最近、欠かさず見ていたテレビ番組に、NHK教育「知るを楽しむ」の『脳を鍛える』というのがある。番組の進行は、あの有名な東北大学教授 川島隆太氏だ。
これ以上の脳の低下を抑えるべく、切実な気持ちで見、実にタメになったと思うのだが、一つどうしても受け入れられないのがあった。
番組の中で、ある老人ホームを紹介し、そこで認知症のお年寄りに小学校一年生用のドリルをさせているのだ。なんでも簡単な計算は、脳の前頭前野球を活発にさせ、認知症の予防、あるいは悪化を防ぐらしい。
でも、でも、3+4とか2+2といった計算を、まるで自分の孫のような介護士からやらされているお年寄り・・・・・。
川島教授は「老人たちの症状が緩和されたと思う」と胸をはっていたが、何だかなぁ。
ハッキリ言って私はイヤだ。年を取り晩年になって、おぞましい学習ドリルをやるなんて。
子供の頃、つまらない授業にうんざりしながら、「早く大人になってこんなやな事から開放されたい!」と思っていたのに、死ぬ近くになってまた同じ事させられるなんてたまんない。
もちろん認知症の老人介護をする人は大変だろうし、症状を緩和したいと思ってやっている事はわかってはいるが。
そのうち、「百ます計算」なんかも取り入れだしたらどうしよう。果たしてそこに老人への尊厳は、死への尊厳はあるのだろうか。
さて、先日『メゾン・ド・ヒミコ』という日本映画をみた。ゲイの人だけの老人ホームを作った男と彼を取り巻く人たちの、ちょっと情けなくて、でも心に染み入る佳作だ。
最初はゲイの話と思ったが、突き詰めると老人問題が大きなテーマになっている。
自分と同じ趣味嗜好を持つ人たちと、人生最後の日々を送るのはさぞ楽しい事だろう。特に彼らのように家族や周囲から浮いた人生を歩んで来た人たちにとっては。
だがそんな楽園が実務的にやっていくのは厳しい。館長役のオダギリジョーが、金持ちパトロンであるジジィの誘いに乗り、それこそ体を売ってしのごうとしているような経営状態なのである。(その割には、老人ホーム内のインテリアがえらい豪華だったが)
だが、少なくともこの「メゾン・ド・ヒミコ」では、認知症の予防のためドリルをやらせる、という発想は全くないだろう。
自分はどういう老後を過ごすのか、自分だけの「メゾン・ド・ヒミコ」を見つける努力をそろそろ始めないといけない。