ベゴニア私が初めて自分用のPCを購入したのは、1999年の10月である。

インターネットに繋いで、まず一番に閲覧したのは、今は亡き「科学技術庁」のHPだった。

なぜならその数日前、茨城県の東海村で、あの臨界事故が起きたからだ。

「臨界」「中性子線」といった不慣れな言葉に戸惑い、人間の手で(しかもステンレスのバケツで!)ウラン燃料を扱っていたという事実に、あ然としたものだ。

そして2006年の今、NHK「東海村臨界事故取材班」によるドキュメント『朽ちていった命』−被爆治療83日間の記録ーを読んだ。

これは2001年にNHKスペシャルで放送されたものを本にまとめたものだ。

実はその番組も見ていたのだが、治療を受けるJOC作業員、大内久氏の姿が痛々しくて、「何も苦しい思いをさせて、見込みのない延命治療をしなくてもいいじゃない、あれじゃ人体実験じゃん」と憤ったものだ。
どうもテレビというものは人間を感情的にさせる。

今この本を読み、あらためて当時の医療関係者の苦悩を考えてみる。

被爆した大内氏は、事故当初はそんなに重篤な患者に見えず、看護婦と冗談をいって笑わせたり、面会に来た妻が帰ろうとした時「もう帰っちゃうの」と甘えたりする、明るい35歳のお父さんだった。

だが彼は、一瞬のうちに一般の人が一年間に浴びる限度とされる量のおよそ二万倍の放射線を浴びているのだ。
染色体は壊れ、日を追うごとに皮膚、血液、そして全ての臓器がじわじわと生きながら壊れていく。

日本の最先端の医療チームを持ってしても、出来るのは延命治療だけ。爛れた皮膚からは体液が流れ出し、東大医学部の教授みずから、汗だくになって包帯交換をする。

この本は声高に、原子力反対や核兵器について語っていない。淡々と未知の領域である被爆治療を語っているだけだ。それが良い。

延命治療を行う医師をせめてもしょうがないのだ。それが医師の性(さが)なのだから。

それにしても、この臨界事故で核分裂反応を起こしたウランは、重量にしてわずか1000分の1グラムだったという。

人は果たして本当に核をコントロール出来るのだろうか。