白洲正子のエッセイ『両性具有の美』を読んだ。いやぁ楽しかった。
元々この人の文章は好きなのだ。妙なてらいがなく、ざくざくと核心を突いてくる所が気持ち良い。
以前も『白洲正子自伝』の中で、柳原白蓮の事を、「世間見ずのわがままなお姫さま」と非難していたが、思わず「世間見ずのわがままなお姫さまって、あんたのことやろー!!」と、突っ込みを入れたくなったが、そこがまた妙に憎めないんだなぁ。
さて、『両性具有の美』との表題だが、「女性」は見事なまでにスルー。「男色」の歴史、ホモセクシャル、美少年礼賛、といった具合で、女子には嬉しい一冊である。
まずは西洋、そして日本のヤマトタケル、源氏物語、西行、世阿弥、南方熊楠などが結んだ、性差を超えた愛を語っている。
ここで語られる「両性具有」とは、単なるオカマやホモではない、もっと深いもの、人間が男女に分かれる以前のかたちらしい。
あまりに完全無欠であったがために神様から男女の二つに引裂かれてしまったもの、具体的には10代の男の子たち。
この年頃の少年の、時に浮世離れした美しさにはドキリとするが、花の命ならぬ美少年の命は短い。
その儚さが、また物のあわれを感じるのだが、世の中にはその美しさを持ち続けている人もいる。でも彼らは女なぞ相手にしない。
「完全無欠」であるがゆえ、下世話な男女の性愛など求めず、彼らは性を超えたもっと高みを望んでいる。
そして孤高であるがゆえの、居心地の悪そうな憂いを含んだ表情や、たたずまいが、ますまず周りの人を男女問わず魅了するのだ。
この本の中にも出てくるが、昨年ブームになった興福寺の『阿修羅像』など、正しくそんな感じ。
さぁ、正子と一緒に美少年探しの旅に出よう・・・?