遅ればせながら、クリント・イーストウッドの硫黄島2部作の一つ、『父親たちの星条旗」を見てきた。星条旗

先に、日本人の目線で描いた『硫黄島からの手紙』に感銘を受け、このアメリカ人監督の懐の深さにたまげたものだが、さて今回はアメリカ目線。

何というか、すごい、かっこわるい話なのである。

偶然のいたずらで、あの有名な写真に載った兵士たちを探し無理やり英雄に仕立て、国債売上の宣伝に使う政治家たち。(確かに日本に比べてアメリカの物資の量は凄いが、この国だって無制限に豊かではないのだ。金が欲しいのは当然だ)
わけも知らずに熱狂するアメリカ市民。
そして、この英雄劇に、調子に乗ってはしゃぐ兵士と、逆に恥の意識にさいなまれるネイティブ・アメリカンの兵士。

見ようによっては自虐的にも見えるこの茶番劇で、一人冷静なのが衛生兵ドクである。

何しろ衛生兵は忙しい。銃撃戦が始まればあちこちで「衛生兵〜」「衛生兵はどこだ〜」の声が飛び交う。

自ら戦いつつ、弾をよけつつ、仲間の手当てをするドク。

彼は声が掛かれば、出来うる限り戦友を助けようと努力する。寡黙でおとなしいが頼りになる男だ。

彼は常に気遣いも忘れない。あの国債キャンペーンの広告塔にされても、不満は胸に秘め、いたって協力的である。そして荒れるネイティブ・アメリカンの兵士をなぐさめ、調子こいている兵士には苦笑いするだけ。

寡黙で真面目で、余計なことは言わず、戦争で見た地獄を女子供に話さぬまま、墓場まで持っていった男。

まさしく戦前の、日本人の父親そのままではないか。

そんなわけで、栗林中将やバロン西といった有名人のいない『父親たちの星条旗』に、より日本的なものを感じたのは、やはりクリント・イーストウッドの策略か。