幼い頃、ひとり留守番をしている時など、こっそり母の婦人雑誌を見ていたのもだが、その中に気になる言葉があった。「オギノ式」と「キンゼイ・レポート」だ。

どちらも学術的でありながら、無邪気に親に訊けない雰囲気があった。

やがて「オギノ式」が避妊法と知ったが、今考えてみると随分アバウトな方法である。これを鵜呑みにして、痛い思いをした人は過去、数知れないのではないか。

生みの親とされる荻野博士は、元々不妊治療のため排卵のメカニズムを研究していたらしい。その自分の研究結果が勝手に一人歩きして、いいかげんな避妊法にされてしまった。生真面目な性格の博士だったから、その心境いかばかりだったろう。

そして、「キンゼイ・レポート」の生みの親のキンゼイ博士も、かなり生真面目な人物だったらしい。

さて、「愛についてのキンゼイ・レポート」というビデオを観た。

1948年、全米1万8千人の男性を対象にセックスについての面接調査をおこなったキンゼイ博士は、実は昆虫学者なのだが、頑迷な父親から性の抑圧を受けた体験や、大学生たちの性に対する無知に触発され、前人未到の「性のリサーチ」を敢行する。

父親が生真面目にセックスを忌避した分、息子はセックスを生真面目に追求する。まるで写真のネガとポジのようだ。

当然のようにキンゼイ博士の家庭では、セックスが日常の話題になるが、夕食時に両親の初夜の話があけすけに語られると、ついに博士の息子が切れて「やめてくれ!この家は異常だ」と叫ぶ。

う〜ん、でもこの息子の気持ち分るなぁ。性について厳しすぎるのも困るが、開放され過ぎてもそれはそれで辛いものがある。

子供にとって、親はいつまでも清らかな存在であって欲しいのだ。もちろん、なぜ子供が生まれるのかそんなことは百も承知だが、その体験を生々しく聞かされたくない。セックスのことは自分で学んでいくから、親はただ見守ってくれさえすれば良い。そう考える子供が大半ではないだろうか。

ところで、このキンゼイ博士、のちにあのマッカーシーイズムの弾圧を受けるのですね。う〜ん、ここで“赤狩り”が出てくるとは思いもしなかった。だが苦難の道を歩みながらも、「キンゼイ・リポート」は多くの悩める人々に勇気を与えるのだ。

親に隠れてこっそりではなく、もっと明るい陽の下で、あなたと出遭いたかった。

愛についてのキンゼイ・レポート