・・・。

閣下の尋常ではない相撲知識はつとに有名で、本物の力士でも、かなわない。何しろ300年も相撲を見続けているのだから。

何年前だったか。あるラジオ番組で、北尾(元横綱、双葉黒)が横綱に昇格した時、閣下は大変憤慨していた。優勝経験のないあいつを横綱にするなんて・・・・と。
やがて閣下の言うとおり、脱走事件を起こして廃業した北尾を「そら見たことか」とせせら笑いをしたのが忘れられない。さすが悪魔はすべてお見通しなんだ。

一度、閣下のミサに参加した事がある。正直、日本で閣下以上の歌唱力のある人が何人いるだろうか、と思うほどの実力あるボーカルであった。特に高音の伸びが素晴らしい。
もし閣下が悪魔ではなくて、普通の人間に生まれてきたら、きっと偉大な歌手になっていたであろう。なまじ悪魔に生まれてきたために、愚民から「色物」に見られてかなり損をしていると思う。

さて、今相撲人気の凋落が色々言われているが、閣下のように本当に相撲を愛し、且つ知識のある相撲ファンもいる。そして本当のファンは、外国人がどうのこうの、なぞとつまらぬ事は言わない。
少なくとも私の周りの相撲ファンは、本当に良い取口の相撲が見たいだけなのだ。外国人力士が増えたから・・と言っているのは、案外あまり相撲を見ない人たちではないだろうか・・・・。

ああ、それにしても閣下の解説聴きたかった。多忙な悪魔のことだから、今度テレビに出てくれるのは、1000年後ぐらいだろうか・・・。

 

 

風炉昔、友人と、鳥取県の大山に、スキーに行った時のこと。
一日目は気持ちよく滑れたのだが、二日目の朝、スキー場へ向って歩いていて様子が変なのに気がつく。なんと春一番の強風が吹いて、リフトが全部止まっているという。
がっかりして私たちは民宿にとって返し、宿で働いているおじさんに「リフトが止まってるので、あきらめて皆生温泉でもいくわ〜」と冗談めかして言ったところ、
「せっかくスキーに来たのだから、もうちょっと待ってみては。風もじき止むだろう、さあ寒かったろう、一服していけ」と言い、裏に下がると、思いがけず、たて出しの抹茶を運んできてくれた。

着古した作業服姿の、無骨なおじさんの手で立てられた薄茶は、かじかんだ心と体に存分に染みわたった。
やがて私と友人は、ふたたびスキー場までの長い道のりを歩いていくまでに元気を取り戻した。そしてなぜか強風も止んでおり、スキーを楽しむ事ができたのだ。

話は変り、最近、三鬼英介の「笊で水をくむ 茶人・金津滋の生涯」を読んだ。金津滋は、出雲出身の茶人だ。出雲・松江は、お茶が盛んと聞く。
出雲出身の茶人と言えば、松江藩7代藩主松平不昧が有名だが、地元では、民の暮しを圧迫し、自分だけ高価な茶道具を蒐集していたせいか、あまり評判は良くないらしい。でもしっかり「茶」のエッセンスは取り込んでいるあたり、出雲の人たちの「大人さ加減」を感じる。

さて、現在、「茶」を嗜んでいるのはほとんどが女性だ。大寄茶会などに参加すると、きらびやかな和服の女性があふれ、もちろん見ていて楽しいものだが、千利休が確立し、戦国武将の真剣勝負であった「茶」とはあまりにもかけ離れている。

茶人 金津滋は、この風潮から真正面に向っていったドン・キホーテのようだ。こんな男が身内にいたら迷惑だが(何せ貸家7軒、全部売って茶道具を買うのだから)、その生き方は清々しい。彼のたてた茶は、さぞや美味しかったに違いない。

そして・・・、私は茶を習いながらも、古いスキー民宿でご馳走になった一服の薄茶よりおいしいお茶に、まだめぐり会っていないのだ。

     

                         

 

 

初釜

映画「歓びを歌にのせて」を観に行った時、冒頭、“文部科学省推薦!!”の文字が目に入る。
こりゃ私には退屈な作品かも・・・・。最初、心配したのも束の間、見すすめるうちに「全然文部科学省推薦ちゃうやん、すごい性的な作品じゃん」とひとりごちた(もちろんこれは私1人の意見かもしれないが)

内容は、有名な音楽家が心臓病を理由に引退し、生まれ故郷の雪深い村に戻ってくる、そして、そこのアマチュア聖歌隊の指導をすることになる・・・・、という見ようによっては安易な(「天使にラブソングを・・・」に設定は似ている)テーマだが、これがなかなか一筋縄ではいかない。

聖歌隊のメンバーはそれぞれ深刻な問題を抱えている。素晴らしい歌唱力を持つ女性は、夫のDVにおびえ、夫は妻の才能を知れば知るほど暴力がひどくなる。
牧師の妻は聖歌隊の練習に夢中になる。それを苦々しく思っていた夫は、妻から「私は一度もエクスタシーを味わった事がないの」となじられ蒼白となる。
そして主人公の音楽家も、身体的に重大な問題を抱えている。彼は死に場所を求めてこの地に戻ってきたように見えるのだ。

そう、音楽で人は救えない。素晴らしい指導者のお陰で音楽がメキメキ上達し、そして皆が幸せをつまむ、なんて現実にはありえない。
歌は世につれ世は歌につれ・・なんて言葉もあるが、歌は世につれても、世は歌につれるほど甘くはないのだ。

だが、皆と心を一つにして音楽に向き合った時、不思議な歓びがうまれる。それはセックスにおける「エクスタシー」のようなものかもしれない。

その歓びを共有することが出来れば、たとえ日々の暮らしはつらくとも人は生きて行けるのだ。
音楽家と慎ましい村人たちが、その「歓び」に包まれたとき、天使は翼を広げ、世界は光に満ちあふれる。

「歓びを歌にのせて」オリジナル・サウンド・トラック


 

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