ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2010年03月

サンセット最近「死」についてよく考える。
どんな最期を迎えるのか想像するのは楽しい。

これまでの人生がままならないものだったので、せめて「死」だけは自分の理想的なものでありたいと願うが、これまた難しい。

何より「死の恐怖」に打ち勝つ事が出来るかが問題だ。
突発的な事故以外は、死はジワリジワリとやってくる。

「恐怖」を乗り越え、穏やかに死を迎えられる瞬間が果たして自分に訪れるだろうか。

さて、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』というドイツ映画のDVDを観た。

内容は、
病院で同室となったマーチンとルディは、それぞれ骨肉腫と脳腫瘍を患った末期の患者だ。

おとなしそうな青年ルディの「海を見た事がない」という言葉に、ヤンチャな男マーチンが反応、やがて意気投合し、二人して病室を抜け出し、ベンツを盗み、まっしぐらに海に向かうはず・・・・・だった。

だがその盗んだベンツはギャングのもので、しかもトランクには大金がはいっており、途中やむなく強盗を犯した二人の末期患者は、ギャングと警察両方に追われながらも海に向かうのだった・・・・。

いやぁ面白かった、素晴らしいロードムービーだ。

徹頭徹尾、無駄のないスタイリッシュな映像、登場人物全てに味があり、科白の一つ一つが小気味よく、ビターなユーモアに溢れている。

ややタランティーノぽかったりするが彼ほど調子に乗ったりはしない。
そして音楽のセンスも渋い。

映画の長さも90分とコンパクトで、テンポの良い展開とユーモアに、くすっと笑ったり、しんみりしてるうちにラストを迎える。

何より良いなと思うのは、二人の末期患者の青年について、その素性やどんな人生を送っていたのか一切言及していない点だ。
家族がいるのか、結婚しているのかも分からない。

そして病気を恨んでいないこと。

彼らの心はただ「海を見る」の一点に収斂している。

だがその目的を果たしてしまったら。

「死の恐怖」を「海を見る」ということに置き換えていた彼らは、目的を果たした後、どうなってしまうのだろうか・・・・・。

そして迎えたラストの何とも深遠で、かつ清々しいこと。うらやましい。

とりあえず、持つべきものは運転免許証と友達ですね。

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア デジタルニューマスター [DVD]
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朝焼け 本を選ぶための指針として読んだ、米原万里著『打ちのめされるようなすごい本』に、すっかり打ちのめされてしまった。

まず、速読の凄さである。
数十年にわたり、平均1日7冊を読んでいたという。
豊富な読書量に裏打ちされた幅広い教養と、ロシア語同時通訳の第一人者としての経験を持つ彼女の読書日記と書評は、とにかくすごみと迫力があり、ジャンルの広さ、咀嚼能力には、これが同じ人間かと茫然としてしまうほどで、しかも文章がシンプルで面白いのだ。

うかうかしていると、この本で紹介されている作品すべて読みたくなりそうで、著者と違い7日に1冊読むのがやっとの自分は、選択に迷ってしまう。

さて、そんなスーパーレディな米原氏だが、ご存じのように4年前、癌で亡くなっている。

そしてこの作品の中に、癌の闘病記が載せてあるのだが、何とも胸が痛くなる内容なのだ。

癌を宣告された日から、知識欲の強い彼女は当然、癌関連の著書をむさぼり読むのだが、中にはいわゆる民間療法とされるのもある。

そして、それら民間療法も果敢に試してみるのだが、真摯な彼女は、治療法や効果に疑問を感じると、黙ってはいられず、医師に問いただす。

その理路整然とした質問が、医師には気に入らないらしく
「貴女にはむかない治療法だから、もう来るな。払った費用は全額返す」「いちいちこちらの治療にいちゃもんつける患者は初めてだ。治療費全額返すから、もう来るな」と言われてしまう。
そして、その1、2ヵ月後に、彼女は55歳の若さで逝ってしまうのだ。

わらをも掴む気持ちで挑んだであろう民間療法だったが、既に病状が進行していた彼女には何の役にも立たず、ストレスだけが残った訳だ。

聡明な彼女のこと、それらの治療法のうさん臭さは重々知っていただろうが、それでも試さずには居られなかった心境を思うと、何ともやり切れなく切ない。

しかし、死の直前まで、冷静な筆致で(もちろん心のうちは凄まじい葛藤があったろうが)癌闘病記を書き続けたその精神の強さに、心から拍手をおくりたい。

打ちのめされるようなすごい本
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