今や海外旅行は日常的になってきたガーデンが、昔は夢と憧れをもって、外国の紀行文を読んだものだ。

特に女性が書いたもの、犬養道子さんや塩野七生さん、たまに桐島洋子さんのようなヤンチャもいるが、ほとんどが良家のお嬢様が多い。

そんな少女時代の憬れも手伝って、須賀敦子さんの『ヴェネツィアの宿』に手を出したのだが、予想と違って読後感は、もの寂しく、でも不思議な清涼感があった。

須賀敦子さんは長年イタリア語の翻訳で活躍し、平成3年、61歳の時『ミラノ 霧の風景』で作家デビューし、いきなり女流文学賞と講談社エッセイ賞をとる。

昭和4年生まれ。芦屋のハイカラな家庭の少女は、多感な思春期を軍国主義の下で過ごす。
その後、修道会の学校に入り、厳しい寄宿舎生活をおくった後、大学院を中退して、その後パリ大学、そしてイタリアの学校で学ぶ。

彼女自身は敬虔なカトリック教徒だが、この『ヴェネツィアの宿』に漂う静けさは、まるで仏教の無常観のようだ。

留学先では、何人かアジアの女子留学生が、西欧の文化と言葉に馴染めず神経を病んでいる。

そして、自分がこれからどう生きていけば良いのか分らず、必死に模索し、宗教や哲学書を読み漁っている学生たち。

みな驚くほどストイックで純粋だ。もちろんその中に須賀敦子さんもいる。

だが彼女は学問だけに没頭していたわけではない。

物語の中で唐突に、彼女の父親と愛人の話が出てくる。

家出して愛人と一緒にいる父親を、見つけ出すという生々しい場面もある。

なぜこんなプライベートな話を、いかにも学究の徒である彼女が描いたのか不思議だったが、それが最後の、父親の死の場面で生きてくるのだ。

きっと憎しみながらも愛していたのだろう。娘とはそういうものだ。

父親だけではない。この物語には別れと死が付きまとっている。

戦時中の親戚の子供やおじさん。友達、研究仲間、そしてイタリア人の夫も、結婚4年目で、風のように消えていく。

死んでいくもの、去っていくものを見つめる、須賀さんの眼差しは静謐だ。

やがて彼女も、7年間の執筆活動のあと、静かに消えていった。