いつも口をモグモグさせてよちよち歩いている丸い背中。身を乗り出して大相撲を観戦している姿。イギリスの動物園で相好をくずしてパンダを見学している様子・・・・。
失礼だが、どうしても、可愛いおじいちゃんというイメージしかない。
だから戦争中、多くの国民が犠牲になった血なまぐさい象徴と、この可愛いおじいちゃんとが同一とは思えず、まるで肩透かしをくらったような不思議なあっけなさを感じたものだ。
さて、『太陽』という映画を観た。監督はロシアのアレクサンドル・ソクーロフ、主役の昭和天皇を演じるのはイッセー尾形。
先ずは、多くの難関を超え、この興行的には儲からないであろう映画の上映のために努力を尽くしてた関係者の方々に感謝したい。彼らの努力のお陰で、一地方に住む私でさえ、タブーと紙一重のこの名作を堪能することが出来たのだから。
1951年生まれのロシア人の描く昭和天皇のたたずまいは、不思議なユーモアに溢れている。
だがそれは、単なる笑いではなく、緊張が極限に達し、もはや後は笑うしかない、というようなあきらめの混じったユーモアなのだ。
映画の中で米兵士らが天皇のことを「チャーリー(チャプリン)だ、チャーリーだ」と騒ぐ場面があるが、案外アメリカ人は的を得ている。この孤独な現人神の悲哀を敏感に察知したのだろう。
暗く重苦しい映像の中で、現人神は一句一句、言葉を選びながら話し、人間としての道を模索している。彼には威厳や権力といったものは感じられない。
実際の天皇がどうだったのか、今となっては誰も分らない。
ただ、戦後生まれのロシア人の目に映る昭和天皇の姿と、背中の丸い好々爺の姿が不思議とだぶって見え、郷愁さえ感じるのは何故だろう。