昨年、おおたさんのブログを見て以来adachi1ずっとあこがれていた「足立美術館」に念願かなって行ってきた。

地図を調べてみると、えらい不便な地にある。アクセスをどうしようか考えた末、地元西鉄の「一泊2日山陰二大美術館めぐりと松江しんじ湖温泉の旅」なるバスツアーに便乗する。

色づき始めた紅葉を眺め ながら、バスは中国自動車道をただただひた走り、「砂の器」に出てきたそろばんで有名な亀嵩を通ったりして、6時間以上の乗車の末、やっと到着。

さて、あまりにも完璧な庭園と、横山大観を初めとする名品の数々に動転し、あせって見学するが、時間配分がうまく行かず、充分咀嚼できないまま美術館を後にしたような悔いが残る。

それにしても、あの和風庭園の完全さはなんだろう。
元来、日本人はあまり完璧なものは好まない。

『茶の本』において岡倉天心は、不完全なる美を礼賛している。

千利休の逸話にも、完璧に掃除された庭を嫌って、樹をわざと揺すって一面に葉をまきちらして満足した、というのがある。

だが、私は足立美術館の完全な庭園に、天真爛漫な美を見た。

例えば、ひなびた萱葺きの茶室の中には、嫌味ったらしいというか、とてもスノッブな雰囲気のものがある。

「この茶室は、一見みすぼらしいけど、見る人が見れば金がかかっているのがすぐわかるわよん」というような妙な選民意識である。

でも、足立全康翁の建てた美術館にはそれがない。ただひたむきに美しい和風庭園を見せたいという素直な情熱があるだけである。

そのひたむきさ素直さがあるから、完全な美でありながら冷たさや息苦しさを感じないのだ。

ところで、足立美術館の中心をなす横山大観の師は、岡倉天心である。

完全な美を求めた足立翁と、不完全な美を愛した岡倉天心が、大観を通じて繋がっているのが面白い。

きっと手段や方法が違っていても、目指したものは同じなのだろう。