ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2007年02月

数年前より「リバタリアニズム」とか「リバタリアン」に興味を持ち始め、関連文献を、色々読んでいた。

学者によって解釈の違いがあるし、日本ではなかなか受け入れにくい思想だと思うのだが、「自由至上主義」や「小さな政府」というのは心惹かれる。

ただ「リバタリアン」に賛同している人の多くが、いわゆるエリート、経済的にも精神的にも独立した人に多いのが気になる。

私のような貧乏人が興味を持つのは、珍しいようだ。

それとネーミング。りばたりあん・・・・。

まるで、オバタリアンみたいだし、昔のB級ホラー「パタリアン」にも似てるし、そういえば、「リバイアサン」ていう深海で怪物が出てくる駄作ムービーもあったなぁ・・・。

さて、蔵 研也氏の『リバタリアン宣言』を読んだ。

ある意味、面白かった。それこそB級映画の味わいだ。

まず、帯のあおり文句が、
『ニッポンの勝ち組エリートとアメリカのセレブ(ヒラリーも、マドンナも、ブラピも・・・)が考えていること』

おいおい、高級リゾート地のCMじゃないんだから。

中身も突っ込みどころ満載だ。つか、わざとそのように描いているのかもしれない。無難な内容より、その方が読者を惹きつけるだろう。

彼の描く「無政府社会」には到底賛同できないが、だが同時に、清々しさを感じたのも確かである。

そして私は思うのだが、社会保障と言うものは、そもそも貧しい人のためだったはずだ。

だが今の日本では、保障の必要のない裕福層にも、等しく年金制度が行き渡っている。

そして、貧乏人は、日々の暮らしに追われ、ついつい保険料を払わなかったりする。

結局、社会保障は、その必要のない裕福層の資産を増やし、貧乏人は路頭に迷うのだ。

賛同する、しないに関わらず、「リバタリアニズム」について、本当に考えないといけないのは、勝ち組エリートやセレブではなく、私のような貧乏人なのかもしれない。

リバタリアン宣言
水源―The Fountainhead

 

 

 

 

 

 

 

d1映画『ドリーム・ガールズ』を観た。

’60年代、アメリカにモータウンレコードが生まれ、隆盛期を迎える頃とおぼしき時代に現れた、3人のコーラスグループの栄光と挫折、そして再生の物語である。

モータウンサウンドは昔から大好きだったので、懐かしき60年代の映像と共に、大いに楽しんだ。

出来ればすべてのセリフを歌にしてもらいたかった。それ程、ソウルミュージックファンにはたまらない作品だ。

ところで、この作品でアカデミー助演女優賞候補になっているジェニファー・ハドソン(エフィー役)だが、この人どう見ても主演だろう。

パンチの効いた歌唱力もさることながら、際立った存在感がある。
太めでおへちゃで、ちょっと不二家のペコちゃんのようだが、このドラマの主軸は彼女だ。

それに比べ、ビヨンセ(ディーナ役)は影が薄い。
もしかしたら、無個性で、おとなしい役柄を演じきっているのかもしれないが、
美人なのに表情の陰影が乏しく、まるで色の浅黒い君島十和子さんのようだ。

音楽プロデューサーのカーティスは最初、白人の、自分たち黒人に対する不当な扱いに怒り、またルーサー・キング牧師の演説をレコードにするなど、夢と希望と正義に燃えていたのだが、ショー・ビジネスが軌道に乗ってくるに連れ、「ソウル」ではなく「白人に受ける事」に重きを置くようになる。

そして、太めでおへちゃなエフィーに変えて、美人のディーナをリードボーカルに据えるのである。

たしかにエフィーのような、「あそび」のない、F1レーサーのようなボーカルは、聞きようによっては重すぎる。控えめで無個性なディーナの声の方が味付けしやすいのだろう・・・。

さて、現実の「モータウンレコード」もかなりアーティストに対して締め付けが強かったようだ、私生活の品行も含めて。
日本における「ジャーニーズ事務所」のようなものか。

だから独立するのは大変で、やっと一本立ちしても、数々の嫌がらせで潰されることが多い。

それに打ち勝った数少ないアーティストがマイケル・ジャクソンだ。

「モータウンレコード創立25周年」のライブに、哀願されて招待されたマイケルは、自分を苦しめた古巣の幹部らの前で、堂々と新作「ビリー・ジーン」並びにムーンウォーカーを披露する。

人生最良のときだったであろう。

だが、彼は「モータウンレコード」との戦いに運を使い果たしたようだ。

その後の変わりようは言わずもがなであろう。

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映画を観る楽しみの一つに、わき役の存在というのがある。

始め「何かこの人見たことあるなぁ」と思っているうちにだんだん気になってくる。

華やかな大スターも良いが、好きなわき役がスクリーンに出ているのを偶然発見するのは無上の喜びだ。

最近のお気に入りは、ピーター・サースガードである。

一見、眠そうな感じで、良い人なんだか悪者なのか、アホなのか賢いのか、曖昧模糊としてわかんない、不思議な男だ。

PB『ボーイズ・ドント・クライ』では、野蛮で無情な南部の男。
『愛についてのキンゼイ・レポート』
では仕事熱心だけど、どこか風変わりな研究助手。
『フライト・プラン』では、無駄に流し目が色っぽい航空保安官。
最近見た『終わりで始まりの4日間』では、地元で墓掘りの仕事をしながらも、旧友の主人公を優しく見守る友人。

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どの作品も、口笛を吹くように自然に気楽に演じている。

ロバート・デ・ニーロや、ショーン・ベンのように必死に役作りをしている様子は一切うかがえない。
いたってニュートラルな役者なのだ。

実力があるのに、なぜかインディーズ系作品を好んで選んでいるのも、面白い。

ブレイクしてほしい気もするし、このまま静かにわき役の道を進んでもほしいし、なんともファンには悩ましい男だ。

終わりで始まりの4日間

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年下の友人が結婚した。

元々美人の彼女なのだが、015白いビスチェドレスがとても良く似合っていた。

披露宴も、お色直しや花束贈呈などない、いたってシンプルな形式で、その代りにフランス料理やワインは大変美味しく、夢中で食べているうちに宴は終ってしまった。

いったい何をしに来たのやら。

いわゆる適齢期を過ぎてから、結婚式はとんとご無沙汰だった。でもやっぱり良いものだなぁ。

甥っ子や姪っ子たちも、もう年頃だ。

彼らが結婚式を挙げる時は、こう助言したい。

「料理は美味しい方が絶対良い」

お色直しや余興を減らしてでも料理に重点を置こう。

そうすればお客の称賛を得られる(ま、あくまで私見だが)

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DVDで、『ナイロビの蜂』を観た。ナイロビ
昨年の公開当時から気になってはいたのだが、「アフリカを舞台にした壮大なラブストーリー」「巨大な陰謀に立ち向かう美しき妻」といったイメージが先行して、どうも自分には敷居が高すぎると思い、見逃していたのだ。

あらためて、後悔した。ビデオでなく、やはり劇場で観るべきであった。

広大な大自然、果てしなく続く赤茶けた大地、カラフルな装いアフリカの子ども達・・・。

その美しさは、主人公のレイフ・ファインズの前の作品『イングリッシュ・ペイシェント』の乾いたサハラ砂漠を彷彿とさせる。

さて、原題『コンスタント・ガーデナー』にもあるように、主人公ジャスティンは、庭いじりが趣味の典型的な英国紳士だ。真面目で誠実ではあるが、日和見的な、面白みのない男である。

そんな彼が活動家でエキセントリックな女性、テッサ(レイチェル・ワイズ)に出合って人生が変わる。と言うか、妻の死によって彼は変わっていくのだ。

なぜこんな正反対な男女が恋に落ちたのか不思議だ。
もしかしたら、お互い、気がつかなかったもう一つの自分を、相手に見い出したのかもしれない。
蛇足だが、私は、テッサが、ジャスティンの外交官という地位を利用するために近づいたのではという疑惑がしてしょうがない。

ところでこのジャスティン、妻がアフリカでどんな危険な仕事をしているのか、調べようともせず、相変わらず庭いじりに没頭していた。

いくら仕事でお互い干渉はしないと約束したとは言え、あまりに鈍感すぎないか。

そして妻が不審の死を遂げ、その活動が段々分るにつれ、ジャスティンは変わっていく。

「愛しているから夫を巻き込みたくなかった」とう妻の気持ちは真実だと思うが、男にとってこれは屈辱的な言葉ではないだろうか。

彼のその後の一連の行動は、妻への愛でもあるが、コケにされた夫の魂の救済の戦いでもあるような気がする。

ナイロビの蜂

 

 

 

 

日本では、オタク=ダサイというイメージが定着しつつあるが、なぜそういう表面的なことしか見ないのだろうか。

実際の彼らと話してみると、教養があり、知的好奇心を刺激されることも多い。

目先の利益にこだわらぬ、クールなオタクたちを認知すれば、世の中もっと楽しくなると思うのだが。

さて、アメリカ映画『40歳の童貞男』のDVDを見た。

なんか、身もふたもないタイトルである。

も少し観客のことを考えてもいいじゃないか。こんなタイトルじゃ、映画館でチケットを買う時恥ずかしいよ。

そして内容だが、主人公のアンディ、これがとても感じの良い男なのだ。

40歳独身、もちろん童貞。家電店に勤め、趣味はフィギュア。
でも彼は引きこもりのオタクではない。

身の回りの事はきちんとしているし、近所の人や職場の仲間とも上手く付き合っている。仕事ぶりも真面目だ。休みの日には趣味をおおらかに楽しんでいる。

きっと彼は、性的欲望が少ないタイプなのだろう。それと過去の失敗が合わさって、女性との付き合いが疎遠になったのだ。

同僚たちが、何とかして初体験をさせようとするが、私には余計なおせっかいに見えてしょうがない。

出来れば彼には、しがらみのない清らかな一生を送ってほしかった。

思うに同僚達は、羨ましかったのだ。女性という生々しい重荷を持たず、軽やかに爽やかに生活している彼が。
だから自分らと同じ世界に引き込もうとしたに違いない。

そしてラスト、思わず腰が砕けてしまった。

アメリカ映画って、大作になればなるほど鼻持ちならないところが出てくるが、こういうおバカ映画となると、この国独特のユーモアやエンターテイメント性が出てきてよろしい。

また映画の中で、日系人のエスティシャンや、お好み焼き、日本の電化製品などが出てきて、やはりオタク=ジャパネスクなのかな、とも思ってしまう。


 


 

 

 


 

北九州市長選で、北橋健治氏が当選した、よかった。

選挙の前日には、その対抗馬、自公推薦の木柴田氏の応援に、なんと「つんく」と「矢口真里」と「飯田圭織」が乗り込むという珍事。

大事な市長選に、盛りを過ぎたタレントを呼ぶ、自公のセンスのなさには、怒りを通り越してめまいがしそうだった。

これで柴田氏が当選しようものなら、真剣に他県への引越しを考えていたのだが、それほど市民はおろかではなかった。

さて、やたら意味不明のハコモノばかり、たくさん作って赤字を増やし、いずれも不便な場所にあるため、車のない足腰弱ったお年よりは利用できない。

国民健康保険料は、全国平均よりかなり高く、不景気で失業して金がなくなっても生活保護はもらえない(例の北九州方式)

そんな、絵に描いたような高負担、低福祉の北九州市政が変わるよう、北橋氏にはがんばってもらいたいものだ。

さて、氏が当選した勝因に、例の柳沢大臣発言を挙げている人がいるが、それは絶対ありえない。

北橋氏は昭和61年、民社党公認で衆議院議員に初当選。20年のキャリアを持ち、北九州市での知名度は非常に高いのだ。

当時民社党は、鉄鋼労連との絆が強かったから、新日鐵関係の人脈も持っており、人柄も定評がある。

コワモテが多かった民社党の中で、北橋氏はとても穏かな雰囲気だった。

多くの市民は、「党」ではなく、「人柄」「人物」で彼を選んだのだ。そうじゃなければ消去法か。

そんなわけで、柳沢氏の発言以来、がぜん張り切りだした女たちも早く消去してほしいものだ。

 

 


 

1970年。日本人として初めて、小型ヨットでの世界一周に成功するという快挙があった。
航海の途中には最大の難関、マゼラン海峡がひかえていたが、無事に突破。

この冒険を成し遂げた白瀬クルーのメンバーは3人。男性二人と女性一人。
そして、紅一点の女性が、白瀬京子さんであった。

ニュースで、この女性のおじいさんが、日本人として初めて南極大陸に立った、白瀬中尉であると知り、子供心に、「血は争えないものだな」と思い、「白瀬」という名を心に刻んだ。

京子さんは幼い頃、晩年の白瀬中尉のそばで暮らしていたそうだが、この偉大な探検家は、幼い孫娘にどんな話をしたのだろう。

さて、先月のNHK教育テレビ『知るを楽しむ』で
不肖宮嶋 白瀬 矗先生に捧ぐ」があった。

白瀬中尉のこと、詳しくは知らなかったが、これを見て、あまりの過酷な人生に唖然とした。

11歳の頃から北極探検を志し、酒を飲まない、煙草を吸わない、茶を飲まない、湯を飲まない、火に当たらない、という五つの誓いを生涯守った。

だがその後の厳しい試練。

手始めとしての千島探検では、隊長、郡司大尉(幸田露伴の兄)の無責任な決断のため、多くの仲間が死ぬ。

そしていざ南極探検では(北極は、もう既に踏破されていたので)
国が金を出してくれないため、白瀬は金集めに駆けずり回り、やっと出発し、無事日本に帰還したのも束の間、彼には多大な借金が待っていた。その中には後援会の遊興飲食費も含まれていたのだ。現在に換算すると億単位の借金。

明治の冒険家は20年かけて借金を返済する。彼自身も言っていた。
「南極海の荒海よりも、陸に上がってからの方が辛かった」と。

だが、思う。
どんなに赤貧な暮しでも、白瀬中尉には「名誉」があった。日本人として初めて南極を踏破したんだという矜持があった。

でも彼の妻は・・・・。

中尉には7人の子がいたという。生活が苦しかったため、奥さんは、踊りなどを教えて生計を立てていたらしい。

身勝手なダンナがのぼせ上がって冒険に出かけている間、じっと耐えて家庭を守り、やっと帰ってきたと思ったら多額の借金を抱えている。

やはり明治の女は強いなぁ。それでも最期まで添い遂げたのだから。私からすると、奥さんの方がよほど冒険家に見えるのだが。


 

 

 

 

 


 

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