ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2007年06月

三島由紀夫の、豊饒の海・第三巻『暁の寺』は色彩豊かな物語だ。

第一巻の『春の雪』がいかにも春霞のような、淡いみやびな色調で、それが第二巻『奔馬』ではbara一転、憂国の士が主人公らしく、地味で無機質な鈍色の世界だったのと比べると興味深い。

『暁の寺』は総天然色(表現が古いが)とでもいうべき世界で、戦前のシャムやインドの仏閣が、たびたび象徴的に出てくる。

でもそれらの色彩は美しいだけではない。
薄汚れて醜く古ぼけてさえいる。

それは登場する人間にも当てはまる。

『春の雪』では物静かで理知的な19歳の学生、『奔馬』では38歳の裁判官で、前途洋洋だった本多繁邦が『暁の寺』において、えらい変貌をとげているのだ。

ようするに単なるエロじじぃに成り下がっていたのだ。

これには、密かに本多ファンだった私はショックだった。

思いがけない大金が入り、表向きは成功した弁護士だが、その隠れた性癖には目を覆いたくなる。

ああ、『春の雪』では、美貌の主人公を暖かく見守る、頼りになる知的な親友という、耽美派少女マンガにおいては一番おいしい役どころだったのに(つかこれ、マンガじゃないけど)

やはりこれは老いがなせる技だろうか。

つか三島由紀夫は老いに対して、憎しみさえ抱いているようだ。

この作品が発表されて半年後、彼は自決するのだが、自分が45歳で死ぬからといって、長生きの人をこんなに醜く扱わなくてもいいのに。

さて、豊饒の海の最後、第四巻、『天人五衰』では、本多は70過ぎだ。

本多のお爺ちゃんと一緒に、輪廻転生の最後を見極めたい。

暁の寺

 


 

kisaragi黒づくめの男達が集まり、お互いを記号で呼び合いながら際限なくおしゃべりをする・・・・と、まるでタランティーノ監督の『レザボア・ドックス』を彷彿させるワンシチュエーション・サスペンス映画が、この
『キサラギ』だ。

彼ら5人は、1年前に自殺したあるB級アイドル「如月ミキ」のファンで、インターネットのファンサイトで知り合い、彼女の一周忌に、つどう事になったのだ。

最初はただのアイドルオタの集まりかと思ったら、それぞれに思いがけない過去を持ち、おしゃべりを続けるうちに、彼らが、それぞれ彼女の死に関わっている事を知る。
果たして真相は、本当に彼女は自殺したのか。激しい議論は、意外な方向へ彼らを連れて行く。

この一見むさい男達のしゃべりが面白い。話す内容もだが、間の取りかたが秀逸だ。

こんなに会話だけで楽しませてくれる日本映画なんて、ほんと何年振りだろう。

そして見終わった後の清々しさ。心がホッと温かいなるような充足感。

彼らが、死んでしまったアイドルをいつまでも愛し、慕うさまは、まるでキリストの使徒のようだ。

ほんの束の間だが、性善説を信じたくなってきた。


 

 

 

 

幼い頃病弱だった人は、長じて右翼に走りやすいと聞いた事がある。

なるほど三島由紀夫や、小林よしのりも子供の頃体が弱かった。

だからこそ強い肉体に純粋に憧れ、しかもリアルタイムで体育会系にもまれた経験がないので、彼らの持つ不遜やいやらしさを知らず、その思想はより過激になり、その美学を過剰に実践しようとする。

三島由紀夫の(豊饒の海・第二巻)『奔馬』の主人公、飯沼勲は、国粋団体の塾長の息子で、剣道の達人でありながら、国を憂う心は、温室育ちの百合の花のように純粋で繊細だ。

さてこの『奔馬』、第一巻の『春の雪』との相似性が面白い。

『奔馬』の飯沼勲は、『春の雪』における雅で繊細な若者、松枝清顕の生まれ変わりとして描かれているが、その性格や外見は真逆である。

清顕がまれな美貌を持ち、優雅だが無気力で、武道を嫌っていたのに対し、勲の顔は浅黒く引き締まり、剣道に汗を流し、国を憂い、秘密結社の首謀者となっている。

テロリストの道を歩もうとしている彼を、不安げに見守るのは、判事、本多繁邦。

彼は19年前、夭逝した清顕の親友である。
論理的な法の番人でありながら、滝の下で勲の体を見た途端、清顕の生まれ変わりと信じ込み、その蒙昧とも見える思いに浸っていく。

清顕と勲の共通点は、その危なっかしさだろう。そしてどちらも年上の美貌の女性に翻弄される。

それにしても、三島由紀夫の生み出す文章はなんと華麗なのだろう。

同じ人間とも思われない。モンスターだ。

ラスト、勲は女に生まれ変わりたいと言い、
「ずっと南だ。ずっと暑い。・・・・南の国の薔薇の光の中で。・・・・・・」
という言葉を残している。

第三巻『暁の寺』では、どんな転生を見せるのだろうか・・・。

春の雪

 

 

 

 

ねこ高校時代の同級生で卒業後、社会保険事務所に就職した人がいた。

元々彼は大学進学希望だったが、友人の公務員試験に付き合いでついていって合格し、そのまま公務員の道を選んだのだ。

かように当時の公務員試験はハードルが低く、たいした努力もせずに合格できたのである。

その後、私は就職先の某会社で、社会保険担当になり、時々手続きのため、社会保険事務所を訪れるようになった。

とてもノンビリとした居心地の良い場所だったと思う。

職員はみなおっとりした感じで、役所の職員によく見られる、傲慢さなどなかった。

何より羨ましかったのは、5時になったらオフィスが空っぽになることだ。

ああ、私もこんな所に就職したかったな・・・と思ったものだ。

同級生の彼も、たまに見かけた。

なんでも3人の子供を全員私立に行かせているそうで、下世話ながら、給料がよいのかなぁ、と羨ましかった。

当時、団塊の世代は働き盛り、年金を受け取る受給者は少ない。(戦争の影響で、60〜70歳台の人口は少なかった)

人口比が大きく変わることは充分わかっていたはずなのに、あのノンビリした空気に染まって、社会保険庁の人たちは思考が停止していたのだろうか。

さて、現在、同級生の彼とは音信不通だが、今も社会保険事務所で働いているのだろうか。

3人の子供達はもう育ちあがっているだろう。

どうか嘆くことなく、今の困難に立ち向かって欲しい。

今から本当の「仕事」が始まるのだ。


 

薔薇亡くなって初めて、その作家の本を真剣に読み出す、というのは拙の悪い癖だが、ご他聞にもれず、このたびも藤原伊織氏の著作を読みあさっている。

だが寡作ゆえ、読み終わるのはもうすぐだ。寂しい・・・。

さて、今回読んだのは、『シリウスの道』だ。

読後の感想は・・・・「イオリン、欲張りすぎ!」

主人公は大手広告代理店の副部長。イオリンワールドではおなじみのちょっと疲れた、だが魅力的な中年男である(例によって女性にもてる)

その彼が中心となって、18億円の熾烈な広告コンペを戦うことになるのだが、それに25年前のある秘密が絡まってくる・・・というものなのだ。

個性的な登場人物、会話の洒脱さ、巧みな文章などは相変わらずだが、詰め込みすぎて、ちょっと散漫な印象を受ける。

とくに25年前の、2人の幼なじみとのくだりは天童荒太氏の『永遠の仔』とかぶってしまうし、彼らとの秘密が今回のコンペと結びつくあたり、ちょっと強引と言うか不自然な気が否めない。

私としては、広告コンペを中心に、それに関わる人たちの人間模様を、もっと濃くあらわして欲しかった。

特に彼の部下である25歳の青年。親のコネで入社しながらも、見事な成長をとげる彼の気持ちをもっと知りたかった。

イオリンはサービス精神が旺盛すぎるのだろうか。

サービス精神といえば、この作品では、あの『テロリストのパラソル』に出てくる奇妙なバーが再登場する。

そこは食べ物はホットドックしか出さないのだが、これがまた旨そうなのだ。

フライパンにバターを溶かし、ソーセージを軽く炒めた。次に千切りにしたキャベツを放り込んだ。塩と黒コショウ、それにカレー粉をふりかける。キャベツをパンにはさみ、ソーセージを乗せた。オーブンレンジにいれて待った。そのあいだ、ふたりの客は黙ってビールを飲んでいた。
(テロリストのパラソルより)

いかにも男の食い物、てな感じで、この無骨な男が手際よく作った味はどんなものなのか、想像するだけで、よだれが出る。

さて、鬼籍に入った作家の作品に難癖をつけながらも、自ら支離滅裂な文章でしめる拙は、やはり外道かな。

シリウスの道

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