先日、門司の出光美術館にて『古唐津百選』を観に行った。茶碗についての見識は持ち合わせていない私だが、古唐津の、鄙びたアンコールワット唐津焼き土の香がしそうな味わいには心ひかれる。

このたびの展覧会では、西日本で最高の古唐津コレクター、田中丸家の逸品も、多く出展されている。

田中丸家は、地元の老舗百貨店「玉屋」の創業家だが、現在、百貨店の方は経営不振で、閉店の憂き目にあっている。

「おいおい、肝心のデパート潰しておいて、コレクションかよ」と、意地悪な突っ込みを入れつつも、名品の数々に心が和む。

古唐津の器に、佐賀呼子のイカの薄作りや玄界灘の魚の煮つけを盛ったらさぞ映えることだろう。そして旨い日本酒を酌む。

唐津焼を見ると、私はなぜか食欲がわいてくる。

さて、翌日、地元の百貨店で催されていた『大アンコールワット展』をのぞいてみる。

会場に一歩足を踏み入れた瞬間、胸がときめいた。
ヒンドゥー教の神々や仏像の持つ、肉体の若々しさに。
たくましさとしなやかさをあわせ持つ体は、美しい曲線を描き、その上に乗った顔は彫りが深く、神秘的な微笑をたたえている。

日本の仏閣にある仏像の、悟り済ましたような表情ではなく、素直に育った高貴な青年の持つ、ごく自然な慈愛のほほえみなのだ。

こんな表情で生き、そして死んでいけたら・・・と思う。

そして、美しい笑みをたたえたクメールの神々は、カンボジアの地における苦難の日々を、どんな思いで、見続けていたのだろうか。