ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2007年07月

今さらながら「佐藤優」がマイブームになっている。

よく注意してみると、この人、故米原万里氏のエッセイにも、
「哲学徒にして神学徒で、自称スパイというお茶目な青年」として紹介されている。

おいおい自分からスパイと名乗っちゃいかんだろう、と思ったりしたが、彼の情報収集能力は驚異的なものだったらしい。

それにしても元共産党員だった米原氏といい、自称スパイの佐藤氏といい、ロシア関係って濃い人が多い。

そんな佐藤氏と、NHKワシントン特派員だった手嶋龍一氏の対談集
『インテリジェンス 武器なき戦争』を読んだ。

手嶋龍一氏といえば、あの9・11の時、連日連夜NHKニュースに登場し、眠そうな流し目で、体を微妙に前後左右揺らしながら、解説をしていた姿が忘れられない。

「ああ、アメリカとの時差もあるし、この人ほとんど寝てないんだろうな」と、同情したものだが、どうやら元々ああいう顔立ちらしい。

その2人の対談集なのだが、今まで知らなかった情報戦略の内幕が垣間見られていい勉強にはなった。

特に、かの杉原千畝氏が、実は優秀な諜報活動家だったというのは興味深い。

だが全体的に盛り上がりに欠ける。

それは2人がお互いをヨイショし合っているからだ。

冷戦時代のソ連、アメリカのように、もっと激論を戦わしてくれたらよかったのにとも思ったが、情報の世界に生きる人は、結局本音を言わないのかもしれない。

それにしても佐藤氏の言葉
『秘密情報の98%は、公開情報を再整理することによって得られる』には思わずうなってしまう。

あえて危険な地に出向かなくても、大げさな事をしなくても、情報分析能力があれば、真実に到達する事は可能なのだ。

これは何も、国家機密とかの大そうなことでなくても、普段の生活の中でも役に立つことだろう。

だがその分析能力を身に着けるまでが大変だ。

佐藤氏のデビュー作『国家の罠』のなかで、「日本人の実質識字率は5パーセントだから・・・・」
というくだりがあったが、今さら諜報活動家になるわけではないが、せめて「文盲」にはならぬようにしよう。

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

 

 

 

 

 

 

 

フラワーここ一週間、老母の体の具合が悪く、病院と自宅を行ったり来たりしている。

やっと容態は安定してきたが、ここに来て思わぬ発見をした。
わが愚弟のことである。

普段は縦のものも横にしない、絵に描いたようなナマケモノなのだが、病気の母に接する態度、その介護のようすは、まるで痒いところに手が届くようなきめ細かさなのだ。

母も、娘の私に対しては遠慮が感じられるのに、弟に対しては全面的に信頼し身をゆだねている。

母と息子の濃厚な空間を垣間見、リリー・フランキー氏の『東京タワー』の大ヒットは伊達ではなかったのだ、とつくづく感じた。

実は今まで、なぜあの物語がメガヒットしたのか、よく分らなかったのだ。

さて、それに比べ娘(というか私だが)は冷たい。

母が入院する時も、まず思ったのは、「ああ、明日観るはずだったミュージカル、キャンセルだな、う〜ん残念」だもん。

母の容態よりも自分の楽しみが先に心に浮かぶ、まるで鬼のような娘だ。

だが冷たい娘であろうが、鬼嫁であろうが、この超高齢化社会。否が応でも介護の必要性が出てくる。

鬼嫁らの良い所は、普段からあまり期待されていないので、介護のプレッシャーでノイローゼになったり、自分で全部背負い込んだりしないことだ。

『東京タワー』の「ボク」のようには出来なくても、鬼嫁や鬼娘でも、やる気はあるのだ。

だから老親たち。大目に見てね。

 

 

 


 

さとうさん今さらだが、『国家の罠』を読んだ。
元外務省分析官で、現在、刑事被告人である佐藤優氏のデビュー作だ。

2005年当時、この本は話題になったものだ。「国策捜査」という言葉も、その時初めて知った。

だが2002年における、マスコミの鈴木宗男バッシングにウンザリしていた私は、どうも読む気がしなかった。

当時はロシアについて興味がなかったし、九州人のせいか、北海道や北方領土についても関心は薄い。

第一、サブタイトルの「外務省のラスプーチンと呼ばれて」を見ても、’70年代に流行ったB級ディスコソング「怪僧ラスプーチン」しか思い浮かばなかったという浅学菲才ぶりだ。

そんな私が、佐藤優氏の著作を読もうと思ったのは、youtubeで、彼の動画を見てからだ。

実は、私は、太った男の人が、スーツを窮屈そうに来て、汗をかきながら仕事をしている姿に弱い。なぜだろう、デブ専では決してないのに。

それに顔も意外と可愛い。まるでテディベアがスーツ着てるみたいだ。

もし彼がスッキリスマートな男だったら、読まなかったかもしれない。本の縁とは不思議だ。

読んでみて思った。佐藤優氏も、鈴木宗男氏も頭がいいのに、なぜ男の嫉妬について、対策をとらなかったのだろう。
神代の昔から、男の嫉妬は恐ろしいと、分っていたはずなのに。

もとより2人は、金や名誉は二の次、国益のために北方領土のためにひたすら頑張ってきた。そして有能であった。

だが有能であればあるほど、疎まれるものだ。権力のあるものから嫉妬されたら、身の破滅だ。

権力も何もない私だって嫉妬心がある。

本の中でも、筆者が、小渕総理や橋本総理など歴代の総理や、ロシアのそうそうたる高官、文化人などに誉められ可愛がられている場面よりも、拘置所での日々の暮らしを描いている方のが、面白かったし。

思うに、佐藤氏は目のくりっとした縄文顔だ。こういう顔立ちの人は日本では本流になれない。

とっつぁん坊や赤城農水大臣や、ホリエモンも、似た顔立ちだ。

目の細い弥生顔の人が今の日本の主導権を握っている。そして彼らは嫉妬深い。

国策捜査に選ばれる人は、本人の思いは兎も角、栄誉あることなのかもしれない。

国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて

 

 

 

 

 

 

 


花人の話を聞いてうんざりする一つに、夢の話がある。

「昨日スゴイ夢を見たんだよ、それがね・・・・」などと、嬉々として、しゃべり続ける友人には、「あっ○○さん、こんな所に白髪が」とか言って、その夢と幻想を断ち切りたくなる。

その人の脳内しか存在しない世界を、長々と話されてもなんと受け答えしていいか分らないし、第一他人の潜在意識なんて知りたくもない。

三島由紀夫の、豊饒の海・第三巻『暁の寺』において、主人公の本多に不愉快を感じたのは、その老醜だけでなく、自分の見た夢にうっとりして呆けているような感じがうかがえるからだ。

豊饒の海・最終巻『天人五衰』では、その老醜と呆けぶりはますますヒート・アップする。

だが80歳の本多は、ここで大きな痛手を受ける。それこそ彼が営々築き挙げた社会的名誉を無にするような制裁だ。そして身内からも酷い仕打ちを受ける。

今まで順風満帆に生きてきた男の、晩年になってからの思いがけない大きな試練だが、意外と彼はしぶとい。

彼以外にも、この物語に出てくる老人はみな強い。したたかだ。

それに比べ、20歳で自殺未遂を企てる本多の養子、透の弱い事。まるで精巧に作られたガラス細工のように、美しいが脆い。

この作品が遺作となる三島由紀夫は、老人を憎みながらも、そのたくましさ、したたかさにおいて、かなわないと思っていたのだろうか。

さて、私は仏教の素養がないし、輪廻転生の事も分らないので、何ともいえないが、結局本多は、19歳で死んだ友人、松枝への愛を我も知らず、貫いたのではないだろうか。

私にとって、「豊饒の海シリーズ」は、壮大な輪廻転生の物語というよりも、1人の男が一生をかけた純愛物語のように思えてならない。

 

 


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