ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2006年12月

今年あった大きなイベントの一つが『FIFAワールドカップ ドイツ大会』であろう。

さまざまなドラマがあったが、切ない思い出として心に残っているのが「予選リーグC組 アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ戦」である。

6−0。あまりにも一方的な試合展開。とくに2点目などは、アルゼンチン側の24回にも渡るパス回しの上に生まれた。まさに、大人が赤子をもてあそんでいる様だった。

結局、セルビア・モンテネグロチームは一勝も出来ずにドイツを去ることになる。

彼らは試合以外にも辛いことがあった。
英国の某社が、最もマナーの悪いチームとして、この国を挙げたのだ。理由として、国歌を真面目に歌っていなかったからだと。

だが、ドイツ大会が始まった時点で、「セルビア・モンテネグロ」と称する国家は消滅していたのだ。つか、この国名が付けられてまだ3年しかたっていない。

こんな不安定な状態で、国歌を歌えというほうが無理な話だ。

また、これはある日本人サポーターが、ドイツ観戦ツァーに行った時の話だが、世界中のサポーターの中で一番嫌われているのがセルビア人だという。

彼らはどこに行っても他国のサポーターから冷たい目で見られ、ブーイングに遭う。

それで件の日本人が、彼らセルビア人に「ハロー」てな感じで気さくに声をかけたところ、彼らは眼を輝かせ、相好を崩して喜んだと言う。

それだけここヨーロッパにおいては、セルビア人は四面楚歌であり、針のムシロなのだ。

果たして「セルビア人」はそんなに悪者なのか。

チトー大統領が死に、米ソ冷戦が終った後に勃発したボスニア内戦、その後のコソボ紛争。そしてNATO軍の介入と空爆。

一連の紛争の中で、いつのまにか悪玉にされてしまったセルビア人。

この旧ユーゴ紛争は、私には絡まった糸のように分りにくく、さまざまな本を読んで考えたものだが(その中には現地に何度も取材に行った不肖・宮嶋のルポや、欧州の政治に詳しい米原万里氏のもあった)、その結果、私が思ったのは『どっちもどっちやん!』である。

セルビア人が正しいとは思わない。でも、他の民族が正しいとも言えない。コソボ紛争のアルバニア人だって相当うさんくさいところがある。

でも、戦争において『どっちもどっち』は禁句なのだろう。だれか悪玉がいないと収まりがつかないのだ。

また介入してきた米国らにとっても、悪玉がいたほうが何かと都合が良いのだろう。

そんな訳でセルビア人=敗戦=悪玉の図式が出来上がったのだ。

勝てば官軍、負ければ賊軍。戦時中に起こした不祥事も、負けた方だけが裁かれて勝った方はおとがめなしだ。

そんなセルビア人のため、せめて国際的なスポーツ試合で、「セルビア・モンテネグロ」が出場した時は(スポーツの国際試合などでは、まだこの名称が使われるらしい)応援する事にしよう。

さて、今年最後のブログエントリーは、「私の一年をふり返って」でもなく、「来年の日本の展望」でもなく、行ったことのない(つか多分一生行く事のない)ヨーロッパのまさに名もない小国に思いをはせながら締めくくることにする。

どうぞ皆さま、よいお年を・・・・。

ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争

 

 

 

 

 

 

 

 

実は私、不肖・宮嶋こと、報道カメラマン宮嶋茂樹氏の、十年来のファンである。

最初、週刊文春のグラビアを見ては腹をかかえて笑っていたのだが、ある日、本屋で著書『ああ、堂々の自衛隊』の表紙を見てハッとした。

そこにはボロボロのTシャツを着た華奢な青年が、日差しに目を細めながらはにかんでいる。優しそうな笑顔だ。

あの攻撃的な映像、懐古的な口調(始めの方のテキストは、勝谷誠彦氏が書かれたものだが)とは似ても似つかない、品の良い青年なのだ。

私は確信した。不肖・宮嶋は実はおだやかな青年なのだと。

彼は軍事オタクだが、大体オタクというのはおとなしい子が多い。軍事オタクでカメラが大好きな子供が、大人になっても気がつかずに被写体を追いかけているだけなのだ。

彼の撮った、戦時下の女性や子供達はみな、おだやかな優しい表情をしている。

戦火に遭った人々が、なぜ異国のカメラマンの前でそんな笑顔を向けることができるのか。きっと宮島氏自身が、おだやかで優しい子供だからだろう。

そんな彼も、もう40代半ば。かわいそうに髪は真っ白だ。ストレス、大変なものだろう。

世界中の戦火を飛び廻るのはもうムリじゃないかと思うのだが、でも彼は行くだろう。子供のように目を輝かせて。

ああ、堂々の自衛隊

 

 

 

 

 

アゴタ・クリストフ著『悪童日記』の続編、『ふたりの証拠』は寂しい物語だ。

さっきまで一緒に遊んでいた友達が急に消え、泣きながら荒野をさまよい歩くような孤独感を感じた。

時代は、苦しい戦争が終わって、やっと平和な暮しが来ると思いきや、待ち受けていたのは外国から来た占領軍による支配と、厳しい全体主義政権の締め付けであった。

その町で、少年リュカは一人生きていく(双子の片割れは、国境を越えてしまったのだ)

そして不思議な事に、この続編では双子の存在がまったく消されているのだ。町の人はだれも、最初からリュカが一人だったように扱う。

そしてその町の人々が皆、孤独を背負っているのだ。不義の子を産んだ娘も、本屋の親父も、共産党幹部も、図書館の司書も。

ああこれに比べたら前作『悪童日記』は、戦時中で明日をも知れない暮しでありながら、なんて生き生きとした楽しい日々であったことか。

あの強欲なおばあちゃんでさえ、あたたかい懐かしげな人に思えてしまうから不思議だ。

そしてリュカの謎はますます深まるばかり。彼は本当に双子だったのか。

そんな訳で、続編『第三の嘘』いつか読みます。

ふたりの証拠

文盲 アゴタ・クリストフ自伝

 

以前から気になっていた小説、アゴタ・クリストフの『悪童日記』を読んだ。

時代背景は、第二次世界大戦末期のハンガリーの田舎らしい。
長引く戦争で、はなはだしい食糧危機のため、都会に住む母親が双子の息子たちを田舎に住む祖母にあずける事から話は始まる。

この祖母が凄まじいババァなのだ。不潔で粗野で強欲で、村の人々からは「魔女」と呼ばれている。

そして孫である双子の少年たちを「牝犬の子」と呼び、口汚くののしる。

日本でも戦時中、疎開先で虐待された子供の話を聞いたことがあるので、そういった類の、少年達の成長物語かなぁと思ったらさにあらず。

この10歳ほどの双子たちの、まあしたたかな事、冷酷で逞しいのはババァ以上だ。

話の内容はかなりハードで、思わず目をそむけたくなるようなグロな場面も多い。もし映画化されたら絶対15禁か18禁になるだろう。

それなのに、なぜかサクサク読めるのだ。その秘密は独特の乾いた文体である。

主観の一切入らない、感情のない描写によって、自分自身がすっと双子の「僕ら」の中に入って行ける。こんな感覚は久しぶりだ。そして「僕ら」はこの陰惨な世界の中で不思議に生き生きと楽しそうだ。

作者自身も「解説」の中で戦火の中、子供時代を過ごした事について「かなり幸福な子供時代だった」「むしょうに懐かしい」と述べている。

この発言、私は何だか分る気がする。大人と違って、明日がどうなるか分らない非日常な生活は、子供にとって毎日がワクワクの冒険気分なのだろう。

さて、好調に読み進んできたこの物語、ラストで大きな疑問に出会う。思わず「なぜ?」と呟いてしまった。

そしてその疑問を解決するため続編『ふたりの証拠』を読んだのだが、解決するどころか謎は深まるばかり。つか、双子自身、本当に存在していたのか・・・。

やはり三部作の最後『第三の嘘』まで読まねばならぬのか。

そしてあの感情を省いた乾いた文体自体が、一種のトリックらしいと気がついた時はもう遅い。

恐るべしアゴタ・クリストフ。彼女こそまさしく「悪童」だ。

 

 

遅ればせながら、クリント・イーストウッドの硫黄島2部作の一つ、『父親たちの星条旗」を見てきた。星条旗

先に、日本人の目線で描いた『硫黄島からの手紙』に感銘を受け、このアメリカ人監督の懐の深さにたまげたものだが、さて今回はアメリカ目線。

何というか、すごい、かっこわるい話なのである。

偶然のいたずらで、あの有名な写真に載った兵士たちを探し無理やり英雄に仕立て、国債売上の宣伝に使う政治家たち。(確かに日本に比べてアメリカの物資の量は凄いが、この国だって無制限に豊かではないのだ。金が欲しいのは当然だ)
わけも知らずに熱狂するアメリカ市民。
そして、この英雄劇に、調子に乗ってはしゃぐ兵士と、逆に恥の意識にさいなまれるネイティブ・アメリカンの兵士。

見ようによっては自虐的にも見えるこの茶番劇で、一人冷静なのが衛生兵ドクである。

何しろ衛生兵は忙しい。銃撃戦が始まればあちこちで「衛生兵〜」「衛生兵はどこだ〜」の声が飛び交う。

自ら戦いつつ、弾をよけつつ、仲間の手当てをするドク。

彼は声が掛かれば、出来うる限り戦友を助けようと努力する。寡黙でおとなしいが頼りになる男だ。

彼は常に気遣いも忘れない。あの国債キャンペーンの広告塔にされても、不満は胸に秘め、いたって協力的である。そして荒れるネイティブ・アメリカンの兵士をなぐさめ、調子こいている兵士には苦笑いするだけ。

寡黙で真面目で、余計なことは言わず、戦争で見た地獄を女子供に話さぬまま、墓場まで持っていった男。

まさしく戦前の、日本人の父親そのままではないか。

そんなわけで、栗林中将やバロン西といった有名人のいない『父親たちの星条旗』に、より日本的なものを感じたのは、やはりクリント・イーストウッドの策略か。

 

 

 

 



 

アメリカベゴニア今から11年前だが、日米合同の硫黄島慰霊式典が、戦後50年を記念して行われた。

その様子をテレビで見ていたのだが、あの栗林中将の未亡人がご存命で、式典に参加されていたのにはびっくりした。

どうも歴史的人物というイメージを持っていたのだが、実際はそんなに昔の物語ではなかったのだ。

さて映画、『硫黄島からの手紙』を観た。

もとより硫黄島の日本軍には二人のユニークな人物がいる。一人は先の栗林中将。そして西少佐(バロン西)だ。
二人ともアメリカ生活の経験があり、国際的教養の持ち主である。
そのことが軍部や一部の部下に疎まれ、苦戦を強いられる原因の一つにもなっている。

アメリカの監督は、それでも日本を死守せねばならない彼らの苦悩を、そして名もなき若き兵士たちの戸惑いを淡々と表現している。

何といってもクリント・イーストウッドである。

この人の作る映画はみな暗い。
映像も暗いし内容も暗い。「ミスティック・リバー」しかり「ミリオンダラー・ベィビー」しかり。
しかも白黒ハッキリすることはなく、結末はいつも曖昧に終る。
だから見終わった後は、いつもしょんぼりして帰途につき、しばらくもやもやが消えない。

だが、それがこの作品においては良い方に作用していた。

戦争映画となるとどうも日本は、やたら感情的になるというか、誇張的な表現をしがちである。お涙シーンを入れたり劇的音楽を挿入したり。

その気持ちは分らないでもないが、感情が高まって、大泣きしてハイ終わり!ではいけないのである。

心に残らなければ意味がないのだ。

その点、妙に劇的シーンなどは作らず、変に日本的な音楽も入れず(この監督の音楽センスにはすごい)それでも、まごうことなき日本人の戦争映画を作った監督の手腕には、敬服するのみである。

栗林忠道 硫黄島からの手紙

 

 

 

 

 

 


 

↑このページのトップヘ