宮尾登美子さんのエッセイ集『母のたもと』に、「筆蹟」という章がある。その中で宮尾氏が、川端康成氏の筆蹟を口をきわめてののしっているのには、たまげた。

「色紙の字は、私の川端観を一挙にくつがえした感があり、それは初めにいう巧拙と関わりなく、何と卑小な、味気ない筆蹟だったことか。」
「色紙の文字は迷いに充ち、いうところの文豪の字などではちっともなかった。もしこの色紙の、私の内にかもし出す功罪をいうなら、罪は正しく地に落ちた偶像というべきで」(一部抜粋)

佐渡の古い茶店に飾ってあった、色紙の筆蹟が気に入らなかったからといって、ここまでおとしめる必要があるだろうか。
たまたま疲れていたのかもしれないし、それでなくても、超売れっ子作家の川端康成氏が、田舎の茶店でわざわざ書いてくれた色紙を、そこまでけなす気持ちがわからない。

宮尾氏の書くものは面白いのだが、どうもこの人、思い込みが激しすぎるようだ。土佐人気質か?さくら

さて本日、地元の「北九州市立文学館」で開催している「作家の自筆原稿でたどる(文学・青春)展を見に行く。

錚々たる作家達の生原稿が見られて、不思議なリアル感を味わった。

まず印象に残ったのは「掘辰夫」。四角ばった幼い字だ。このような筆蹟は多く、「立原道造」の字など、まるで今時の女子高生のようだ。

同じ角ばっていても、「中上憲次」や「宮本輝」は字に勢いがある。「村上龍」もそうか。

以外だったのが「山田詠美」。やはり角ばってはいるがとても丁寧で筆圧も強い。丁寧と言えば「三田誠広」は定規で線を引いているのではと思うほど几帳面な字だ。

以外と言えばもう1人、「小林多喜二」。真面目な女子中学生のような字だ。こんな優しい筆蹟で「蟹工船」を書いたとは・・・・。

そういえば無頼派の「坂口安吾」の字もおとなしくて目立たない。「太宰治」も地味だった。

・・・・色々見たが要するに、筆蹟と作家の資質は全く関係ないとの結論に達した。

さて、件の川端康成氏の筆蹟だが、墨で書かれた「伊豆の踊り子」の原稿を見るに、とても柔らかい味のある字である。

もとよりアキメクラで、書の良し悪しなどわからないが、私は素直に感動した。

でもまぁ、こんな些細な論争も、みな過去の話。
パソコンの普及で、「筆蹟」という言葉さえそのうち忘れられていくのだから・・・。

伊豆の踊子