今年あった大きなイベントの一つが『FIFAワールドカップ ドイツ大会』であろう。

さまざまなドラマがあったが、切ない思い出として心に残っているのが「予選リーグC組 アルゼンチン対セルビア・モンテネグロ戦」である。

6−0。あまりにも一方的な試合展開。とくに2点目などは、アルゼンチン側の24回にも渡るパス回しの上に生まれた。まさに、大人が赤子をもてあそんでいる様だった。

結局、セルビア・モンテネグロチームは一勝も出来ずにドイツを去ることになる。

彼らは試合以外にも辛いことがあった。
英国の某社が、最もマナーの悪いチームとして、この国を挙げたのだ。理由として、国歌を真面目に歌っていなかったからだと。

だが、ドイツ大会が始まった時点で、「セルビア・モンテネグロ」と称する国家は消滅していたのだ。つか、この国名が付けられてまだ3年しかたっていない。

こんな不安定な状態で、国歌を歌えというほうが無理な話だ。

また、これはある日本人サポーターが、ドイツ観戦ツァーに行った時の話だが、世界中のサポーターの中で一番嫌われているのがセルビア人だという。

彼らはどこに行っても他国のサポーターから冷たい目で見られ、ブーイングに遭う。

それで件の日本人が、彼らセルビア人に「ハロー」てな感じで気さくに声をかけたところ、彼らは眼を輝かせ、相好を崩して喜んだと言う。

それだけここヨーロッパにおいては、セルビア人は四面楚歌であり、針のムシロなのだ。

果たして「セルビア人」はそんなに悪者なのか。

チトー大統領が死に、米ソ冷戦が終った後に勃発したボスニア内戦、その後のコソボ紛争。そしてNATO軍の介入と空爆。

一連の紛争の中で、いつのまにか悪玉にされてしまったセルビア人。

この旧ユーゴ紛争は、私には絡まった糸のように分りにくく、さまざまな本を読んで考えたものだが(その中には現地に何度も取材に行った不肖・宮嶋のルポや、欧州の政治に詳しい米原万里氏のもあった)、その結果、私が思ったのは『どっちもどっちやん!』である。

セルビア人が正しいとは思わない。でも、他の民族が正しいとも言えない。コソボ紛争のアルバニア人だって相当うさんくさいところがある。

でも、戦争において『どっちもどっち』は禁句なのだろう。だれか悪玉がいないと収まりがつかないのだ。

また介入してきた米国らにとっても、悪玉がいたほうが何かと都合が良いのだろう。

そんな訳でセルビア人=敗戦=悪玉の図式が出来上がったのだ。

勝てば官軍、負ければ賊軍。戦時中に起こした不祥事も、負けた方だけが裁かれて勝った方はおとがめなしだ。

そんなセルビア人のため、せめて国際的なスポーツ試合で、「セルビア・モンテネグロ」が出場した時は(スポーツの国際試合などでは、まだこの名称が使われるらしい)応援する事にしよう。

さて、今年最後のブログエントリーは、「私の一年をふり返って」でもなく、「来年の日本の展望」でもなく、行ったことのない(つか多分一生行く事のない)ヨーロッパのまさに名もない小国に思いをはせながら締めくくることにする。

どうぞ皆さま、よいお年を・・・・。

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