ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2006年06月

ワールドカップ観戦には、今まで関心がなかった国を身近に感じる事が出来る、という楽しみがある。

たとえば「セルビア・モンテネグロ」。恥ずかしながら私はこの名を知らなかった。だがこの国名もじき消えるらしい。
旧ユーゴスラビアなら、日本と戦った「クロアチア」もそうだ。
そして旧ソ連から独立した「ウクライナ」。またドイツのバラック選手は東ドイツ出身。

ソ連崩壊、東欧革命の嵐の中、ボールをけり続けた元少年たちの国歌斉唱の姿には心打たれるものがある。

ところで、急逝した米原万里氏の著『嘘つきアーニャの真赤な真実』によると、ヨーロッパ1の美男の産地はユーゴスラビア(旧)とのこと。

その血を引き継ぐセルビア・モンテネグロもクロアチアも一次で敗退してしまったのは、かえすがえすも残念だ。

さて、この『嘘つきアーニャの真赤な真実』は、著者が10歳から14歳まで過ごしたチェコスロバキア在プラハ・ソビエト学校の同級生3人との友情と、その後を追ったノンフィクションで、3編で構成されている。

まず、ギリシャから亡命した両親を持ち、まだ見ぬ故国にあこがれるリッツァ【リッツァの夢見た青空】
ルーマニアの要人の娘で、「打倒ブルジョア階級」と言いながら自分は贅沢な暮しを享受しているアーニャ【嘘つきアーニャの真赤な真実】
そして、ユーゴスラビアの民族紛争に巻き込まれたらしい親友のヤスミンカを探す
【白い都のヤスミンカ】

・・・・・・・・・完全に打ちのめされてしまった。幼い少女たちが、国を思い国家のことで小さい胸を痛めながらも、いじらしくも生き抜いていく姿に。ふりかえって、自分はいったい何をしてきたのだろう・・・。

そして「愛国心」とはいったい何なのだろう。

少なくとも自分は「愛国心」という言葉を軽々しく口にすまいと思った。

激しい殺し合いが続いたユーゴの、イスラム寺院での少年の言葉が心に残る。

【異教徒に対して寛容にならなくちゃいけないんだ。それが一番大切なことなんだ」

「愛国心」を持つなら、常に他国の「愛国心」も尊重しなければならない。簡単そうだが難しい。

だからこそ、ワールドカップで、試合の後、お互いの検討を称えあう選手の姿を見ると、救われる気になるのだ。テレビの力は大きい。
この大会が、良い見本になってくれたらと思う。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

 

 

先月、第一線のロシア語同時通訳者で作家の、米原万里氏が急逝した。まだ56歳。卵巣癌だという。

ショックだった。彼女の著作は『不実な美女か貞淑な醜女か』しか読んでいないのだが、その卓越した語り口、豊富な経験に裏打ちされたユーモア溢れる文章には魅了された。

語学ダメ人間には未知の世界である同時通訳の世界を、赤裸々に語り、読む方は大笑いしつつ納得してしまう。

これだけ自分を捨てて真実を語る女性もめずらしい。ナンシー関以来ではないか。彼女の「通訳=売春婦説」には思わず膝を打ってしまった。

そして、時々テレビ等で見かける彼女はグラマラスな美女であった。

お父上が日本共産党員だった関係で、子供の頃から東欧やソ連で暮していたそうだが、共産党員の娘というよりも、ロシア貴族の末裔といった雰囲気を漂わせていた。

それにしてもソ連崩壊という激動の時期、彼女自身は共産党崩壊に関して忸怩たる思いがあっただろうが、時代の転換期にその中心で活躍できた事は、羨ましく思う。

殆どの日本人が知りえない体験をし、通訳としても作家としても才能溢れた女性がいなくなるのは、これからの日本にとって大きな損失だろう。

                                         合掌

                                         

愛読しているおろちょんさんのブログで、キーパーの川口選手は、ジェルで髪を決めないとピッチに出ないという話を知った。
他の金髪茶髪の選手に比べて、見かけにかまわない印象の川口だが、結構おしゃれさんなんだ。

それにしても今回のスーパーセーブ。ジェルのメーカーさんはさぞや小躍りしている事だろう。もうCMオファーの準備をしてたりして。
キャッチコピー曰く

「俺が固める、ゴールも髪も」

・・・・・なぜゲーム観戦中にこんなバカなことばかり考えていたかというと、やはり“不安”なのである。おちゃらけで気を紛らわさないと、胸が苦しくて仕方がないのだ。

ああ、職場の仲間には「日本ダメダメ、話んならない、マスコミ騒ぎすぎ」など悪態ついて、ひんしゅくをかっている私だが、やはり日本には勝ってほしかったのか。

多分、ブラジル戦も、眠いと文句を言いつつ、最後までみるんだろうなぁ、過去、アトランタオリンピックの、「マイアミの奇跡」もあったことだし・・・。

心おだやかにサッカーを楽しみたい気持ちと、日本代表への思い入れが入り混じって、妙に不安定な今日この頃なのである。

 

 

 

私の勤めている会社はビルの10階にある。エレベーターは今話題のシンドラー社製だ。

事故が発生した直後から、勤務先のビルのと同じだと気づいていたが、気にしてもキリがないしと思い、いつもと変らず利用していた。

ところが先日、シンドラー社のだと知った職場の同僚が、わざわざ階段を登って出勤してきたのには驚いた。やっぱり怖がる人がいるんだ。

でも10階まで歩いて登るなんて、事故には遭わなくても、動悸息切れ筋肉痛でどうにかなりそうだ。

リスクのまったくない生活なんてありえない。複合的に考えながらよりリスクの少ない生活を選ぶしかない。

そんなことを考えていたら、今朝、九州、四国、山口地方に大きな地震が来た。
私の住む地域は震度3程度だったが、実際感じた揺れはもっと大きかったように思う。

果たして、もしエレベーターに乗ってる最中に地震にあったら・・・・。閉じ込めらないという保障はない。

とりあえずリスク回避として、エレベーターに乗る前、なるべくトイレは済ませておこう。

 

 

もうすぐワールドカップ、日本対オーストラリア戦で盛り上がっている時に、水を差すようで申し訳ないが、思い切って言わせてもらおう。

「私は日本代表が好きになれない」

なぜだろう、一生懸命応援しようという気になれないのだ。

もちろん皆素晴らしい選手ばかりだと思うが、下手すると日本代表より、政局不安なセルビア・モンテネグロやアンゴラの選手の方を応援したくなる。

愛国心が欠けているのだろうか、文部科学省からおこられそうだ。

自分でも悩んでいたのだが、本日、雑誌Number(7/13)の中の芝山幹郎氏のコラムを読んでドキッとした。
コラムの題は「日本を応援したいのに。」

氏も日本代表に対して魅力がないと発言している。
その理由は様々あって、詳しい内容は割愛するが、読んで印象に残ったのが、
「・・・・・です」といえばすむところを「・・・・・だと思うんですけど」と言葉を濁すのはやめろ。

確かに「・・・・だと思うんですけど」という男は魅力がない、つかその前に勝負にならない。日本選手たちはきっぱり「・・・です」と言っているだろうか。

さて、オーストラリア戦が始まる。

「私が悪うございました、お許し下さい・・・」とひれ伏すようなゲームを期待している。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり変な話で申し訳ないが、“女性が数人一緒にいると生理がうつる”という噂を聞いたことがある。本当だろうか、私は体験した事がないが。

もし真実なら、たとえば4人姉妹とかはどうなるんだろう。若草物語とか細雪の姉妹たちに一斉に月の障りが訪れるのは、想像するだに生々しい。

そして・・・、ヘビトンボの季節に自殺してしまった5人姉妹は、どうだったんだろう・・・。

「バージン・スーサイズ」というビデオを観た。ソフィア・コッポラのデビュー作品だ。彼女の2作目「ロスト・イン・トランスレーション」にはがっかりさせられたが、デビュー作品のこれは文句なく素晴らしい。

女性ならではの〜という言い回しは嫌いだが、この物語だけは思春期の少女を体験した監督じゃないと描けないだろう。夢のように美しく、だが見終わると必ずダウナーになる。

時代は70年代のアメリカ、金髪碧眼の美しい5人の姉妹は、厳格な両親の監視の下、デートをすることもままならず、近所の少年たちの熱っぽいまなざしを浴びながら暮らしている。

少年の目線で語られているせいか、この少女たちの周りは常にキラキラと輝き、まるで“処女オーラ”が取り付いているようだ。

少女たちは厳格な親に対し、とても従順だ。そして自己主張をすることもなく、母親が作ったお仕着せのブカブカのドレスを素直に着てはしゃいでいる。
たまに4女が、男の子に媚びる様子を見せるぐらいだ。

70年代といえば、フリーセックスが叫ばれ、フェミニズム活動が盛んになった時期なのに、この5人姉妹の周りだけ、まるで時が止まったように浮世離れしている。

4女の無断外泊が原因で、親から外出禁止を言い渡された少女たちに、少年たちが電話を掛けるシーンがあるが、一言もことばを交わさず、お互いのレコードを聞かせ合うだけなのが、あまりに古風で愛おしい。

なぜ5人姉妹は自殺してしまったのか、それは分らない。でも少年の目から見て、少女と言うものは、永遠に消え去る存在なのだろう・・・。

 

 

 

 

 

先日リサイクル着物店で、単衣の紬の着物を買った。リサイクルといっても、まだ誰も袖を通してない品で、淡い藤色に矢絣の飛び柄が点々とついている。おそらく花嫁道具で作った着物の一枚が、しつけ糸をつけたまま、流通してきたのだろう。

値段も手頃で、梅雨の季節や初秋の普段着にちょうど良く、大変満足している。

さて、私の周囲で着物をよく着る人はまったくと言っていいほどいない。老母の着物姿は、結婚式やお葬式の時しか見た事がないし、第一着付けが出来ないらしい。

昭和一桁生まれでさえこれなんだから、それ以降の女たちが着物が着られないのも当り前だ。

そんなわけで私の着物の知識のほとんどは書物から得ているが、その中で、特に参考にしているのが、群ようこ氏の「きものが欲しい!」と「きもの365日」だ。

この人、大人気作家でありながら、大変手マメな方で、編み物が上手いのは有名だが、襟芯を縫い付けたり袋物を作ったり(着物にはいつもチマチマした針仕事がついて廻る)の手仕事もこまめにするし、ウールの着物など自分で縫うこともあるらしい。

群氏の本が役立つ理由として、年齢が近いのと、同じ小柄でショート・ヘアである事。そしてなんといっても着物の趣味が似ていることにある。
氏は、華やかな染めの着物が苦手で、地味で落ち着いた織の着物を好む。

もちろんこの人の買う着物と私のそれは、値段にして雲泥の差があるのは明白だが、花柄の染めの着物など恥ずかしくて着られない気持ちはよく分る。妙にそわそわして落ち着かないのだ。

その点、大島紬などに代表される織りの着物は安定感がある。何より“けなげさ”がある。目立たないけどひたむきに生きています、そんな意志を感じるのだ。

そんな一見庶民的に見える紬だが、実はかなり値段が高い(もちろん物にもよるが)

そして一見庶民的で気さくなおねえさん風の群ようこ氏だが、実はかなり高価な着物を多く所有している。

やはり群ようこは紬の女だ。

 

 

 

 

 

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