以前、塩野七生氏の『マキアヴェッリ語録』の中のある箴言を読んで、思わず唸ったことがある。

「民衆(ポポロ)というものは、善政に浴しているかぎり、とくに自由などを、望みもしなければ、求めもしないものである」

勿論、反対意見の人も多かろう。それは奴隷の生活だ、愚民の考え方だと。だが私は、そこそこ生活が出来て日々が充実しているならば、あえて奴隷の生活でも良いと思っている。見識者からは軽蔑されるだろうが、それが私の器なのだから仕方がない。

さて、ドイツ映画「トンネル」を見た。

1961年、突如作られた東西ベルリンの壁をめぐる悲劇。これは西ドイツに脱出した人たちが、愛する家族や恋人のために、ベルリンの壁の下にトンネルを掘って脱出させたという実話を元にした作品である。

ドイツ映画らしい、派手さはないが俳優たちの抑えた演技、シックなベルリンの街並み、物語は淡々と進み、やがて大きなクライマックスを迎える・・・。

だが、大変感動的な物語であるにも関わらず、どうも自分にはスッキリしないのだ。

まず主人公のハリーという男性。水泳の有名選手で、以前反ソ暴動で、東側の警察からひどい目にあった経験がある。それがあって、彼は西へ脱出したのだが、なぜか東ドイツに残された妹を、西側へ連れてこようと躍起になっている。

でも妹は結婚して娘もいる。ダンナは優しそうな人で、東ドイツの生活に格別不満もないようだし、暮らしぶりも普通だ。

なぜ嫁に行った妹を、こうも執拗に脱出させようとするのか、理解に苦しむ。

この妹のダンナがまた、ワールドカップアルゼンチン代表のカンビアッソそっくりで(決勝トーナメント、ドイツ戦で、最後のPKを失敗して男泣きしてた人ね)、誠実さがにじみ出ているような人なのだ。

それなのに妹も、ダンナを捨て、娘だけを連れて西に逃亡することに何の未練もないようだ。

う〜ん、私だったらあえて大きなリスクを冒して西に行くよりも、多少不自由でも、優しいダンナさんのいる東に残る方を選ぶだろうな(実際多くの人々が脱出のさい命を落しているのだ)

そしてブツブツ文句を言いつつも、肉の配給の行列に並び、つまんない国営テレビを見ることだろう。

もちろん私は東ドイツの実態を知らないから、のん気にそう思うのだろうが。

そんな訳で、映画の中の、多くの勇気ある市民を称賛しつつも、どうもその感動の波に乗り切れない自分を疎ましく感じている。