0380先日、一年ぶりに薄物の夏の着物で、お茶の稽古に行った。素材は夏大島もどき、柔らかい透けた感じのブルーで、見た目は涼しそう。

でも実際着たら暑いのでは、と心配だったが、さにあらず、風の強いせいもあったが涼しく過ごせた。

着物はその構造上、開口部が多い。袖口、身八つ口(脇の下)、裾から良い風が入るのだ。そして思ったのだが、今地球温暖化防止やクール・ビスなど色々言われているにも関わらず、車内や屋内はどこも冷房が効いている。

クーラーのある部屋に長くいると、体がだるく頭が痛くなる私だが、その点、着物だと直接冷気が素肌に当たらない分、安心して過ごすことができるのだ。

さて、今では着物の人はごく少数派になったが、昔、昭和の中ごろまでそれは嫁入り支度のトップだった。なぜ大枚をはたいてそんな準備を・・・と思ったものだが、色々と本を読み、気づいたことがある。

着物は資産価値があったのだ。

つまり、亭主が甲斐性のある男だったら、妻は季節ごとに嫁入り支度の着物を楽しみ、やがて年をとれば娘や嫁に譲る。そうでなかったら、それは質屋ののれんをくぐるか売って、当座の金を工面することが出来る。嫁ぐ娘に生活の苦労をさせぬよう、心を込めて両親は嫁入り支度をしたのだろう。昭和初期、恐慌の頃など、現金より着物の方が価値があったろうし。

作家の宮尾登美子さんも、若い頃よく質屋通いをしたそうだが、質草はやはり着物、それも豪華な染め着物ではなく、大島紬だったらしい。何度も質屋ののれんを往復したそれは、今無事に作家の元で安息の日々を送っている。

また戦後は多くの着物が売られ米や芋に化けた。まぁ戦時国債や軍票よりは役に立ったわけだが、食べるためとは言え、好きな着物を手放さなくてはならなかった女の気持ちはいかばかりだったか。

今こうしてのんびり着物を着ていられるのも、平和な時代だからだ。有事になった日にゃ、こんなめんどくさい物着てらんない。「今テポドンが落ちてきたら逃げ遅れて死ぬかも」と思いつつ、日傘の向こうの北の空を眺めてみる今日この頃である。