ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2009年03月

横光利一の長編小説、『上海』は刺激的かつ官能的だ。

80年近く前に書かれたものなのに、簡潔でスピード感あふれた文章とスリリングな展開は、読者に一息入れる隙を与えない。

極めて映像的なシーンで描かれる上海は、まるで近未来SF映画『ブレードランナー』のようだ。

その魔界都市においては、あらゆる国籍の男や女、日本や欧米各国のサラリーマン、白系ロシア人、独立派のインド人、共産党のスパイ、売春婦などがあふれ、カオスの世界を作り上げている。

しかし、その混沌とした都市には、不思議な優しさがある。

はみ出し者や自国で食いっぱぐれた連中を包み込んでくれるこの街は、多少の腐臭はするが、あたたかい。

さて物語は、1925年、5・30事件の上海を背景に、列強ブルジョアジーとプロレタリア、ロシア革命の余波と共産党、各国の愛国主義といった闘争を描いたものだが、私はそんな社会的な事より、主人公で上海に住む日本人銀行員、参木に惹かれた。

この参木という男、とにかくモテルのだ。

出会う女出会う女、皆このやさぐれた日本のサラリーマンに惚れてしまう。
トルコ風呂の湯女お杉、そのトルコ風呂の女将で中国の豪商の妻お柳、外人の取巻きにいつも囲まれているダンサー宮子、白系ロシア人オルガ、美しい共産党の女闘士芳秋蘭・・・。

だが参木はいつもふわふわして、何の行動も起こさない。

友人の妹で人妻である競子に未練タラタラだったかと思えば、女共産党員芳秋蘭を追いかけたり、お柳の嫉妬を買ってトルコ風呂をくびとなり、売春婦に身を落としたお杉を想ったりと、1人彷徨している。

というか参木に係わった女は皆、不幸になっているようで、また彼自身も自殺願望なところがある。

また彼は他の外国人のように国を背負っているという意識が皆無で、これといった欲望も持ち合わせていない。

その根なし草のようなたたずまいが、逆に重荷を背負った女たちを惹きつけるのかもしれない。

作中の表現によると彼は「白皙明敏な中古代の勇士のような顔をしている」そうだが、どんな顔なんだ、見たいぞ。

さて、もし『上海』が映画化されるとしたら主人公参木は誰が良いだろう。

昔の俳優だったら『浮雲』の森雅之なんかぴったりかも。

そんな想像をめぐらすほど、映像が立ちのぼる小説なのでした。

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どうだー!アメリカの俳優、「ロバート・ダウニー・Jr」は、昔から好きだった。

俳優や芸能人にめったに夢中にならない私が、20年ほど前なぜか彼にはまり、作品を見まくったものだ。

まだ20代のロバートの出演作に有名なものはなく、小さくて目立たないが優れた青春ものの佳作が多かった。

劇場未公開のものも多く、ビデオ化されるのを心待ちにしたものだ。

でも10年ほど前、麻薬所持で逮捕されたのをきっかけに、日本であまり話題にならなくなり、私も申し訳ないが忘れていた。

そんなロバートだが、ここ最近復活して、今年はアカデミー助演賞候補にも選ばれた。えらかったね。

危機一髪さてそんなロバート・ダウニー・Jr主演の映画、『アイアンマン』を観た。

内容だが、アメリカ最大の軍需企業の若きCEOで億万長者のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)は、アフガニスタンを視察中、銃撃戦に巻き込まれ、重傷を負い拉致され、敵のアジトに連れて行かれる。

敵から新兵器の開発を要求され、命令に従うように見せかけて彼は、同じく拉致されていた医者の男と協力し、最強兵器パワードアーマー(モビルスーツみたいなもん?)を作り、やがてアイアンマンとして正義のために戦うのだった・・・・・・・・・・・。

できたー!・・・・劇中の中で、アフガニスタンの武装集団がいみじくも語っていたように、トニー・スタークこそが世界最大の殺戮者で死の商人の最たるものなのだ。

武器で巨万の富を得た男が正義の味方などちゃんちゃらおかしいとか、突っ込みどころは満載なのだが、まあそれはそれとして置いといて(考えていたらキリがないので)、この作品で目を引いたのは、「匠のわざ」「手仕事の心」だ。

若き天才CEOが医者の男と一緒に、砂漠の中の敵のアジト、荒涼とした薄暗い洞窟の中で、パワード・アーマーを作るその手際の良さ。

廃材を集め、その中でごく少量のレアメタルを見つけ素材にする。

モビルスーツ?ハンダゴテで溶接し、金槌を使い、その作業はまるで町工場か、あるいは鍛冶屋のようにアナログだ。

最初の方のトニーと若い無邪気な米兵との語らいのシーン、それと、このアジトでの手仕事シーンはまさに見ものだ。それ以外はおまけと言っても良い。

トニーも、マリブの豪邸で美女たちとのパーティーより、暗い洞窟で金槌を握っている方がずっと生き生きとし目が輝いている。

死の商人で、億万長者でありながら、憎めないオタク少年でもある、この矛盾した主人公を、ロバート・ダウニー・Jrは見事に表現している。

ものづくりの心がある限り、この若きCEOは困難を乗り越えてゆくだろう。

そしていまの日本。

百年に一度の大不況と言われているが、怖いことはないのだ。

日本は元々資源のない国だが、ものづくりの心は残っている。

その魂を忘れなければ、必ず乗り超えてゆけるはずだ。

アメコミの映画を見ながら、なぜか日本に対して明るい展望を感じたのであった。

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中国清末期の時代を描いた、浅田次郎の長編小説『蒼穹の昴』全4巻を読み終えたのだが、いまいち肩すかしをくらったような感じだ。

物語自身は大変面白かった。数々の登場人物は、それぞれキャラが立っていてつい感情移入してしまうし、達者な筆致に乗せられ涙ぐむ場面も多かった。

特に、宦官の長となった春児の妹、玲玲と、後に戊戌の政変によって命を散らしてしまう不器用な青年、譚嗣同との悲恋など、涙に暮れたものだ。

西太后をとても魅力的な女性として描いているのも新鮮だったし、李鴻章将軍が、清末期においてこれだけ重要な人物だったというのも初めて知った。

けれども・・・。物語は戊戌の政変の後、若き光緒帝が幽閉され、西太后が再び権力を握ったところで終わる。

こんな中途半端なところで終わってしまうなんて。

読者はもうすぐ西太后が死に、清が滅びることを知っている。

清朝改革に失敗し、日本や英国に逃亡した文秀やその仲間らはどうなるのか。春児はこれからも宮仕えを続けるのか。そして彼の妹は?登場人物それぞれが宙に浮いたような感じなのだ。

たぶん続編の『中原の虹』を読めば解決するのだろうが、なんかスッキリしない。やはり『蒼穹の昴』の中で完結してほしかった。

ところで気になるのが紫禁城に住まう、おびただしい数の宦官たちだ。

近い将来、城を追放されるだろう彼らは、その異形の身体で生きていなねばならない。

だが彼らは強い。

皇帝を自在に操り、実権を握り、政治を動かした宦官も多い。

話は変わるが、いわゆる『オカマ』と呼ばれる人たちについて、「彼らは女性の持つ細やかさと男性の持つ経営能力を兼ね備えている。ゆえに事業家に向いている」と聞いたことがある。

確かにIKKOさんや仮屋崎先生なんか実業家としても成功しているし、映画監督、芸術家などもそういう人が多い。

成長期に去勢した宦官たちも、そんな優れた能力を期せずして持ち得たのだろう。
世間知らずの皇帝をたぶらかすことなど赤子の手をひねるようなものだったに違いない。

でもそれを許した清の時代は終焉を迎え、科挙、宦官、纏足という中国の3大裏発明も終わりを告げる。

それにしても罪なものを発明したものだ・・・・・。

蒼穹の昴(4) (講談社文庫)
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以前拙ブログで紹介した映画、『イントゥ・ザ・ワイルド』の原作、ジョン・クラカワー著のノンフィクション『荒野へ』を読んだ。

著者自身、かなり有名な登山家ということで同じ冒険者としての目線から、映画で疑問に感じたことが明らかにされるかなと期待していたが、読後、謎は深まるばかりだ。

ユタ州まず、なぜ頭の良い裕福な青年クリスが、ろくな準備もせずに無謀な冒険の旅に出たのか。

そして、旅で出会った多くの人々を魅了し愛されたクリスが、なぜ不仲だったとは云え、自分の両親には一言の連絡もせず、大いなる苦しみを与えたのか。

本を読んでみると、クリスの家庭環境は決して悪くはない。

確かに父親は再婚で腹違いの兄弟たちもおり、性格も短気で高圧的だだが、よく考えるとどうということもない。

離婚・再婚は特にアメリカでは珍しくないし、威圧的な父親に反感を持つことだって、大抵の男の子は経験しているはずだ。

父親は貧しい家の出で、苦学して大学を卒業し、NASAの研究者となり、その後独立して事業を成功させている。

クリス一家はよく家族旅行に出かけているし、父と息子は一緒に徒歩旅行に行くのが恒例になっていた。

また家では父と息子が楽器演奏をしたりと、私の眼からみると幸せな家庭に見えるのだが、その内実はもちろん分からない。

ただ一つ分かることは、クリスは冒険家ではないことだ。

本当の冒険家なら準備万端整えて、旅に出るはずだ。

彼は能力的にも経済的にもそれが出来るはずだったのに敢えて放棄した。

クリスは賭けていたのではないだろうか。

木鬱々とした感情、父への反感や社会の怒りなどから気持ちを解放すために、わざと身一つで大自然に向かっていったのだ。

そして極寒の地アラスカで、土地の与えてくれるものだけで生きていこうとする。

そこでコテンパンに大自然にやられてしまえば、そこで自分の人生を甘受し素直に尻尾をまいて、普通の社会生活に戻るつもりだったのでは。

彼の残したメモの中にも、帰ろうとしたがアクシデントで出来なかったとのくだりがある。

賭けは最悪の結果を迎えたが、彼は後悔はしていないだろう。

そして賭けをしなかった一読者は、彼の足跡を活字で追いながら、その生きざま、死にざまに、ただただ羨望するのみだ。

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前回映画『イントゥ・ザ・ワイルド』を紹介し、家族を捨て、たった一人で放浪の旅に出た若者クリスの、壮絶な生き方死にざまに感動したと書いたが、これが親の立場となると、たまったものではないだろう。

誰この子?大学を卒業してようと20歳を超えていようと、父母にとっては子供は子供。
彼が居なくなった2年間、心配で眠れぬ夜を過ごしたであろうし、死を知らされた時の悲嘆はいかばかりだったろうか。

私はクリスの行為を肯定するものであるが、両親の悲しみも切実に伝わってくる。無責任な言い方だが、親というものは労多く報われない宿命なのかもしれない。

さて、クリスの親の場合は2年間息子を案じ続けてきたが、これが一生続くこととなったらどうだろうか・・・・・。

チェンジリング』という映画を観た。監督はクリント・イーストウッド。主演はアンジェリーナ・ジョリー。

これは1920年代、アメリカ、ロサンゼルスで実際起こった9歳の少年の失踪事件とロス警察の保身のための恐るべきねつ造、それに少年の猟奇殺人事件を絡ませたものだ。

息子はどこにシングルマザークリスティンの、9歳になる息子ウォルターがある日突然、失踪したことから物語は始まる。

約半年後、息子が発見されたとの警察の連絡があり、大喜びで出迎えるも、そこにいるには息子ではない、見ず知らずの少年であった。

でも警察は執拗に、彼は息子だと主張し、クリスティンが、歯科医や学校の教師らの証言を集め、人違いだと告発しようとしたとき、警察によって、彼女は強制的に精神病院に送られるのだ・・・・・。

孤独の中で彼女は戦い、やがて協力者も得、腐った警察権力と闘う。だがその間も、彼女の脳裏にあるのは、息子の安否だけだった。

いやぁ、見ごたえのある映画だった。

クリント・イーストウッドの映像は暗いが、光と影の陰影が美しい。カラーでありながらモノクロのレトロな雰囲気を醸し出す。

暗いざらついた映像の中で、なぜかアンジェリーナ・ジョリー演ずるクりんティンの唇だけが赤く、なまめかしい。

彼女だけが生きていて、まるで他はドキュメンタリー映像のような印象さえ受ける。

次々と襲いかかる不条理に敢然と立ち向かうクリスティン。

だが、クリント・イーストウッドは、最後まで母親に安らぎを与えない。

ラストのある事実がなかったら、彼女は人生に折り合いをつけ、良き理解者だった職場の上司と結婚して、それなりに安らかな生活が出来たかもしれない(一生心が晴れることはないだろうが)

「希望」というものは時に残酷なものだ。その「希望」にすがり、彼女は生涯生きていくことになる。

それは彼女だけではない。

私がまず思い出すのは、日本の拉致被害者のご家族の方々だ。

「希望」を持ち続けるというのは、つらい茨の道を歩き続けるということなのだから。

あの子をさがしに

 

 

 

 

 

 

その青年の事件を知ったのは数年前、英会話教室のテキストに載っていた物語からだ。

アメリカ東部の大学を最優秀の成績で卒業した若者が突然、お金もクレジットカードも車も捨て、家族や友人に何も告げずに放浪の旅に出た。

コロラドの激流2年後、彼はアラスカにいた。過酷な大自然の中でたった1人、獲物を捕り、植物を食していたが、間違えて毒入りのじゃが芋を食べたことで衰弱し、餓死してしまう。

当時私を含めた英会話の生徒たちや教師は、彼の行為に、「愚かだ」「大自然をなめていた」「勝手すぎる」などの否定的な感想を持ったものだ。

だから、その若者の実話が、ショーン・ペンによって映画化されたと知った時は、ちょっとびっくりした。

イン・トゥ・ザ・ワイルド』という映画がそれである。

なぜ前途有望な若者は、24歳の若さでアラスカの荒野で1人、餓死しショーン・ペン監督と主人公てしまったのか・・・。

観終わった後思った。数年前おざなりなテキストの文章を読んだだけで彼を『愚か』だと決めつけた自分こそ『愚か者』なのだと。

この若者クリスこそ、私の理想の生き方であり死に方だ。

私も出来ることなら、彼のように大自然の中を生き抜き、真理を求め、大自然の中で死にたかった。

さて、クリスは優秀で純粋な若者だが、決して浮世離れした修行僧のような男ではない。

旅で知り合った荒くれ者やヒッピーたち、若者や孤独な老人、様々な人と出会い、楽しく語らい、一時の幸せを彼らに与えていった。

本物のクリスただクリスはあまりに考え過ぎるきらいがある。

そして、突出し過ぎる精神のバランスをとるように、あえて肉体を厳しい大自然にさらしていく。

なぜ、考え過ぎるのだろうか。

幼い頃から彼と妹は、いがみ合い罵り合う両親を目の当たりに見て育ってきた。

親への不信感は根強く、放浪の旅に出ても、その呪縛が彼を苦しめるのだ。

ここで多くの人は思うだろう。

「両親は一生懸命働いておまえを育て、大学まで出させてくれた。生活のため喧嘩することもあるだろうがそれがなんだ。大学を卒業したくせにまだ根に持っているのか。大人になれ!」と。

確かにそうなのだが、親に対して愛したくても愛せないと状況いうのは辛いものだ。

そして純粋な彼は「仲の良いふり」をすることが出来ないのだ。

その発散出来なかった愛を、彼は旅先で出会う人たちに与え続けたのだろうか。

そして・・・・、人生最後の時、アラスカの青空を見つめながら、クリスは真理を知り、両親を受け入れたのだと信じたい。旅と人生

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS、クリスが誤って食べたのは毒入りのじゃが芋ではなくて、スイートピーの根(毒がある)だそうだ。ワイルドポテト(食べられる)とよく似ているので間違えたらしい。

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