ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2007年09月

今や海外旅行は日常的になってきたガーデンが、昔は夢と憧れをもって、外国の紀行文を読んだものだ。

特に女性が書いたもの、犬養道子さんや塩野七生さん、たまに桐島洋子さんのようなヤンチャもいるが、ほとんどが良家のお嬢様が多い。

そんな少女時代の憬れも手伝って、須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』に手を出したのだが、予想と違って読後感は、もの寂しく、でも不思議な清涼感があった。

須賀敦子さんは長年イタリア語の翻訳で活躍し、平成3年、61歳の時『ミラノ 霧の風景』で作家デビューし、いきなり女流文学賞と講談社エッセイ賞をとる。

昭和4年生まれ。芦屋のハイカラな家庭の少女は、多感な思春期を軍国主義の下で過ごす。
その後、修道会の学校に入り、厳しい寄宿舎生活をおくった後、大学院を中退して、その後パリ大学、そしてイタリアの学校で学ぶ。

彼女自身は敬虔なカトリック教徒だが、この『ヴェネツィアの宿』に漂う静けさは、まるで仏教の無常観のようだ。

留学先では、何人かアジアの女子留学生が、西欧の文化と言葉に馴染めず神経を病んでいる。

そして、自分がこれからどう生きていけば良いのか分らず、必死に模索し、宗教や哲学書を読み漁っている学生たち。

みな驚くほどストイックで純粋だ。もちろんその中に須賀敦子さんもいる。

だが彼女は学問だけに没頭していたわけではない。

物語の中で唐突に、彼女の父親と愛人の話が出てくる。

家出して愛人と一緒にいる父親を、見つけ出すという生々しい場面もある。

なぜこんなプライベートな話を、いかにも学究の徒である彼女が描いたのか不思議だったが、それが最後の、父親の死の場面で生きてくるのだ。

きっと憎しみながらも愛していたのだろう。娘とはそういうものだ。

父親だけではない。この物語には別れと死が付きまとっている。

戦時中の親戚の子供やおじさん。友達、研究仲間、そしてイタリア人の夫も、結婚4年目で、風のように消えていく。

死んでいくもの、去っていくものを見つめる、須賀さんの眼差しは静謐だ。

やがて彼女も、7年間の執筆活動のあと、静かに消えていった。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さとうさん今年の4月、エリツィン元ロシア大統領が亡くなった時の日本の対応には、唖然とするものがあった。

他国では、クリントン元大統領、ブッシュ元大統領(パパの方ね)、メジャー元英首相他、欧州の各国首脳や外相が国葬に訪れたのに、日本では、駐在モスクワ大使が参列しただけ。

ソ連消滅、そしてロシア連邦発足の中心人物であり、日露関係においても、一時かなり良好で、もしや北方領土も・・・・と思ったものだ。

この日本の冷たい対応・・・。単なる外務省の不手際ならば、お粗末過ぎるし、もしロシアを軽んじているのであれば、深刻な問題だ。
エリツィンが危険な状態であるころは、前から分っていたのだから。

さて、佐藤優の『自壊する帝国』を読んだ。

これは、ソビエト連邦が崩壊していく姿を現地でリアルタイムで見続けていた新米外交官の青春物語である。

この物語、やたらとご馳走が出てくる。

最上級のキャビア(茶さじ一杯で4千円くらい)などの珍味佳口。
最高級レストランでのロシアの皇帝料理、フランス料理、イタリア料理、日本料理の数々・・・・・そしてウォトカ、ウイスキー、等等。

佐藤氏がソ連の要人と会うときは必ずご馳走も寄り添っているのだ。

ただ彼自身はそんなにグルメではないようだ。

ソ連の代用コーヒー(藁と麦を煎じて牛乳を入れて煮込んだもの)が好きだったり、前著『国家の罠』でも拘置所の食事は意外とうまかったと感想を述べている。

それにしても彼の人脈作りはスゴイ。

政府の首脳、知識人、軍人、ジャーナリスト、宗教家・・・。

綺羅星のような人たちが、異国の新米外交官に、重要な情報を流す。若しくはリスクを冒してまで重要機密を漏らす。

確かに佐藤氏は、宗教や哲学の素養があり、魅力的な人物だが、それだけで、西側に重要な情報を教えるものだろうか。

確かにお金の力もあろう(当時ルーブルは下落していた)、彼のご馳走攻勢が功を奏したこともあろう。だが私は思う。

日本の情報をソ連に漏らしていたのではないか。

彼自身、他の著作の中で『情報の収集はギブ・アンド・テイクだ』と発言しているし。

真相は分らない。

だが、仕事を愛し、自分の能力の限りを尽くしてソ連(ロシア)高官らと絆を作っていた姿には、心打たれるし、そのひたむきさには感動する。

そんな若き日の佐藤外交官と、今の外務省。

ロシアは遠くになりにけり。

自壊する帝国

 

 

 

 

 

伊藤邸私の住む福岡では、今ちょっとした『伊藤伝右衛門』ブームが起こっている。

今年の4月から旧伊藤伝右衛門邸が一般公開されたのだが、市が年間1万五千人と見込んでいた来場客は、開館からわずか7日で突破した。

まったくお役人の予想ほど、あてにならないものはない。

筑豊の開拓者として、今だに多くの地元民の尊敬を集めている伝右衛門だが、大ブームの理由はもちろんそれだけではない。

人々の関心は、やはりあの『白蓮事件』であろう。

大正10年、九州一の炭鉱王、伝右衛門の美しき妻、歌人の伊藤白蓮が、7歳年下の東大生で社会主義の宮崎竜介と駆け落ちし、朝日新聞に、妻から夫への絶縁状が載ったのだ。

まだ「姦通罪」のあった時代。しかも白蓮は今上天皇の従姉妹だ。

世間は大スキャンダルに色めきたったが、当の伝右衛門は冷静だった。

すぐに妻の籍を抜き、「姦通罪」で訴えもせず、怒りで血が上っている炭鉱の荒くれ男達には『あの2人に一切手を出すな』と言い放ち、その後は沈黙を守った。

白蓮同じ九州人として、私はどうしても伝右衛門に肩を持ってしまう。

確かに彼は田舎もので教養がなく、女好きではあったが、赤裸々な絶縁状を世間にさらされねばならぬほど、悪い男だったろうか。

さて、林真理子の伝記小説、『白蓮れんれん』を読んだ。

読んでつくづく思う。大正当時、まさに『女三界に家なし』だったのだ。

白蓮は、華族、柳原家の妾の子として生まれ、里子に出され、その後他の華族の養女となり、15歳でその家の息子と結婚させられ、子供を産む。

だが、幼い夫の無理解と虐待に耐えられず、5年後、1人実家に舞いもどってきたが、そこに彼女の居場所はない。

やがて、政界進出を目論んでいる義理の兄は、資金を目当てに、九州の石炭王伊藤家へ、腹違いの妹を嫁がせる。時に、伝右衛門52歳、白蓮26歳。

それでも自分なりの夢をいだいて九州にやってきた白蓮だが、妾たちや複雑な兄弟姉妹関係にショックを受ける。

妻妾同居のような生活で、彼女の生きがいは唯一つ、歌を作ることだけだった・・・・。

こう書くと、大そう不幸な女のようだが、実はそうでもない。

夫は、それなりに若い妻を可愛がっていた。

byakurenn歌に夢中の白蓮のため、大金を出して豪華な歌集を出版してもやった。

本宅の他に天神と別府に豪邸があり、妻は豪華な着物をまとい、始終、地元の上流婦人や歌人仲間とあちこち飛び回る。

お皿一枚洗うわけでもないが、夫は何も言わない。

自分に学がないこと、妾がいることに後ろめたさを感じていたのかもしれないが、ずい分寛容な夫ではある。

やがて東大生の宮崎竜介があらわれ、運命は大きく変わる。

林真理子氏のこの著作は、白蓮が中心で、宮崎の心中があまり描かれていないのが不満だ。

正直、東大生で弁護士になる宮崎竜介は、当時エリートだろう。

よりによって7歳年上の人妻と、「姦通罪」のリスクを冒してまで添い遂げようとするのはなぜだろう。

私には、そんなに白蓮が魅力的な女性とは思わなかったが。

とにかく、夫が見逃してくれたからこそ、2人は幸せになれた。

2人はその後、白蓮が82歳で亡くなるまで、仲むつまじく暮らした。

幸せな結婚生活こそ、自分たちを許してくれた伝右衛門への感謝の形だったのかもしれない。

白蓮れんれん

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

以前書店で『白洲次郎』がブームだった事がある(今も続いているかも)

私も少しばかり彼に関する本を読んでみたが、どうも心に響かなかった。

確かに彼の経歴はスゴイ。生まれや育ち、華麗なる人脈、そして彼自体の風貌の美しさ。

ベントレーやブガッティーを乗り回す若き頃のモノクロ写真。まだ日本に「Tシャツ」という言葉がなかった頃、白のTシャツとジーンズで寛ぐ銀髪の姿にはほれぼれする。

だが彼自身の、人間の深みや懐の深さが汲み取れない。

思うに、白洲次郎は「汚れ役」を知らないのだ。

清濁併せ持ち、何かあればすべて自分が泥をかぶる、といった経験がない。

「名ホスト」として最高の手腕は発揮したが(もちろん、それだけでもスゴイ)、それ以上でも以下でもない。

さて、彼の妻、白洲正子の『白洲正子自伝』を読んだ。

この人の経歴は次郎の比ではない。

何しろ別荘には若き日の昭和天皇がよく訪問され、政界・財界・芸術の最高峰の人たちが彼女の周りに、綺羅星のごとく集まっている。

大げさだが、彼女の歴史がそのまま日本の歴史と重なる。

あまりに庶民とかけ離れた天上の生活ぶりに唖然とするが、正子自身は特に謙遜もせず淡々と描いている。

「だってこれが私の生まれなんだから、しょうがないじゃない!」
そんな言葉が行間から聞こえてきそうだ。

彼女自身「自分は恵まれすぎている」と自覚している。

それが逆に彼女の苦悩だったようだ(私には理解できないが)

つまり「あきらめる」ということを知らないのだろう。

願えばすべて叶えられる「恵まれた立場」ゆえに、他の人のように「上流の奥様」の暮しに安住してのんびり過ごす事が出来なかったのだ。

常に「何か」「何か」を求めている。

そのため「小林秀雄」「青山二郎」といった文学、古美術の最高峰人たちに体ごとぶつかって行き、壮絶なカラミ酒に、血を吐きながらも、教えを乞うたという。

こんなスケールの大きな妻を操縦できたことが、白洲次郎の最高の功績だ、と思うのは意地悪な見方だろうか。

風の男 白洲次郎 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

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