三島由紀夫の小説に『禁色』というのがある。

今から数十年前、まだ「ホモ」や「ゲイ」なる言葉が一般的でなかった時代、この小説の中で繰り広げられる男同士のめくるめく愛憎劇には、腰を抜かしたものだ。

「これは本当なのか、すべて三島の妄想じゃないのか」

ある意味、「なぜ赤ちゃんが産まれるのか」を知った時よりも、田舎の思春期の中学生にはショックであった。

さて、この「禁色」だが実は正しい読み方が分らない。「きんじき」なのか「きんしょく」なのか。ハッキリしないまま、だらだら時は過ぎたが、最近、浅田次郎氏のエッセイを読んで、どうやら「きんじき」が正しいと知る(つか、それくらいすぐ調べろよ自分)

ただ氏によると、「禁色」は元々宮廷における、目上の人に用いる色のことだという。例えば「黄色」が皇帝の色の場合、臣下や一般庶民にとって、それは使用してはならない「禁色」なのである。

それを当時タブーであった同性愛のタイトルにするセンスはスゴイ。

まさしく禁じられた愛でありながら、そこはかとなく高貴な香りが漂うネーミングではないか。

ところでこの物語は、まれに見る美青年でありながら、男しか愛せない若者、悠一と、醜いがゆえに女達から蔑まれてきた老小説家の仕組んだ復讐劇である。

美青年と老醜の男というと、『ヴェニスに死す』のタッジオとアシェンバハの関係に似ているようで違う。
日本の老小説家は、ノンケで男に興味(性的な)はない、女好きの脂ぎったじいさんだ。ある意味、アシェンバハよりたくましい。

そして悠一は男しか愛せないくせに母のすすめた女性と結婚する。やがて妻が妊娠し、臨月を迎えると、彼はその出産に立ち会う。

最近、出産に立ち会ったせいで、性的不能になった男性の話しを聞くが、この小説の場合は逆で、恐ろしい苦痛を共有することで、妻との間に初めて夫婦らしい絆が芽生えてくるのが興味深い。

三島由紀夫が自決して36年、時代はまだ彼に追いつかない。