今年最後の本は、手嶋龍一氏の『ウルトラ・ダラー』である。
手嶋氏といえば、同時多発テロのとき、NHKワシントン支局長として、連日フラフラになりながらもテレビ中継をしていたのを思い出す。
さて、日本の外交インテリジェンスの第一人者ともいわれているテッシーの初めての小説『ウルトラ・ダラー』だが、出だしは良かったのだ。
最初は京都馬町。写楽の浮世絵のオークションが始まり、海千山千の目利きたちが競っている中、場違いにちょこんとすわっているイギリス男。
BBCの取材という名目だが、やがて彼の携帯にメッセージが入る。
『ダブリンに新種の偽百ドル札「ウルトラ・ダラー」あらわる。ただちに帰京されたし』
場面は変わって1968年の東京荒川。
町工場の若い青年が銭湯の帰り、謎の失踪をとげる。彼は機械彫刻の熟練工だったのだ・・・・。
おお、いいぞいいぞ面白くなりそう・・・・。
かなり期待したのだが、読み終えた後、え、こんなものなの?と思った。
もちろん内容はそれなりに楽しめたし得るものも多かったが、良質の小説を読み終えた後の、深い満足感がない。
気になるのが小説の中でやたら出てくるうんちくだ。
邦楽や着物、ブランド品やグルメの話が無駄に出てきて、しかもそれが冗長で上滑りの印象なのだ。
たぶんテッシーは、仕事もでき頭もよく、グルメやブランドの知識もそつなく持っているのだろうが、それを自分のものにして楽しんだ経験はないのではと思う。
それともうひとつ、登場する女性たちのなんと古めかしいこと。
篠笛の師匠で着物が似合って、かつ奔放な若い女なんているかい(しかも都合よく都心のマンションに一人住まい)
そういえばこの小説には着物の似合う佳人がよく出てくる。テッシーの好みなのだろか。
主人公のスティーブンスが恋人の麻子と車で東京競馬場へ向かうとき、ユーミンの『中央フリーウェイ』の話になる。そして麻子が
「ユーミンの歌って30年たってもちっとも古臭い感じがしない」云々という。
ウソでしょう。昔のユーミンの歌、十分に古臭いよ。
あんな中流の一般職OLご用達の歌、今じゃ少数派ですよ。
そんなわけで、解説で佐藤優氏が、「日本人初のインテリジェンス小説」とほめている割には、余計な装飾が多すぎて、散漫な印象がぬぐえない。
最初、うんちく話が出るたびに、これな何かの符牒か?といちいち考えていた私は徒労感が絶えない。
次回は無駄をそぎ落とした、もっと緊張感のある作品を希望。