ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2009年11月

11月27日(金)、映画『THIS IS IT』は終わった。

最終日のレイトに行ったら、いつもより大きいハコなのに客で満席。
そしてエンドロールになっても誰も席を立たず、終わった途端、一斉の拍手。
映画館で拍手なんて、大人になって初めての体験だし、第一シャイで無愛想な地元市民の気質を考えると、これは驚きだ。

まったくこの一カ月、マイケルのおかげで幸せな日々だった。

映画を観る以外にも、昔の彼の曲を聴き直して新たな発見をしたり、ダンスパフォーマンスの動画を観て、その完成度の高さに驚いたり。

デンジャラスマイケルが一番苦しかっただろう時期、まったく気にも留めていなかった薄情な私にさえ、死後、こんな素敵なプレゼントをくれるなんて。

少女趣味の感想と笑われてもいい、マイケルは天使だ。

そしてこの天使は、カッコイイ、美しいだけではない、隙のある、等身大の姿も見せてくれる。

まずダンサーのオーデションのシーンでのマイケル、老眼鏡(!)してる、まぁ50歳だからねぇ。

ヒストリーツァーそして『BEAT IT』、マイケルが対立して喧嘩している不良グループを仲裁するシーンで、ダンサーたちが喧嘩に夢中になってマイケルを忘れたため中に入れず、途方にくれている姿とか、『ブラック&ホワイト』で間奏に黒人のラッパーが出てきた時、最後一緒にポーズを取るつもりがワンテンポずれてしまったとか、他にも足が滑りそうになるのもあったし・・・・(ていうか、あら探しかよ)

だが、そのすべてが今は愛おしい。

天国のマイケルは、『THIS IS IT』が世界で愛されていることについて、喜んでいるだろうか、それとも完璧主義の彼の事、『こんなゆるい姿を世界中のお客さんに見せるなんて―。本当は、もっと上手なのに―。』と、あのか細い声で遠慮がちに抗議しているだろうか。

バッドツァー

 

 

 

 

 

 

 

 

バッドツァー11月もあと一週間ほど。

今月はやりたいこと盛りだくさんのはずだった。
読みたい本もたくさんあったし、デッサンの勉強に精を出し、小旅行にも行こうと思っていた。

なのに・・・・映画『THIS IS IT』を見た途端、全てが吹っ飛んでしまったのだ・・・。

消えかけていたマイケル・ジャクソンへの残り火が再び燃え盛り、自分でも収拾がつかないほどだ。

彼の音楽がこんなに好きだったのに、なぜ私は応援をし続けなかったのだろうか。

ファンの方のHPやブログを読むと、彼が世間の誹謗中傷のさ中にあっても、変わらぬサポートを続けていた人が多いのに・・・。

思うに真のマイケルのファンは、知性的な人が多いようだ(私は似非ファンだが)。

ビリー・ジーン裁判、児童虐待疑惑、肌の色など様々なゴシップに対し、決して感情的にならず、しっかりとした証拠を集め、理性的な筆致で持論を述べているあたり、ただただ頭が下がる。

さて今更マイケルの楽曲をヘビーローテーションで聴きこみ、様々なダンスパフォーマンスを観て思うのは、良い時代になったなぁということだ。

私がマイケルに夢中になり初めの頃は、インターネットはおろかビデオの普及にもまだ遠い時代だった。
だからレコード(その後CD登場)かダビングしたカセットテープを聴くかしかない。それかディスコに行くか(!)。

マイケルのダンスは凄い!と噂で聞いても、それが見られるのは、TVの深夜の音楽番組でたまに映像が流れた時くらいだ。

スムクリ今はネットで簡単に彼の超絶ダンスパフォーマンスを堪能することが出来るのだから、色々弊害はあっても、幸せな時代だと思う。

さてマイケルは、モンスター的ヒット『スリラー』など素晴らしいアルバムをたくさん残しているが、私が一番思い入れが深いのは、やはり『オフ・ザ・ウォール』だ。

1979年マイケルが21歳になる年に作られたソロアルバムだが、その完成度の高さには驚かされる。
当時はディスコサウンドと呼ばれ、平成の若者には“昭和歌謡”と同じくらい死語かもしれないが、疾走感、リズム感(グル―ヴ感ていうんですかぁ)そして美しいメロディ、
今聴いても新鮮だ。

現在のように作り込んでいない分シンプルで、それゆえにクォリティーの高さが際立つ。

ポール・マッカートニーやスピーディー・ワンダーも楽曲を提供しており、ラリー・カールトン、ルイス・ジョンソンなどそうそうたるメンバーをバックに、マイケルのベルベットボイスが美しく花開く。

ソウル、R&B、ポップス、そしてバラード、どれもが珠玉の名作だ。

ふと、もしマイケルがずっとこの路線だったら・・・と、考える事がある。
実際の彼は『スリラー』以降、どんどん進化していって、その急激なハイパー化に付いて行けなかったのも、私が彼の音楽と疎遠になった原因の一つかもしれない。

さてアルバム『オフ・ザ・ウォール』のジャケットには、まだ幼さの残るマイケルが黒いタキシードを着て笑っている。
憧れのクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え、人から歌わされるのではなく、自分の意志で初めて作ったソロアルバムだ。

これからの長い人生、未来への夢と希望にあふれた21歳の若者の笑顔がそこにある。

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美しさ無限大マイケル・ジャクソンの映画『THIS IS IT』も、鑑賞4回目となると、現金なもので物足りなさを感じるようになった。

それはそうだろう、これはあくまでライブのリハーサル映像を編集したものなのだから。ボルト選手の練習風景よりも、実際の100メートル決勝を見たいのと同じだ。

でもそれが叶わぬ夢であれば、せめて輝いている彼の姿をこの目に焼き付けたい。

さて、私は今までマイケルに対して生身の男の色気というか、エロティックさを感じたことがなかった。
股間鷲づかみパフォーマンスにしても、いやらしさを微塵も感じさせないのは、彼の人徳かそれとも、あまりにハイパー化されたキャラのせいか。

華のある男だがこの『THIS IS IT』のマイケルは違う。なぜか“男”を感じるのだ。
それは特に女性と絡むシーンで顕著だ。

たとえば『The way you make me feel』という曲の中で、マイケルは通りすがりの美女にからむパフォーマンスをするのだが、その時の彼が妙にエロチックで、ちょい悪オヤジ全開といった風情なのだ。
女性ダンサーの太ももにさわったり後ろからそっと抱きしめる仕草も生々しく、当たり前だが、ああマイケルも熟年男なんだよな・・・・としみじみ感じ、なぜか嬉しかった。

それと前回も書いた『キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』のシーン。
マイケルは女性ボーカリストに熱心に指導するあまり、抱きしめたり胸に触りそうになって、思わず見てる方はひやひやした。

彼の愛情の表れなのだが、逆にその愛情過多が、あらぬ噂や誤解を招いたのかなと思うとなんとも切ない。

全体的に、マイケルは男性への指導は淡白だが、女性に対してはとても極め細やかに対応しているようだが、やはり熟年男だから?

今までのハイパー化した中性的なマイケルも好きだけど、熟年エロオヤジ路線のマイケルも見たかったなぁ・・・・。

リーダーは僕さ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

佐々木譲著『笑う警官』が映画化された。
原作は面白かったし、主演の大森南朋クンは大好きな俳優なのだが、監督が“角川春樹”ということで、今回は見送ることにした。
監督は他にもいるだろうに、よりによって何故ハルキなんだー。

喝采は永遠に・・・そんな訳で、『THIS IS IT』に再び、せっせと足を運ぶ。

今回は、大人としてのマイケル、50歳、働き盛りの男の仕事ぶりを見つめてみた。

さて、マイケルというと、「ネバーランド」などで分かるように、大人に成り切れない、子供の心を持ち続けた男、というイメージがある。

ある女性のインタビューでも『マイケルは子供時代は誰よりも大人で、大人になると、子供に戻りたがっていた』というのがあって、思わず「なるほど」と感心したが、こと仕事に限っては、さすがと思わせる働きぶりで、職歴40年以上のキャリアは伊達じゃない。

マイケルはこの『THIS IS IT』の中では、歌もダンスも軽く流していカーテンコールは鳴りやまずる。
リハーサルというのもあるのだが、彼には自分のパフォーマンスの他に、バックダンサーやコーラス、ミュージシャン、スタッフへの指示や指導、音や舞台のチェックなど重要な仕事も負っているからだ。

彼の指導ぶりは、変な言い方だが、三味線の師匠が口三味線で、弟子に伝えているようだ(と言っても三味線習ったことないが)。

元々口下手で右脳人間と思われるマイケルは、理路整然と部下を説得させるのは苦手なようだが、身振り手振り体を使い、辛抱強く、「分からせる」のではなく「感じてもらおう」と努力している。

例えば「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー』という曲のリハーサル中、デュエットの女性ボーカルに元気がなく、声に張りが感じられない。

マイケルは、すかさず彼女を呼び寄せ、彼女を見つめ表情豊かに、時にジェスチャーもまじえ、歌い上げる。

ハートを狙い撃ちすると固かった彼女の表情に笑顔があふれ、彼に合せるように、美しいハーモニーを奏でるのだ。

曲が終わった後、マイケルの『今、のどのウォーミングアップ中だから、本気で歌いたくなかったのに―。」という愚痴とも照れ隠しともとれるぼやきに、舞台監督がすかさず『ノリノリで歌ってたくせに―。」と返すあたり、ああ良い空気だなと思った。

そして「ビリー・ジーン」のリハーサルのシーン。
マイケルがダンスを軽く流していると、舞台下で見ていたバックダンサーたちが、何とブーイングをしてるのだ
「流さないでマジでやってよー。」みたいな。

やがてマイケルがノリノリで腰を振りだすと、バックダンサーたち大はしゃぎでやんやの大喝采。

この上司と部下の関係、いいな。

管理職としてのマイケルは、ちょっと口下手だけど、部下思いで、誠実な、可愛いオジサンでした。

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マイケルへの贖罪のため、『THIS IS IT』を出来うる限り見続けようと決心したにもかかわらず、まだ2回しか映画館に足を運んでいない。
しかも、どちらも1000円の割引デー、ああなんてセコイんだ。

もう君はいないけどでも優しいマイケルだから、きっと笑って赦してくれるだろう。

2回目はさすがに、初回の時のような号泣はないだろうと思っていたのに、冒頭の涙目のバックダンサーたちのインタビューに、再び涙腺崩壊。だめだこりゃ。

今回は特に、マイケルの優しさに思いを寄せる。

まず懐かしきジャクソン5の頃の楽曲をやっている時、イヤモニターをおもろに外し、「イヤモニだと聞き取りづらい」「慣れようとしてるけど、耳にこぶしを突っ込まれているようだ」「自分の耳で聞くように育てられたから」と、スタッフに訴える。
でも彼はこうも言う。「怒ってるんじゃないよ、“愛”なんだ」

僕がそばにいるからギターソロの場面で、若い女性ギタリストに、「君の見せ場だ」「一番高い音を」と叱咤激励し、「僕がついてるから」とささやく。

ああ、こんな可愛いそして優しい50男が世界中のどこにいるだろうか。

誰よりも地球環境を心配し、4年で環境破壊を止めるとか言ってたマイケル、地球より前に自分の体の心配しろよ!

そして、あらためてマイケルのダンス。
筋肉隆々の若いバックダンサーと比べても引けを取らない。
つか、明らかに次元が違う。

動きに無駄がなく、ステージを横切るだけでも絵になる。
こういうのを日本では“粋”というが、アメリカではどうだろう。

ああ夢半ばで、無念の死を迎えたマイケル。

この映画で、少しでも彼の名誉が回復しますように。

未知の領域に連れて行こう

 

 

 

 

 

 

 

 

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マイケル・ジャクソンの、幻のロンドン公演の リハーサルを収録したドキュメンタリー、『THIS IS IT』を観た。

2時間近い上映中、泣きっぱなしだった。
一緒に見た友人も、目を真っ赤にして泣きはらしている。

マイケル極東の田舎の映画館で、ババァが二人、泣きじゃくっていた事など、天国のマイケルは知らないだろう。

まず冒頭の、オーディションに受かったダンサーたちの、「マイケルと同じ舞台に立てるなんて夢のよう」と興奮しきったインタビュー映像で、うるうるし、その後、彼の完璧すぎるパフォーマンスに涙腺崩壊してしまった。

ああマイケルに謝りたい。

マスコミのくだらない報道に踊らされ、「彼は壊れてしまった」だの「ロンドン公演で醜態をさらさなくて良かったかも」など、神をも恐れる暴言を吐いてしまったことを・・・・。できるなら土下座をして許しを乞いたい。

彼のボーカルもダンスも健在だ。
自分の息子、娘のような年齢の実力派ダンサーたちを従え、昔とほぼ変わらないパフォーマンスを見せる。これは奇跡に近い。

50歳の彼は、そのために、どれだけ血のにじむような努力を続けたことだろう。

一生忘れない才能と努力、そして音楽や舞台に対する熱い思い、この三つがなければ成し遂げられなかったはずだ。

さて、リハーサルの間、彼はしょっちゅうダンサーやミュージシャン、スタッフに指示出し、ダメ出しをする。

その妥協のなさ、細やかさは、まるで黒沢明監督のようだが、しゃべり方は少女のように、か細く弱く、甘えん坊みたいだ。

そして憧れのマイケル・ジャクソンと一緒に仕事が出来ることに、大きな喜びを見出し、観客に最高のパフォーマンスを見せるため一丸となって頑張るダンサーやスタッフたち。

彼らの笑顔がとても切ない。

ああ、この『THIS IS IT』が単なる特典映像で『マイケル・ジャクソン・復活!ロンドン公演』が本編だったら・・・・と、詮ないことを考えつつ、彼のCDを聴きつつ、今も涙ぐんでいます。

君は天才だ

 

 

 

 

 

 

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