ある活字中毒者の日記

       神は細部に宿る

2011年02月

このたび芥川賞を受賞した西村賢太著『苦役列車』を読んだ。

著者に関しては、中卒で逮捕歴アリとか、長年日雇労働をしていたなどが話題になっているが、ページをめくるや、たちまち夢中になってしまった。

とにかく面白いのだ。

大体「私小説」というのは、これまで辛気臭いものが多かったのだが(車谷長吉氏などは別として)、この人の筆致にはぐいぐい引き込まれる吸引力というか魅力がある。

悲惨でダメダメな日常を描きながらも、どこかユーモアがあり、カラッとしている所なぞは、町田康をリアルにした感じか。

陰鬱で猥雑な描写も、文章の湿度が低いせいか、ドロドロしておらず、清潔感さえ感じられるのだ。

著者はインタビューで、自分は恋人はおろか友人も一人もいないと語っていたが、変に人交りをしていないせいだろう、とても格調高い日本語を使っていると思う。

また選評で山田詠美嬢が述べていたように、やさぐれた描写をしながらも、「おれ」ではなく「ぼく」、「刺身」ではなく「お刺身」と表わすなど、あまりにも可愛すぎる。

この愛すべきろくでなしには、結婚とか小市民的な幸福など望まず、ぜひダメ人生をまっとうしてもらいたいものだ。

苦役列車苦役列車
著者:西村 賢太
新潮社(2011-01-26)
販売元:Amazon.co.jp
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フェイスブック今の世の中、好むと好まざるにかかわらず、インターネットが情報の主流になっている。
よって、それを拒むのは、火を怖がる北京原人か文字を知らない縄文人のようなもので、ガラバゴス諸島の絶滅危惧種になりたくなければ、ネットを使いこなさねばならない。

だが、もの心がついた頃からPCがあった世代と違い、脳が出来上がった中年以降から始めた私には、アナログとデジタルの切り替えがうまくいかず、いまだに孤軍奮闘しているのだ。

さて、『ソーシャル・ネットワーク』という映画を観た。

あらすじは、gooより、

マーク・ザッカーバーグは、友人のエドゥアルドにサーバ費用などを提供してもらい、ハーバードの学生だけが使える“ザ・フェイスブック”を作る。ザ・フェイスブックはすぐに多くの会員を獲得し、ハーバード大生以外にも人気を広げていた。しかしマークは、「アイデアを盗用された」と訴えられる。そして、サイトが大きくなり、マークが“ナップスター”の創始者に心酔するようになると、親友のエドゥアルドもマークから離れて行く…。

会話大変刺激的な作品だった。
まず主人公のマークだが異常にしゃべるのが早く、ついて行くのに必死だった。それだけ彼の脳が超高速で回転しているのだろう。

そして彼は、空気を読むとか、曖昧にするということが出来ない。

ガールフレンドとの会話でも、矛盾や疑問点があれば問い詰めずにはいられない。聞き流すということができないのだ。

当然彼女にはうざがられ、振られてしまい、その腹いせに、女子大生を比較するサイトを立ち上げたりとか。

なんとも未熟な男なのだが、でも不思議と憎めないのだ。

それは彼が頭脳明晰でありながら、恋心とか嫉妬(友人が有名な「クラブ」に入会したとか)とか情緒的なものに弱く、いかにも不器用だからだ。

そしてマーク以外に気になったのが、彼の親友のエドゥアルド。

変わり者マークの親友というだけでも奇特な人なのに、思いやりのある常識人である。

だがその常識人であることがネックになって、マークの間に亀裂を生じ、やがて親友を訴訟しなければならない事態に発展するのがなんとも皮肉だ。

若き才能物語は、facebookで大成功するまでの過程と、裁判で訴えられるシーンがを交互に描いているが、裁判の結果は別に重要ではない。

とにかく、この賢い若者たちの会話や行動を観て、妙に気持ちが高揚し、早くマダガスカル諸島から脱出しようと決心したのだったが、ところで、フェイスブックって結局なんでしょう。ソーシャル・ネットワーク (デビッド・フィンチャー 監督) [DVD]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 


 

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