数年前より「リバタリアニズム」とか「リバタリアン」に興味を持ち始め、関連文献を、色々読んでいた。

学者によって解釈の違いがあるし、日本ではなかなか受け入れにくい思想だと思うのだが、「自由至上主義」や「小さな政府」というのは心惹かれる。

ただ「リバタリアン」に賛同している人の多くが、いわゆるエリート、経済的にも精神的にも独立した人に多いのが気になる。

私のような貧乏人が興味を持つのは、珍しいようだ。

それとネーミング。りばたりあん・・・・。

まるで、オバタリアンみたいだし、昔のB級ホラー「パタリアン」にも似てるし、そういえば、「リバイアサン」ていう深海で怪物が出てくる駄作ムービーもあったなぁ・・・。

さて、蔵 研也氏の『リバタリアン宣言』を読んだ。

ある意味、面白かった。それこそB級映画の味わいだ。

まず、帯のあおり文句が、
『ニッポンの勝ち組エリートとアメリカのセレブ(ヒラリーも、マドンナも、ブラピも・・・)が考えていること』

おいおい、高級リゾート地のCMじゃないんだから。

中身も突っ込みどころ満載だ。つか、わざとそのように描いているのかもしれない。無難な内容より、その方が読者を惹きつけるだろう。

彼の描く「無政府社会」には到底賛同できないが、だが同時に、清々しさを感じたのも確かである。

そして私は思うのだが、社会保障と言うものは、そもそも貧しい人のためだったはずだ。

だが今の日本では、保障の必要のない裕福層にも、等しく年金制度が行き渡っている。

そして、貧乏人は、日々の暮らしに追われ、ついつい保険料を払わなかったりする。

結局、社会保障は、その必要のない裕福層の資産を増やし、貧乏人は路頭に迷うのだ。

賛同する、しないに関わらず、「リバタリアニズム」について、本当に考えないといけないのは、勝ち組エリートやセレブではなく、私のような貧乏人なのかもしれない。

リバタリアン宣言
水源―The Fountainhead