ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2007年12月

情報部員はうんちく好き

今年最後の本は、手嶋龍一氏の『ウルトラ・ダラー』である。

手嶋氏といえば、同時多発テロのとき、NHKワシントン支局長として、連日フラフラになりながらもテレビ中継をしていたのを思い出す。

さて、日本の外交インテリジェンスの第一人者ともいわれているテッシーの初めての小説『ウルトラ・ダラー』だが、出だしは良かったのだ。

最初は京都馬町。写楽の浮世絵のオークションが始まり、海千山千の目利きたちが競っている中、場違いにちょこんとすわっているイギリス男。

BBCの取材という名目だが、やがて彼の携帯にメッセージが入る。

『ダブリンに新種の偽百ドル札「ウルトラ・ダラー」あらわる。ただちに帰京されたし』

場面は変わって1968年の東京荒川。
町工場の若い青年が銭湯の帰り、謎の失踪をとげる。彼は機械彫刻の熟練工だったのだ・・・・。

おお、いいぞいいぞ面白くなりそう・・・・。

かなり期待したのだが、読み終えた後、え、こんなものなの?と思った。

もちろん内容はそれなりに楽しめたし得るものも多かったが、良質の小説を読み終えた後の、深い満足感がない。

気になるのが小説の中でやたら出てくるうんちくだ。

邦楽や着物、ブランド品やグルメの話が無駄に出てきて、しかもそれが冗長で上滑りの印象なのだ。

たぶんテッシーは、仕事もでき頭もよく、グルメやブランドの知識もそつなく持っているのだろうが、それを自分のものにして楽しんだ経験はないのではと思う。

それともうひとつ、登場する女性たちのなんと古めかしいこと。

篠笛の師匠で着物が似合って、かつ奔放な若い女なんているかい(しかも都合よく都心のマンションに一人住まい)

そういえばこの小説には着物の似合う佳人がよく出てくる。テッシーの好みなのだろか。

主人公のスティーブンスが恋人の麻子と車で東京競馬場へ向かうとき、ユーミンの『中央フリーウェイ』の話になる。そして麻子が
「ユーミンの歌って30年たってもちっとも古臭い感じがしない」云々という。
ウソでしょう。昔のユーミンの歌、十分に古臭いよ。
あんな中流の一般職OLご用達の歌、今じゃ少数派ですよ。

そんなわけで、解説で佐藤優氏が、「日本人初のインテリジェンス小説」とほめている割には、余計な装飾が多すぎて、散漫な印象がぬぐえない。
最初、うんちく話が出るたびに、これな何かの符牒か?といちいち考えていた私は徒労感が絶えない。

次回は無駄をそぎ落とした、もっと緊張感のある作品を希望。

ウルトラ・ダラー (新潮文庫 て 1-5)

 

 

天才と呼ばないで

ウイルマット・デイモンの「ボーン・シリーズを観ているうちに、ふと彼の出世作『グッド・ウイル・ハンティング」を思い出した。

まだ無名だったマットが親友のベン・アフレックと共同で脚本を執筆し、見事1997年のアカデミー脚本賞と助演男優賞(ロビン・ウイリアムス)を受賞したのだ。

確かその時、ディカプリオの『タイタニック」と作品賞を争っていた。

ライバルだった2人がその後、『ディパーテッド』で共演し、アカデミー賞を総なめしたのも不思議な縁だ。

ところで上映当時、私は『グッド・ウイル・ハンティング』という作品は、あまり好きではなった。

セラピー役のロビン・ウイリアムスが「アメリカ版金八先生」みたいで鼻につき、また登場人物たちのセリフがやたら理屈っぽく感じられたからだ。

あれから10年近くたち、あらためてDVDで見返してみると、青臭い理屈っぽいと感じられた言葉の一つ一つが、今とてもいとおしい。

若い人しか持ちえない心の葛藤、もどかしさ。もはや中高年になっては味わえない種類の苦しみをうらやましくも思った。

きっと10年前の私は、「青春」に嫉妬していたのだろう。

さてこの物語は、フィールズ賞の数学教授をはるかに凌ぐ天才的な頭脳を持ちながらも、幼いころの虐待のトラウマのせいで、固く心を閉ざし、清掃員をしている青年、ウイルと、妻を亡くした心理学者の心の交流を描いたものだ。

だが私は心理学者とのやり取りよりも、ウイルと幼馴染との交流が気になった。

ウイルの友達はそれこそ「FUCK YOU!」と「COOL!」しか語彙のない馬鹿な連中である。だが彼らはいつもつるんで、酒を飲み、バッティングセンターで遊び、喧嘩に明け暮れている。

彼らはウイルが普通と違う頭の持ち主であることは自覚しているが、それでも特別扱いすることなく普通に付き合っている。
ウイルも自分の頭の良さをひけらかすことなく、といって変に遠慮しているわけでもなく、いたってナチュラルだ。

これって結構しんどいことではないだろうか。

昔々、私のいた中学は、地域でガラの悪さで有名だった。当然偏差値も低い。

だがどんな所にも頭の良い人がいるもので、一人抜きんでた秀才がいた。そして彼の親友が、学年一、頭が悪いと思われる、それこそ分数の足し算もできないような子だったのだ。

だが彼らはいつも仲良く教室でしゃべり、放課後は一緒に連れ立って帰っていた。

今思うとそれは若く純粋だから出来ることで、年を重ねると妙にお互いを気遣ってしまい、それが却って心を傷つける。

ラスト、ボストンの小さな町を離れ、車で恋人の待つカリフォルニアへ旅立っていたウイルを思い遣る友達の顔には、寂しさと共に、ホッとした表情も感じられた。

そして・・・、21歳でボストンの小さな町を離れた天才少年が、やがてCIAによって暗殺者にされ、アメリカはおろか、世界中を股に、破壊活動をするようになるとは、予想もしなかったであろう・・・。

グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗殺者の心の旅路

ボーン1上映終了の日に、アメリカ映画『ボーン・アルティメイタム』をやっと観た。

「とても良かったよ」という評判を聞き、興味を持っていたのだが、シリーズの前2作品を観ていない。

レンタルで2作品を見て復習(予習かな)して映画館に行こうと思っていたのだが、同じことを考えている人が多いのか、ビデオ屋はいつも貸出中。

上映終了日の2日前、やっと2作品を借りて観て、あわてて映画館へ駆けつけた次第だ。

観終わった後、思った。

もっと時間をかけ、自分の中でこのシリーズを熟成させ、満を持して『ボーン・アルティメイタム』に挑みたかった。

そうすればもっと深い感慨を味わえたかもしれないのに・・・・。

さて、この物語の重要なポイントに『記憶』というのがある。

ボーンは高い身体能力と並はずれた頭脳を持っている。

格闘はもちろん武器やカーチェイスもこなし、パソコンや携帯に熟知し、数か国語を話す。だが彼は記憶喪失者である。

どうやら彼は、知識や語学といった意味記憶、車の運転や格闘といった体で覚えた手続き記憶はあるが、いわゆる「思い出」と呼ぶ、「エピソード記憶」が欠落しているらしい。

ボーン2感情を伴うエピソード記憶を失った彼の心は砂漠のように殺伐としている。

昔テレビのドキュメンタリー番組で、前向性健忘症の男性の毎日を追ったものがあった。

この男性は『博士の愛した数式』の博士のように、新しくものを覚えることができない。一晩経つとすべて忘れてしまう。

だから、この病気になったあと生まれたわが子の顔を覚えることができない。

だが、やはり病気のあとに覚えたワープロは忘れずに使えるのだ。

ワープロは覚えられるのに、わが子の顔は覚えられない。この砂をかむような孤独、切なさ。脳とは時に残酷なことをするものだ。

障害の種類は違っても、ジェイソン・ボーンも同じような孤独を味わっていたのだろう。

ところで、このシリーズ三部作に全部出ていたCIAの諜報員のニッキー。

ちょっと林家三平の娘に似ているぽっちゃりした女性だが、この3作目において、なんとボーンと過去に関係があったことが分かった。

今回、この2人はかなり接近するが、相変わらずボーンは気がつかない。
このニッキーの切ない表情から、ラストの微笑みまでの流れが秀逸だ。

マリー、パメラ、ニッキー・・・。

ジェイソン・ボーンの超人的な能力ももちろんだが、女たちの精神的な強さに感じ入ったこのシリーズであった。


 

 

戦場に消えた青春

映画『ブラックホーク・ダウン』の原作、『ブラックホーク・ダウン上下巻』を読んだ。著者はマーク・ボウデン。

1993年、ソマリアの首都モガディッシュで起きた、アメリカ軍とソマリア民兵との大規模な市街戦を描いたものだ。

読んでみる。とにかく分かりづらい。

映画でもそうなのだが、出てくる多くの米兵(下っ端から将軍まで)が、一人を除いてすべて白人。
群像劇でもあるのに、戦闘服を着てヘルメットをかぶり、埃と血にまみれた彼らの姿は、田舎者の日本人の私には、誰が誰だかさっぱり分からない。

原作においても、おびただしい人物が登場するが、カタカナ名(当り前か)や等級(三等軍曹やら特技下士官やら上等兵やら、階級はどう違うのか)、所属も、レインジャー、デルタフォース、空軍特殊部隊、車両部隊など色々あり、途中でエンストを繰り返しては、何度も前の方を読み返したものだ。

また市街戦のためか、「通りから3ブロック先を右に曲がって」とか「交差点の北西の方向に」とか「2ブロックを北に」などの表示が多く、しまいには私も、車両部隊長マクナイト中佐のように迷走してしまった。

現実に方向音痴の人間は、本の世界でも道に迷ってしまうようだ。

だがそれほど分かりにくいのにもかかわらず、不思議とずんずん読める。

読むほどに無名の戦士たちと同一化し、彼らと同じように、銃撃に怯え、RPGに脅威を感じ、命知らずのソマリア民兵に半ば尊敬、半ば同情しながらどんどんほふく前進していく。
(著者マーク・ボウデンは、アメリカ目線だけではなく、ソマリア民兵の目からもこの市街戦を捉えているのだ)

だが、下巻あたりから段々読むスピードが落ちていく。

やっと兵士の名前とキャラが一致し、それぞれのエピソードを知り、親しみを感じ始めた頃、その彼らがぼろ屑のように殺されていく。

物真似好きの軍曹、赤ん坊が生まれたばかりの兵士、新兵に「大丈夫だよ」と励ましていたデルタの精鋭があっけなく死んでいく。

脳みそを流し内臓がはみ出た死体。手足がもげ苦しげに喘ぐ姿。

悲しくつらく、途中で敵前逃亡したくなったが、それでは読み残しの本が増えるだけだと思い、歯をくいしばって(大げさだが)前進を続けた。

さて、この物語のホッとするキャラに、ジョン・ステビンス特技下士官がいる。

彼は『無限の可能性がある』というコマーシャルにひかれ軍に入ったのだが、年かさであったためか活躍する場に恵まれず、やがてお茶くみとタイピングが彼の任務になった。

半ばあきらめていたのだが、ある日朗報が入る。怪我をした仲間の代りとして、急きょこの市街戦に参加することになったのだ。そして彼は、初めての実戦にも関わらず、足を撃たれながらも大きな戦果を上げた。

微笑ましいエピソードだが、これには後日談がある。

このジョン・ステビンスが2000年、少女を強姦したかどで、懲役30年の刑を言い渡されていたのだ。

結局彼の人生で一番輝いていたのは、遠いアフリカの地での15時間の市街戦だけだったのだろうか。

大局的なことよりも、そんな無名の兵士やソマリア民兵の姿が心に残る物語であり、ノンフィクションであった。

それにしても多数の餓死者を出しているソマリア市民が、AK47などの銃器をちゃんと常備しているのには驚かされる。

もしかしたら戦の匂いにひかれて、映画『ロード・オブ・ウォー』のニコラス・ゲイジが、バーゲンセールに来ていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乳母は心配症

トリスタン昔、高貴な家の娘にはたいてい乳母かお付きの女性がいて、忠義一徹、ひらすら姫君のために尽くしていた。

三島由紀夫の『春の雪』に出てくる、綾倉聡子の乳母、蓼科などは、宮家の殿下と婚約中でありながら恋人と密通を重ねている聡子に常に寄り添い、恋人との情事が終わった後、着付けをひっそりと手伝ったりしている。

このたび観たアメリカ映画『トリスタンとイゾルテ』の、アイルランド王の姫イゾルテにも、愚直なまでの乳母がおり、この無鉄砲な姫の行動をいつもハラハラしながらも見守っている。

さて、私は今までアイルランドという国は、過去英国の圧政に苦しめられていた、というイメージがあったのだが、この作品においては、立場はまったく逆である。

ローマ帝国崩壊後、帝国の属州だったイギリスは、独立国家であるアイルランドに支配されていた。

当時イギリスは弱小国家がバラバラに統治しており、中にはひそかにアイルランド王と通じている領主もいて、まとまりがなかった。

やがて、指導力のあるコーンウォールのマーク王のもとに集結したかにみえたイギリスだが、密告により、アイルランド軍に集会所を攻撃される。

幼い少年トリスタンは両親をアイルランド軍に殺され、自分も殺されそうになるが、マーク王が身をかばって助けてくれた。王はその時片手を失う。

その後トリスタンはマーク王に育てられ、たくましい騎士となる。

さて、力をつけてきたイギリスに脅威を感じたアイルランド王は、政略結婚を考える。

そしてマーク王は、アイルランド王の娘イゾルテと結婚するのだが、花嫁の顔を見て、トリスタンは愕然とする。

以前、重傷を負ったトリスタンを助け、手厚い看護をしてくれ、そして愛し合った娘だったから。

それから彼らの悲恋が始まるのだが、これがうたい文句の『史上最も美しい、禁じられた愛の物語』というほどロマンチックではないのだ。

元々イゾルテは大怪我を負って漂流していたトリスタンを見つけた時から、何とか物にしようとやる気満々だったし、男のほうは彼女の色気に押されっぱなし。

再会後も、口では「恩義あるマーク王を裏切れない」と言いながらも、ストーカーのごとく彼女の跡をつけ、「なんだ、王と仲良く手をつないで」と文句を言う。まるで子供だ。

第一、私の眼には、トリスタンよりマーク王の方が絶対いい男だと思う。片腕というハンデはあるが、それだって名誉の負傷だし。何といっても王様なのだ。

もうちょっと上手く立ち回れなかったのか、というイライラ感など、まさしく『ロミオとジュリエット』の原典だろう。

トリスタンとイゾルデ
トリスタンとイゾルデ*楽劇

 


 

 

 

 

 

 

 

パパはつらいよ

マリア3「クリスマス」が、宗教性とは程遠い「イベント」となって久しいが、それを非難する気持ちはまったくない。

年末の楽しい風物詩だとは思う。だが、時には立ち止まってこの日の意義を考えてみるのも悪くない。

マリア』という映画を観た。

これは、イエス・キリスト誕生までの、父ヨセフと母マリアの物語である。

彼らのほかにも、東方の3博士や、ヘロデ王など、歴史や聖書に忠実に作られており見ごたえがあった。

マリアの役は以前『クジラの島の少女』で主役を演じた女の子。大きくなったものだ。

ごく平凡な十代の女の子が、お告げにより処女のまま神の子を身ごもる。それから彼女の苦難の日々が始まるのだが、女のほうはまだ良い。

妊娠・出産はもちろん大変だが、新しい命と一体になることで、女には覚悟と勇気、いわゆる「母は強し」といわれる不思議な力を持つことが出来る。

でも男は・・・。

婚約者ヨセフは、愛するマリアの腹が膨れているのをみて驚愕する。

嫉妬、絶望に打ち勝ち、苦悩の末、彼はマリアのお告げを信じ、妻とその子供を守ることを決心するのだ。

やがてヘロデ王のおふれにより、ヨセフはマリアを連れてベツレヘムに向かう。

ヨセフは身重の妻をロバに乗せ、自分は歩いて険しい山々、不毛の沙漠、激流の川を進んでいく。
足の裏はまめで血にまみれるが、彼は自分より常に妻を気遣う。

彼が気を使うのは妻ばかりではない。

マリア1食糧が底をつき、パン(つかインドのナンみたいなもの)1個だけになったとき、彼は半分をマリアに食べさせ、自分は残り半分を一口かじっただけで、腹を空かせたロバに、こっそり与えている。

やがて妻が産気づくと、必死で走りまわって羊小屋(なぜか馬小屋ではなかった)を見つけ、自ら赤ん坊を取り上げる。

私は映画での出産シーンというのはどうも苦手なのだが、この作品のそれは神々しくも感動的であった。

ヨセフ。自分の子ではない赤ん坊を身ごもった妻のために誠心誠意をつくす。これこそ無償の行為であろう。

もしかしたら神は、ヨセフを神の子の父に相応しいとお思いになって、その婚約者を身ごもらせたのかも、なぞと思ってしまう。

劇中流れる『清しこの夜』の音楽が心に響く。

それにしても「聖母マリア像」とか「マリア様」とかマリアの名前が冠についくのは多々あるが、「ヨセフ」はほとんど聞かない。

やはり父親とは、労多くして報われないものなのか。

そんな苦労の多い父親たちへ、ちょっと早いけど

メリークリスマス!マリア2

 

 

 

 

 

「き」の字に眠る

回、『読み残した本を完読する!』と宣言した舌の根も乾かぬうちに、また新しい本に手を出してしまった。
この浮ついた性質、どうにかならぬか。

さて、手にした本は『武士の娘』 。
作者「杉本鉞子(えつこ)。訳「大岩美代」。

これは新渡戸稲造の『武士道』や岡倉天心の『茶の本』と同じく、日本人が西欧向けに英語で書いたものである。

そのせいか大変読みやすい。古い漢字や、難しい有職の言葉が連ねているにもかかわらず、すらすらと読める。
やはり日本語と英語と訳すうちに、文章の無駄がなくなり、こなれていくせいだろうか。

この本は、世界七ヵ国語に翻訳され、ルース・ベネディクトの『菊と刀』に、六か所にわたって引用され、作者杉本鉞子は、アメリカの中学の教科書『偉大な開拓者』の中に、モーゼ、キリスト、エジソンらと共に、取り上げられているという。

鉞子は、明治6年、長岡藩の筆頭家老の末娘として生まれた。
当時、長岡藩は賊軍として維新の過酷な運命に翻弄され、鉞子の父と兄は切腹直前のところ、間一髪で赦されたのであった。

その頃の武士の子弟の教育や躾は厳しい。

6歳の鉞子は、「四書」を学ぶ。教えに来るのは高名な学僧だ。

「勉強している間、体を楽にしてはいけない」が慣わしだったので、お稽古の2時間、畳に正座をしたまま微動だにしない。

ある時、鉞子が、ほんの少し体を傾け、膝がゆるんだ時があった。

高僧は少し驚いた顔をし、やがて静かに本を閉じ、厳しい態度ながらやさしく「お嬢様、そんな気持ちで勉強はできません。お部屋にひきとって、お考えになられた方がよいと存じます」と告げる。

恥ずかしさで胸のつぶれるばかりの鉞子は、床の間の孔子象と師匠に深々とお辞儀をし出てゆく。

「おや、随分早くおすみだね」という父の言葉が「死刑を告げる鐘の音」のように響いたという。

そして寒の三十日は、難しいことを長時間勉強させられる。

一番寒い冬の早朝、空から落ちたばかりの汚れない雪を硯に入れ、火の気のない部屋でお習字の稽古をする。

やがて眠りにつく時は、「き」の字に体を曲げて眠る。男の子は大の字になって寝ることは許されても、女の子は寝ている間も、気を緩めてはならないのであった。

そして十四歳の時、親の決めた男性と婚約する。
相手がアメリカで商売をしているため、急きょ鉞子は、東京のミッションスクールに遊学する。

これからが鉞子の真骨頂なのだが、実家では、信心深い祖母らと、毎朝仏壇に手を合わせていた彼女が、いとも簡単にキリスト教の洗礼を選ぶのだ。

そのレンジの広さというかふり幅のダイナミックさには驚かされる。

やがて渡米し、アメリカ東部で結婚生活をスタートさせるのだが、感受性の強い彼女は、数々のカルチャーショックを受けながらも、異国の文化を理解し溶け込んでゆく。また相手国に対して卑屈になることなく日本の文化や伝統を誇りを持って伝えていくのだ。

二人の娘に恵まれた鉞子は、夫の急逝のため若くして未亡人となり一旦日本に帰る。

だが日本の文化に苦労している娘のため、再び、アメリカ行きを決心するのだ。

この人の特質はその稀なるバランス感覚だろう。

封建的な武士の考えと開放的なアメリカ、仏教とキリスト教、これらが矛盾することなく身に備わっている。

その消化力の強さ、根っこの太さは、やはり幼少時代の厳しい躾や教育から来ているのだろうか。

彼女はその後コロンビア大学で日本文化史を教え、古きアメリカ人からは「グレート・レディ」と呼ばれ敬愛されているという。

 

海を渡ったサムライの娘 杉本鉞子

 

 

 

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