ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2008年07月

かめバスに乗ったとき、運転席にこんな張り紙があった。

『私たちは地球の環境と未来のため、アイドリングストップ宣言をします!』

・・・・・・・・・・。

おいおい、たかが停車の時エンジンを切る行為に、なぜそんな大仰なまくらことばが必要なのか。

最近の、マスコミなどのエコへの取り組みはなんだか狂信的だ。

エコにあらずんば人にあらずみたいな。

テレビやラジオで、話題が地球環境問題になると、思わずスイッチを切ってしまう。

地球環境やエコ活動を語る人の、いかにも上から目線の物言いや、
自分は立派なことを語っていると信じ込んでいる、呆けた顔を見たくないからだ。

人前では言えないから拙ブログで、ひっそりと叫ぶ。

「私はエコが大きらいだ―――!」

私自身は車に乗らず、なるべく歩いている。エアコンも一人の時はほとんどつけない。冬場も暖房はあまり使わないし、食品なども必要以上に買わない。

でもそれはエコのためではない。節約と自身の健康のためだ。

いつから日本人はこんな大仰な物言いをするようになったのだろう。

北極の白くまさんの未来なんて、知らないよ!

さて白くまといえば、私はアイス、「南国白くま」が大好きである(強引な展開)

かき氷のミルクかけに、パイナップル、みかん、あずきをのせたカップアイスだ(棒キャンディもあり)

その質素なたたずまいと、何ともたよりない甘さは郷愁を誘う。

ほこりっぽい田舎道で、歩きながら飲んだラムネ。川遊びで体が冷えた時、祖母が飲ませてくれたしょうが湯。香取線香の匂い。薄暗い蚊帳の中。

すべての記憶はたよりなく、そしてほんのり甘い。

クーラーのない部屋で、南国白クマをほお張りつつ、遠い夏の日に思いをはせながら、熱帯夜は更けていく・・・・。

南国

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日あつい。まるで終日ミストサウナに入っているようにあつい。

でも、文句ばかり言ってもしょうがないので、涼に出かける。

オフィーリア場所は市立美術館

今ここでは英国ビクトリア調絵画の巨匠、ジョン・エヴァレット・ミレイ展をやっているのだ。

実はミレイはあの有名な『オフィーリア』ぐらいしか知らなかったのだが、川面にただよう薄幸の美女に、思わず「涼」を感じてしまう私ってなんだろう。

まず最初、彼が10歳の時描いた『ギリシャ戦士の胸像』を観たのだが、そのデッサン力の高さに驚いた。
子供らしい自由奔放さや独創性を消し去った、老練した確かな筆致に、ミレイ5絵を志す人が見れば、必ずや背筋がゾッとするのではないだろうか。

そしてメインの『オフィーリア』

ボキャブラティがなくて申し訳ないが、ただひたすら清らかで美しい。

緻密に丁寧に描かれた草花、緑、流れるうたかた・・・・。
まるでこの世のものではない世界だ。

だが美しすぎて、恋人に父親を殺され、狂気の果てに死んでしまう哀れさがあまり感じられない。

ミレイ1もちろんミレイの絵はそんな生々しい画風ではないが。

『オフィーリア』は22歳の時の作品だから、もっと年を重ねていれば、また違ったものになっていたかも。

どの作品においても彼の絵は、繊細で清らかで、一種物語性をはらんでいる。
陳腐な表現だが、映画のワンシーンのようだ。

また、子供たちをモデルにした絵も多くあるが、これが可愛い。

ミレイ2まるでノーマン・ロックウエルにも通じるようなユーモアと愛情に満ち満ちている。

そして肖像画。

画像にはアップしていないが、お気に入りの一つが『ハントリー公爵夫人』

まだ年若い公爵夫人の、純心さと高慢さをあわせ持った凛としたたたずまいには、思わず「ハハー」とひれ伏したくなるような気高さがある。

ミレイ4清らかで繊細で、優しさにあふれた彼の絵は、とても日本人好みだと思うし、これから人気がでるのではないだろうか。

夏目漱石もお気に入りだったらしい。

とにかく、世俗の暑さを忘れた、美術館でのひと時であった。

ミレイ6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三国志」の中でも有名な「赤壁の戦い」をテーマにした中国映画『レッド・クリフ』の情報を知り、このさい予習も兼ねて、昔いい加減に読んでいた「三国志」を読み直している。ちなみに吉川英治版だ。

今六巻目だが、ちょっと気力がダレてきた。

何故ならお気に入りの武将、呉の周瑜が病死してしまったからだ。

周瑜は呉の孫策、孫権に使えた名武将で、眉目秀麗、歌舞音曲にも精通した風流人でもある。

魏の曹操との会戦「赤壁の戦い」では呉軍を勝利に導いたのだが、その後、劉備の軍師、諸葛孔明に自分の企てのことごとくを見破られ、翻弄され続け、最後は血を吐いて死んでしまう。

彼の死はまるで企業戦士の、ストレスによる過労死のようだ。

社長である孫権はまだ若く、思慮が足りず、第一マザコンだ。

同じ職場の仲間、魯粛は温厚で人はいいのだが、情が深すぎて詰めが甘い。

諸葛孔明と何度も交渉をするのだが、その度、相手の言いなりになりコロッと騙される。

まったく使えないオヤジなのだが、人徳のせいか何度失敗しても処罰を受けることも、殺されることなく、ましてやストレス死することもなく、順調に出世していくのだから皮肉なものだ。

そんな中、孤軍奮闘し、わずか36歳の若さで死んでしまう周瑜が不憫だ。

考えてみれば彼は、曹操や劉備といった、煮ても焼いても食えないオヤジを相手に必死に突っ張り、挫折した若手エリートというべきか。

さて、映画『レッド・クリフ』だが、その周瑜が主役だ。

「赤壁の戦い」という彼の人生一番輝いていた頃が舞台だが、その後まもなく病死するのだと思うと切ない。

予告編を観ると彼と諸葛孔明が仲良く語らっていたり、琴の競演をしているシーンがあるので、吉川版三国志とはまた違う、二人の友情が見られるかも知れない。

それにしてもこの邦題・・・『レッド・クリフ』・・・。

「レッド・スコーピオン」や「クリフ・ハンガー」みたいで、まるで大味のアクション映画みたいだ。

原題通り『赤壁』にすれば、普段映画に行かない、三国志好きの中高齢者も劇場に足を運ぶかもしれないのに。
そんなに中国の匂いを消したいのか。

大体、上映日だって、中国や香港、台湾、韓国は7月10日なのに、日本だけなぜか11月だ。

ハーフの金城くん

中国映画ファンの苦悩は続く。

 

 

 

 

囲碁や将棋をテーマにした映画は難しい。

そうした知識のない人たちが楽しめ、且つ素養のある観客をも満足させることは至難の業だからだ。

あえてその難しいテーマに取り組み、「囲碁の神様」と呼ばれた大天才、呉清源の激動の昭和を描いた中国映画、『呉清源〜極みの呉譜〜』のDVDを観た。監督は「青い凧」の田壮壮。

囲碁の知識のない自分でも楽しめるのだろうか、という最初の不安は、杞憂に終わった。

まず映像が美しい。

庭園の目に染み入る緑、広々とした草原、深い山々。

日本家屋やその室内の凛とした清らかさ、障子を通した柔らかな光、畳をする音、和服の女性の立ち居振る舞い、お茶をずずっと啜る音までもが美しい。

どんな小さなシーンでもそのまま切り取っておきたい、隅々まで行き届いた日本の美意識。

こんなに清らかで慎ましい日本の風景を、中国人の監督が描いたと思うと感慨深い。

だが白眉は、主人公の呉清源役、張震(チャン・チェン)の、たたずまいの静謐さだ。

碁盤を真剣に見つめる横顔、少し猫背でひたすら歩く姿、そしてお辞儀の折り目正しさ。

高原のサナトリウムや、古い日本家屋でたたずむ姿がこんなに似合う若い俳優が他にいるだろうか。

さて内容だが、呉清源が歩んだ半生が、淡々と描かれている。

そして私は、ひたすら碁に打ち込む姿を描いているのかと思っていたが違っていた。

鳥に翼があるように、彼にとって囲碁の才能は持って生まれたものだ。

呉清源にとって重要なのは、碁と真理の追求の二つである。

先走る頭脳がそうさせるのか、日中戦争が中国から帰化した日本人である彼のアイデンティティを傷つけたのか、戦中戦後の一時期、呉清源は新興宗教にはまり、碁を捨てる。

頭脳明晰な彼が、いかにも怪しげな宗教に救いを求める姿は痛々しく、その後、宗教の誤りと矛盾に苦しみ、自殺未遂まではかるのだ。

やがて立ち直り、再び碁の道を進むのだが、交通事故に遭ったのがきっかけに段々と力が衰えてくる・・・。

そして物語は静謐なまま終わりを迎える。

尚 呉清源と夫人は、小田原のご自宅で、今も元気でお暮らしだ。


呉清源 極みの棋譜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月になった。そして久々に梅雨の合間の 晴れ間である。

青空のもと、頬に当たる風も心地よい。

今日は一日。映画の日だ。

こんな天気にふさわしい、さわやかな映画を楽しみたいなと思いつつ、結局観たのは、

若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という何とも重く暗く、辛気臭い作品だった。

だが、辛気臭くはあるが、実に面白かった。3時間10分という時間の長さなど全く感じない。
出来ればあと2時間ぐらいあっても良いくらいだ。

あさま山荘事件と言えば、1972年だ。この年の冬は、よく覚えている。

まず2月初めに行われた札幌冬季オリンピック。
ジャンプ70メートル級では、笠谷選手らの活躍で、金銀銅独占で湧き立ち、日の丸飛行隊ともてはやされた。

そしてフィギュアスケートでのジャネット・リンの尻もち。

そんなオリンピックの興奮も冷めやらぬ頃、ニュースとして飛び込んできたのが、連合赤軍のあさま山荘籠城事件と、その後明らかになった仲間同士によるリンチ殺人事件だ。

あさま山荘へ当時私も、テレビや新聞のニュースに夢中になったものだが、印象に残っているのは、

1、壮絶なリンチのあった赤軍のアジトに生後3か月の女の赤ちゃんが残されていたこと。若い父親はリンチで殺され、母親はアジトから逃亡、仲間の女性が大事に世話をしていたらしい。
尚、当時赤ちゃんの映像と実名は大々的に放映されたが、その後、改名したらしい。お元気であれば、今36歳か・・・。

2、逮捕されたある女性の言葉、『仲間が集まっての楽しいアジト暮らしを期待して来たのに、こんなことになるなんて…』
おいおい、楽しいって、部活の合宿の延長じゃないんだから。

3、永田洋子のこと。
薬科大学時代、パセドー氏病に罹って、容貌が変わり、容姿にコンプレックスを持っていた。そのため仲間内で可愛い女性を主にリンチしていたなど。

そして「ソーカツ」「ジコヒハン」という名のリンチだ。

さて、肝心の映画の方だが、

おもに、3つのパートに分かれている。

まず最初は1960年の安保闘争から、連合赤軍誕生まで、闘争の流れを、ニュース映像などを交えながらドキュメンタリータッチに描く。

正直な話、ここでは学生らの活動が少し羨ましく思えた。

たしかに暴力的で講釈ばかりの青臭い奴らではあるが、革命を純粋に信ずる気持ち、仲間と共に目的に向かっていく高揚感は、今は絶えて味わえない、たとえようもない歓びだったのだろう。

だがその陶酔も束の間、物語は1971年の終り頃、山岳ベースでの共同生活に移る。

その頃、仲間の脱走が続発し、裏切りやタレこみを恐れた幹部は、疑心暗鬼に陥り、より厳しく仲間を締め付ける。

そこでの凄まじい総括(リンチ)。仲間のほんの些細なミスに付け込み、自己批判をさせ、やがて総括していく・・・。

映画では永田洋子がリーダー格の森恒夫に讒言を弄して、目立つ女性らをリンチに追い込んでいく様子が描かれている。真実はどうか知らない。

映画の中の永田洋子は、思っていたより魅力的だ。

冷酷な女性だが、時折見せる表情には可愛らしさも感じる。

彼女は幹部の坂口弘や森恒夫とも肉体関係がある。美人の女性に嫉妬してリンチ、なんて分かりやすいヒステリックな行動、するだろうか。

そして、仲間のみんなも、やられっぱなしじゃなしに、たかが女1人なのだから、団結して永田の暴走を止められなかったのだろうか。不思議だ。

それほど1人1人が疑い深くなっていたのか。

とにかくも陰惨で、壮絶なシーンばかりだ。

そしてラストのあさま山荘籠城。

ここで一転、再び彼らは革命戦士となる。

まるで悪夢から覚めたかのように、生き生きと行動し、山荘の管理人の女性にも紳士的に応対し、仲間5人、力を合わせ、警察らと立ち向かう。

だがそれはあだ花だった。そして学生運動の終焉でもある。

さて、団塊世代より一つ下の世代の人たちの事を、よくシラケ世代、三無主義と言うが、あんな無様で、醜い終焉を大々的に見せつけられたら、無気力になるのは当たり前だ。

やがて若者は、怒ることを忘れ、社会にもの言うことを止め、日々楽しく過ごす術だけを身につけた。

安保条約がある限り、政治にしろ外交にしろ、常にアメリカのご意見伺いをしなければいけないのだし。

結果それが良かったのかどうかは分からない。

今、そんなあさま山荘チルドレン(勝手に命名)が日本の中枢を担っている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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