「池波正太郎」と言うと、粋だがちょいとうるさい江戸っ子親父のイメージがある。

池波この人の書いた時代小説やエッセイを読むたび、その観察力の鋭さや美意識の高さに、思わずうなったものだが、和服姿の写真が多く、おこぜのような(失礼!)容貌も相まって、どうしても白髪の老人を連想してしまう。

だが、氏が白血病で亡くなったのは67歳。今の加山雄三より若い。
あの名著『食卓の情景』を週刊朝日に連載し始めたのだって、昭和47年。まだ50前だ。

この円熟味はどこから来るのだろう。

さて、池波正太郎の新著のエッセイ集『おおげさがきらい』を読んだ。

これは、池波氏の、まだ本になっていないエッセイ250編の中から5冊、本として収録したもので、これはその1作目である。

ここには、まだ30代、作家となって間もない時期の池波正太郎の姿がある。

正直、読んでいて物足りない。

『食卓の情景』以降の、あの旨みのたっぷり沁みこんだエッセイに比べると、味付けが足りず淡白だ。

例えれば、後期のエッセイ集が年代物のワインならば、この『おおげさがきらい』は、ボジョレヌーボーのような味わいか(つか、ワインの味、あまり分んないけど)

でも、今の私の歳よりはるかに若い池波青年が、ひたむきに仕事に向き合い、家族を愛し、戦前戦後の苦難を生き抜いていく姿には、心打たれるし、やがて、あの大作家になっていくのだと思うと、まるでタイムマシーンで過去をのぞいているような不思議さを感じる。

そして気がついたのだが、あの円熟した親父の気風は30代のころから、徐々にではあるが、芽生えているようだ。

ところで、親父といっても、実生活では、池波氏には子供はいない。
だが、妻や母親からは「おとうさん」と慕われていたそうだ。

なんとも味わい深い話ではないか。

おおげさがきらい