1970年。日本人として初めて、小型ヨットでの世界一周に成功するという快挙があった。
航海の途中には最大の難関、マゼラン海峡がひかえていたが、無事に突破。

この冒険を成し遂げた白瀬クルーのメンバーは3人。男性二人と女性一人。
そして、紅一点の女性が、白瀬京子さんであった。

ニュースで、この女性のおじいさんが、日本人として初めて南極大陸に立った、白瀬中尉であると知り、子供心に、「血は争えないものだな」と思い、「白瀬」という名を心に刻んだ。

京子さんは幼い頃、晩年の白瀬中尉のそばで暮らしていたそうだが、この偉大な探検家は、幼い孫娘にどんな話をしたのだろう。

さて、先月のNHK教育テレビ『知るを楽しむ』で
不肖宮嶋 白瀬 矗先生に捧ぐ」があった。

白瀬中尉のこと、詳しくは知らなかったが、これを見て、あまりの過酷な人生に唖然とした。

11歳の頃から北極探検を志し、酒を飲まない、煙草を吸わない、茶を飲まない、湯を飲まない、火に当たらない、という五つの誓いを生涯守った。

だがその後の厳しい試練。

手始めとしての千島探検では、隊長、郡司大尉(幸田露伴の兄)の無責任な決断のため、多くの仲間が死ぬ。

そしていざ南極探検では(北極は、もう既に踏破されていたので)
国が金を出してくれないため、白瀬は金集めに駆けずり回り、やっと出発し、無事日本に帰還したのも束の間、彼には多大な借金が待っていた。その中には後援会の遊興飲食費も含まれていたのだ。現在に換算すると億単位の借金。

明治の冒険家は20年かけて借金を返済する。彼自身も言っていた。
「南極海の荒海よりも、陸に上がってからの方が辛かった」と。

だが、思う。
どんなに赤貧な暮しでも、白瀬中尉には「名誉」があった。日本人として初めて南極を踏破したんだという矜持があった。

でも彼の妻は・・・・。

中尉には7人の子がいたという。生活が苦しかったため、奥さんは、踊りなどを教えて生計を立てていたらしい。

身勝手なダンナがのぼせ上がって冒険に出かけている間、じっと耐えて家庭を守り、やっと帰ってきたと思ったら多額の借金を抱えている。

やはり明治の女は強いなぁ。それでも最期まで添い遂げたのだから。私からすると、奥さんの方がよほど冒険家に見えるのだが。